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現代においての聖書の意義がわかる
本書は、旧約・新約聖書の成立事情とその背景を、歴史的観点から記された一冊です。また、本書独自の項目として、西洋文化と聖書、東洋の精神的風土と聖書の関係などにも触れています。聖書に関する独自の意見を知りたいという方にもおすすめです。
はじめに
――「セイショ」って、いったい、どういう本なのですか。
こういう質問にあって、とうわくしない人があろうか。なぜなら、質問者の気持やねらいが、十人十色だからである。「これが聖書です。お読みになってごらんなさい」。こういって、聖書を差し出してみても、それだけでははじまらない。新しい口語訳聖書で、総計一七〇〇頁以上もあり、そのなかに六六の独立文書が並んでいて、さて一言の説明語るないからである。もし、何を聞こうとするのか、どういう態度でたずねるのかが、すこしでも分れば、いくらか方途も立つであろうが。
――聖書は、どうしてできたのですか。
質問の範囲が、この程度にでも縮められると、歴史的知識をあつめととのえて提示すれば、いちおうは責任をはたしやすい。それにしても、まとまった一つの書物としての成立事情を明らかにするのと、そのなかの諸資料が形づくられた過程を確かめるのとでは、方向にずれがある。また、このような文書をうみだした母胎である、民族や社会集団の、歴史的実体をとらえるにしても、その社会学的現実と宗教的現実とが、必ずしもかさなるとはいいかねる。かような困難にもかかわらず、本書の内容の半ばは、こういう質問への答のつもりである。
――聖書は、西欧文化の真髄に触れるためには、どうしても知っていなければならないので、 しょうね。
そうですね、と肯定するのは、あたりまえのようである。たしかに、西欧の歴史と文化を理解しようとするかぎり、キリスト教を除外したら、まったく見当ちがいになるおそれがある。キリスト教の経典たる聖書の、ことばや考えかたが、欧米の思想や文学のなかに滲みとおり、社会習慣などを規定していることも、あきらかであろう。キリスト教信仰が、教会という特別な社会集団のかたちに結集し、二千年の西欧の歴史と倫理とを特色づけたことは、じじつである。
しかし、反面において、聖書は、ここでほんとうに残りなく解明されたのだろうか、と質問しかえされるかもしれない。いままでに、聖書の真理は、その全貌をあらわにしているのだろうか。わたくしどもは、聖書のなかに湛えられている深い真理のある部分には、東洋をはじめ異教諸民族の深刻な疑いや新鮮な問題提起と接渉して、はじめて明かになるものがあると思う。そういう点に、本書は、若干の示唆を提供しようとした。
――聖書は、それではいったい、どんな本なのですか。
最初の問が、内容と目標と特色とについて、ひとまわり進展したとする。こうくりかえすにつれて、われわれは、聖書に関して、「宗教的」な文書を予想し期待していることに気づく。よし、賛否の別はあろうとも。科学や芸術の教科書でないことは確かなのだし、宗教経典といって間違いではない。しかし、ここに問題もひそむであろう。
バイブルといういいかたが、今日でも、いっぱんに流通している。これによって、聖書は、 もと、ただ「書物」にほかならぬこと、に注意すべきである。ただ、われわれの敬虔の情を投射して、形容語「聖」を附加せずにおられなかった。それが一般化して、聖書といえば、キリスト教の経典である新旧両約の書を意味するようになっている。けれども、この書は、一つの宗教書であることに満足しないであろう。聖という語のもつ超越的な意味内容が、あらためて、考えられねばならぬ。人間の、きわめて人間的な書であることによって、そのままで、神の「啓示」という特別な、超越的ともいうべき事実と真理とを含んでいることを、主張せずにはおられない。人生の根棋には、一般原理のかたちではなしに、人格的事実として人格的に出会うほか、その秘奥に触れるすべのないもののあることを、聖書は示す。知識からはいって、ついに全人格的に触れてくるものが、ここにある。こういう方向を、本書は、ほのかにでも指し示したいと、念じている。
一九五五年一一月三日
小塩カ
なるべく、はじめてのかたに、聖書にたいする興味をもっていただきたいと念願して、筆をとったつもりである。しかし、志していたほど平易には、書けなかったかとおそれる。とくに、頁の分配をたくみにできなかったために、ひじょうに重要な文書、パウロの手紙については軽くふれるだけになってしまった。またの機会を期待していただきたい。
なお、附録として、本文と正典について略述した。これは、I旧約聖書、正新約聖書のまえに、通読してくださることを希望する。
凡例
一、聖書の引用は、原則として、日本聖書協会発行の「口語聖書」によった。
一、しかし、必要の場合まれに、元訳その他のいいまわしによったこともある。たとえば、旧約聖書で、もとならばエホバとあったところ、口語訳では「主」と統一している語を、
厳密を要するときには、しばしば「ヤハウェ」と書いた。
一、固有名詞は、聖書に出てくるものは、原則として口語訳の読みかたにしたがった。他の
ものは、それぞれの国の発音からあまり遠くないようにと心がけた。
一、聖書の書名や章節において、省略の要をみとめたときには、略符号を用いた。たとえば、
「テサロニケ人への第一の手紙二章一三節」は、テサロニケー二・一三、「列王紀下一○
章五節」は、列王下一〇・五、というふうに。
一、巻末に、簡略な年表、地図、索引を附した。
目次
I 聖書と世界
一 欧米文化と聖書
二 東洋精神と聖書
Ⅱ 旧約聖書
一 その成立の背景
二 旧約諸文書
イ 六書
口 預言者
ハ 諸書
Ⅲ 新約聖書
一 その成立の背景
二 新約諸文書
イ 福音と福音書
口 使徒行伝
ハ バウロの手紙
ニ 公同書簡、その他
ホ ヨハネの黙示録
Ⅳ 聖書の特色
一 唯一神
二 仲保者
三 罪と死とからの救い
四 虚無からの脱出
五 新しいヒューマニズム
附録 本文および正典について
年表
索引