チョコレートの真実 [DIPシリーズ]

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チョコレートの背景

本書の前半ではチョコレートの歴史について、後半では現在のチョコレート産業が抱える問題点について述べられています。私たちがチョコレートを手軽に食べられる環境の裏で起きている問題について考えるきっかけとなる一冊です。

キャロル・オフ (著), 北村 陽子 (翻訳)
出版社: 英治出版 (2007/8/27)、出典:出版社HP

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BITTER CHOCOLATE Investigating the Dark Side of the World’s Most Seductive Sweet
Carol Off Copyright 2006 by Carol Off Japanese translation published by arrangement with
Random House of Canada, a division of
Random House of Canada Limited through The English Agency (Japan) Ltd.

目次

シニコッソンの子供たちに。
そして彼らについて命をかけて真実を追い求めた、ギー・アンドレ・キーフェルに。

序章 善と悪が交錯する場所

第1章 流血の歴史を経て
オルメカ人の不思議な飲み物
マヤ人が愛した「カカワトル」
カカオに出会ったコロンブス
アステカ帝国のチョコレート王
スペインの遠征軍、カカオの国へ
預言が現実になる
帝国の崩壊

第2章 黄金の液体
カカオと聖職者たち
スペインの宮廷へ
ヨーロッパ経済の新たな牽引車
過酷な奴隷労働の上に
各国に広がるチョコレート熱
啓蒙思想と三角貿易

第3章 チョコレート会社の法廷闘争
バンホーテンのココア革命
板チョコの誕生
天才的なマーケティング戦略
温情資本主義の光と影
勇気あるジャーナリスト
嘘を信じたがる人々
ネビンソン、実態を暴く
企業倫理の挫折

第4章 ハーシーの栄光と挫折
アメリカンドリームの体現者
ミルクチョコレートの誕生
産業界の奇跡
カリブ海地域のカカオ農園
フォレスト・マーズの登場
温情主義から民主主義へ
キスチョコからM&Mへ

第5章 甘くない世界
ガーナのカカオ農園の誕生と崩壊
不可解な国、コートジボワール
フランスとの戦い
アフリカの奇跡
最後の賭け
世銀・IMFがもたらした災厄

第6章 使い捨て
ある外交官の勇気と悲しみ
約束の地で
疑いを持つ理由は何もなかった
女たちの「職業あっせん業」
告発と救出活動

第7章 汚れたチョコレート
「奴隷不使用」ラベル
ハーキン・エンゲル議定書の意味
妥協との戦い
勝利宣言の影で
自分の見たいものだけを見る人々
忘れられていく問題

第8章 チョコレートの兵隊
アフリカン・ドリームの蹉跌
憎悪の連鎖
イボワリテの体現者
落ちていくコートジボワール
影の首謀者

第9章 カカオ集団訴訟
杜撰な国境警備
「結局は、国内問題です」
懐柔と安協
動き続ける産業
「奴隷はいないが、虐待はある」
妥協の代償
責任逃れを許すな

第10章 知りすぎた男
闇の世界を知る男
忽然と消えた死体
激動の半生
知りたがりは覚悟しろ
浮かび上がる疑惑
カカオ産業との関係
「ブルドッグ」、真相に迫る
疑惑の幻影

第11章 盗まれた果実
組織的な搾取
カカオ・コネクションの実力者
ニューヨーク・チョコレート工場
表に出せば殺される
アグリビジネスの深い闇
陰謀の渦の中で

第12章 ほろ苦い勝利
時間のゆったり流れる街
マヤ人のカカオ栽培
見せられた夢
グリーン&ブラック
「緑」は売れる
フェアトレード運動の現実

エピローグ 公正を求めて

謝辞

参考文献

*訳注は本文中に[……]として記した。
*通貨については1ユーロ=656CFAフラン(固定)、1ユーロ=162円(二〇〇七年五月末現在)で換算。なお、CFAフラン(セーファーフラン)は西部・中部アフリカの旧フランス植民地の各国で用いられている通貨。

キャロル・オフ (著), 北村 陽子 (翻訳)
出版社: 英治出版 (2007/8/27)、出典:出版社HP

序章 | 善と悪が交錯する場所

夢の中で私は、チョコレートを夢中で頬ばり、チョコレートの中に寝転がります。少しもごつごつしていないのです。むしろ人の肌のように柔らかで、まるで無数の小さな口が小刻みに休みなく動いて、私の体をむさぼっていくようです。このまま優しく食べ尽くされてしまいたい。それはこれまで味わったこともない、誘惑の極致です。
ージョアン・ハリス「ショコラ」

コートジボワール最大の都市アビジャンから延びる幹線道路は、地図には二車線の道路と記されている。しかし市街を離れるとすぐ、車一台やっと通れるほどの幅しかないでこぼこ道になってしまった。絡まった愛や低木が両側から迫り、トンネルのようにうっそうとしている所を通り抜けていく。ここでは雨が絶えない。むっとする霧から激しい雷雨、そしてまた霧へと変わる果てしないサイクル。ジャングルが目の前で生い茂っていくのが見えるようだ。
今回の探検旅行の車を走らせているのは、コフィ・ブノワ。コートジボワール人。沈着冷静な彼に私は絶対の信頼を寄せている。同乗しているアンジュ・アボアは、「ラ・ブルス(奥地)」の案内役をしてくれる。熱帯雨林地帯のことを彼はフランス語でそう呼んでいる。アンジュはロイター通信の記者で、混沌としたアフリカビジネス界の暗部の解明に努めている。

アビジャンから西へ向かうと、リベリアとの国境まで数百キロにわたって熱帯林と辺境の農園地帯が広がる。これから 私たちはその奥深く入り込んでいく。目的は、コートジボワールの最も価値ある商品作物、カカオについて真実を探ることだ。
同行の二人は奥地の事情に通じているとはいえ、よそ者にすぎない。ここの人々は自分の氏族の人間しか信用しない。歴史と風土の壁を越えてこの国の深奥を探るには、地元の住人の助けが要る。

小さな村で、ノエル・カボラという人物と落ち合った。ノエルはベテランの仲買人だ。毎日、細い小道をたどって農園を回り、袋詰めのカカオ豆を集荷している。私たちはブワのルノー車を降りてノエルのおんぼろトラックに乗り込み、道路を離れて熱帯林の奥へと分け入る。アンジュは荷台に陣取って、地元の人たちと話し込んでいる。私はノエルの隣に座る。ブノワは残り、できたばかりの知り合いとお茶でも飲むと言う。

世界のカカオの半分近くが、この高湿な西アフリカの熱帯雨林から来ている。ここを出たカカオはやがて、世界のチョコレート・ファンの食生活を彩り、心を潤すお菓子に生まれ変わる。ボンボン、トリュフ、ココア、クッキー、ケーキ、チョコレートパフェ、そしておなじみの板チョコ。バレンタインデーには、この甘い粒に寄せて「アイ・ラブ・ユー」のメッセージが伝わることになっている。「メリークリスマス」や「ハッピーバースデー」にもなるし、ハロウィーンには子供たちに配られるお菓子に、復活祭には卵をかたどったイースターエッグにもなる。こうした行事を彩り、私たちの胃 袋におさまるまでの長い旅が、このうだるような熱帯から始まっている。しかし、先進国で大切にされるそんなセレモニーの晴れやかな場面から、ここほど遠く隔たっている所はない。深緑色のコートジボワールの森の中、悪路を行きながら、私はそう感じる。ノエルが指差す先に、カカオの木立がある。丈の高いバナナやマンゴー、ヤシの木の陰に隠れるような格好だ。エキゾチックな緑や黄色や赤のカカオの実(カカオポッド)。その二〇センチほどの楕円形の実が、今にも落ちそうに、すべすペした幹から下がっている。これが学名テオブロマ・カカオ、「神々の食べ物」という名をもつカカオの木だ。

熟した実をナタで切り落とし、割って中の宝物を取り出す。パルプと呼ばれる淡黄色の果肉に包まれて、くすんだ紫色をした、アーモンド大の種が数十個ある。向こうを見ると、バナナの葉を敷いた台の上に、取り出した種を果肉ごと積み上げてある。そうやって数日間、湿気と熱気の中で発酵させると、驚くべき錬金術が行われる。熱帯の強い日差しにさらされるうちに、果肉から甘くとろりとした液が浸み出し、種がその中に浸る。強烈な匂いを発しながら、微生物が働き出す。これが何の変哲もない豆を魔法のように、世界で最も魅惑的なお菓子に欠かせない原料に変えるのだ。

異臭の中で五、六日発酵させた後、台に広げて乾燥させる。さじ加減の難しい、こうした手作業の積み重ねとチョコレート製造技術のおかげで、有史以来、世界で何百万人もの人間がチョコレートのとりこになってきた。子供たちはお小遣いを握りしめて一かけらのチョコレートを買いに行き、女性たちの中にはセックスより上等のチョコレートの方がいいという人もいる。昨今の科学は、コレステロールを下げるとか、性欲を増進するとか、チョコレートの健康上の効能を数え上げる。
チョコレートは、誘惑そのものだ。わけもなくやみつきになる。だからこそ巨額の貿易が、そして一つの産業が成り立っている。この産業は飽くことを知らないかのように原料を求める。業界を支配する大企業の命運は、遠い西アフリカの農園と、そこで手間暇かけて発酵・乾燥されたカカオ豆を集荷するため日々熱帯林の道なき道を行く仲買人たちにかかっている。

時にはすっかり消えてしまったかと思うような心もとない道を、ノエルは事もなげにたどっていく。途中であちこちの 丘の上に、日差しを求めるカカオ農園があるのを教えてくれる。彼はそれぞれのカカオ豆の品質に一家言を持っている。発酵も乾燥も申し分なしとお墨付きをもらえる農園もあれば、いつも出来が悪いと厳しい評価を受ける所もある。時折、一部屋だけの学校や小さな礼拝堂が見える。その周りを囲む、みすぼらしい泥壁の家に、「神々の食べ物」を育てる農民が住んでいる。この地域が世界市場向けのカカオの生産地になったのは比較的最近で、一九七〇~八〇年代のことだ。コートジボワールの建国の父、フェリックス・ウーフェ・ボワニ[一九〇五~九三。一九六〇年の独立時から死去まで大統領を務めた」。

慈悲深い独裁者ウーフェは、この肥沃な農地から黄金にも匹敵する作物がとれることに気がついた。彼は、フランスから独立を勝ち取ったばかりの国を、西アフリカ経済の原動力にしたかった。ジャングルをエデンの園に変え、国民が自らの労働の成果を享受できるようにすると六〇年代に表明。この建国のビジョンは軌道に乗り、しばらくの間コートジボワールは、アフリカで最も安定し、繁栄を謳歌する国になった。それを可能にしたのは何よりも世界市場へのカカオの供給だった。―しかし、今では何もかも様変わりした。
ル・ウィ「親父さん」、コートジボワールの人々に敬愛の念をこめてこう呼ばれるウーフェは、絶対的指導者だった。一九九三年の彼の死後、権力は、志のより低く、欲のより深い人間たちの手に移った。以来、コートジボワールは混乱と暴力の渦に陥った。特にカカオ農園の所有権をめぐって欲望が渦巻き、たびたびの停戦にもかかわらず、戦闘状態が続いている。楽園は煉獄か、時には地獄の様相を呈するようになった。コートジボワールの農地が生み出す莫大な富の支配権を、軍隊や民兵組織が争っている。カカオ生産に関わる者はいつも攻撃の危険にさらされている。

農園を回り、カカオ豆の詰まった麻袋を集荷しながら、ノエル・カボラは用心を怠らない。カカオ豆はギニア湾の港から工場へ出荷され、最終的には北アメリカやヨーロッパのお菓子売り場に並ぶ。戦闘の脅威はあるものの、各所にカカオ豆の袋が山と積まれ、ノエルを待ち受けている。結局、戦争で商業活動が妨げられることはない。ここでは誰にとってもカカオが経済的な頼みの綱だ。兵士たちの給料はカカオの利益で賄われており、流通を妨げてはならないことくらい、彼らもわかっている。とはいえ、武装した民兵が至る所で金を脅し取ることはなくならない。「特別通行料」を要求する検問にあちこちでひっかかる。金を受け取るのは、安物のヤシ酒の匂いをさせた武装民兵だ。彼らは私のような外国人への軽蔑を隠そうともしない。だが、ノエルも毎日彼らの蔑視にあっていると言う。隣国ブルキナファソから来た彼は、差別とゆすりの標的にされることが多いのだ。

私たちのおんぼろトラックは唸りをあげて急な坂を上っていく。すり減ったタイヤを空回りさせながら赤土のぬかるみを抜け、やっと上りきった。着いたのは、ノエルと同じブルキナファソ出身の農民による共同農園だ。村の名前シニコッソンは、コートジボワールの公用語であるフランス語に訳せば「明日のために」という意味だという。現実は、何もかもその日暮らしで、明日に残せるものなどほとんどない。トウモロコシ、キャッサバ〔根茎がタピオカの原料となる」、食糧としてバナナも植えているが、中心は国際市場向けカカオの生産だ。カカオを売った金で米と油を買うと、たいていあとは何も残らない。
村は孤立し、私が見た中でも地域で最貧層に属する。みな疲労の色が濃く、満足には食べていないようだが、少なくとも当面は、周辺を荒らしまわる暴力からは免れている。最後の検問で見た酔っ払いの兵士たちは、村を襲って金を脅し取ろうにも、ここまで坂道を上ってこられなかったらしい。

遠い国からの訪問者の到着は、シニコッソンでは大事件だ。たちまち村の中央にある家の屋根付きベランダは人でいっぱいになる。男性と少年たちばかりだ。奥のほうに女性と少女たちの姿も何人か見える。彼女たちはおそらく米とトウモロコシで質素な食事の支度をしているのだが、こちらの話を聞き逃すまいとしているようだ。
年寄りたちはニュースを待ちかねている。戦争はどうなった? 政府の公約通り選挙はあるのか? フランスの平和維 持部隊の増派はあるのか?――村々を襲撃から守るために平和維持部隊はすでに派遣されているが、大して役に立っていない。
年寄りたちの話によれば、ここに村を開いたのは一九八〇年だという。初めは地主に雇われて働き、やがて収穫共有協定によって自分たちの農園を持った。当時、未開墾の肥沃な土地が広がっていたが、労働力はきわめて少なかった。そこで「親父さん」は、隣国ブルキナファソとマリのやせた土地から貧しい農民を数千人も移住させ、奇跡の経済成長の原動力にした。彼らは喜んでやってきたのだが、今、立場は弱い。ブルキナファソ出身の彼らは、二〇年以上も農園を営んできた土地に対して、法的な権利を誰からも得ていない。土地所有権を裏づける証書も書類もない。もちろん土地は自分たちのものだと彼らは思っている。道義的には確かにその通りだ。しかし彼らの将来は、ウーフェ存命中に交わされた口約束や握手のあやふやな記憶にかかっている。今までこの土地の所有権が争われたことはないが、そうなるのは時間の問題だ。

村の生計を支えているのは「神々の食べ物」だが、ここは楽園とは程遠い。学校に行っている子供は一人もいないし、電気、電話、診療所や病院といった公共サービスはまったくない。銃を振り回す民兵がのさばる一帯で、この丘の上は何とか生活が営まれているというだけだ。それでも、彼らはここに満足しているように見える。これほどの問題を抱えなが らも、旱魃に見舞われた祖国にいるよりはよかったという。祖国は慢性的な飢餓状態なのだ。
私は、カカオについて本を書こうとしていることを説明した。皆そろってうなずく。カカオについてなら、彼らには豊富な知識がある。カカオ豆の品質、気まぐれな雨、当てにならない収穫、農薬の値段、病害の脅威、乱高下する価格、法外な税金。この地域でカカオを育てる苦労なら、知らないことはない。「もしもカカオを栽培できなくなったとしたら、どうされますか?」と聞くと、「おしまいだよ」と誰かが答え、皆の顔が曇る。
「カカオはここの皆の命ですから」と村長のマハマド・サワダゴが言った。
マハマドは五四歳だというが、ずっと老けて見える。三人の妻と11人の子持ちだ。
「ここのカカオはどこへ行くのですか?」とアンジュが聞く。
戸惑ったような沈黙が広がり、皆がマハマドを見る。
「サンペドロの港です」とマハマド。彼の言葉には重みがある。
「その後、欧米諸国へ行きます」皆うなずく。
「欧米では、カカオ豆をどうするのですか?」
再び沈黙、皆の視線がマハマドに集まる。しかし今回は彼も困ったようだ。
「知りません」
何かを作るのは確かだが、何を作るのかは知らないと言う。
「チョコレートを作るのです」と私は説明した。
「食べたことがありますか?」
遠出をしたとき食べたことがあるという人が一人。おいしいと思ったと言う。
他は誰も、それが何なのかさえ知らない。
コートジボワールのカカオ産業をめぐって報道しているアンジュ・アボアでさえ驚くほど、ここの人たちは、自分たちの作物について何も知らない。アンジュは、ノートのページを破りとって筒状に丸めてみせ、欧米ではカカオを粉にして砂糖をたっぷり加え、このくらいの大きさのチョコレートを作るのだと説明した。とても甘くておいしくて、ミルクやピーナッツが入っていることもある。
欧米の子供たちは、よくおやつにもらうのだ、と。
アンジュが、そのチョコの値段は約五〇〇CFAフラン〔約一二〇円〕だと続けると、信じられないというふうに、みな目を丸くした。そんなちっぽけなお菓子にそんな大金。
それだけあれば、立派な鶏でも米一袋でも買える。
少年の日給、三日分よりもまだ多い―もちろん、給料が払われていればの話で、払われているとは到底思えないが。
私の国の子供たちは、一つのチョコレートを二、三分で食べてしまうと説明すると、少年たちは本当に驚いている。何日も苦労して働いて作られたものを、地球の反対側では一瞬で食べてしまうのか。しかし、彼らは北アメリカの子供のそんな楽しみを妬むわけではない。西アフリカの人々は羨ましいという気持ちをめったに表に出さない。
私の国には学校へ向かいながらチョコレートをかじる子供がいて、ここには学校にも行けず、生きるために働かなければならない子供がいる。少年たちの瞳に映る驚きと問いは、両者の間の果てしない溝を浮かび上がらせる。なんと皮肉なことか。私の国で愛されている小さなお菓子。その生産に携わる子供たちは、そんな楽しみをまったく味わったことがない。おそらくこれからも味わうことはないだろう。これは私たちの生きている世界の裂け目を示している。カカオの実を収穫する手と、チョコレートに伸ばす手の間の溝は、埋めようもなく深い。
「私の国でチョコレートを食べている人は、それがどこから来たのか知らないの」
私は、チョコレートを知らないシニコッソンの少年たちに言った。誰がカカオを収穫しているのか、その人たちがどんな生活をしているのか、私の国ではほとんど誰も知らないのよ。それならあなたが教えてあげればいい、と少年たちは答えた。

キャロル・オフ (著), 北村 陽子 (翻訳)
出版社: 英治出版 (2007/8/27)、出典:出版社HP