EQ こころの知能指数 (講談社+α文庫)

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注目を集めているEQ

EQとは、IQとは質の異なる頭の良さのことで、自分の気持ちを自覚し、心から納得できる決断を下す能力、他人の気持ちを感じ取る共感能力などのことです。EQは注目されてきており、国語や算数などと同じように必修科目として教えることも検討されてきています。本書では、感情と知の統合はどのようにすれば可能なのかを検討していきます。

ダニエル・ゴールマン (著) , 土屋 京子 (翻訳)
出版社 : 講談社 (1998/9/18) 、出典:出版社HP

日本の読者のみなさんへ

いまこの文章を書いている時点で、「こころの知能指数」を見直そうという私の提案はアメリカの人々に非常に好意的に受け容れられている。一九九五年九月の発売以来『EQ~こころの知能指数』はアメリカのベストセラー・リストの上位を走りつづけ、印刷部数は五十万部に達した。全米各地の学校が、「こころの知性」を算数や国語と同じような必修科目として教える方向へ動きはじめている。企業も社員の「こころの知性」に注目し、EQを高める方法を模索しはじめた。

EQすなわち「こころの知能指数」とは何だろう?それは、知能テストで測定されるIQとは質の異なる頭の良さだ。自分の本当の気持ちを自覚し尊重して、心から納得できる決断を下す能力。衝動を自制し、不安や怒りのようなストレスのもとになる感情を制御する能力。目標の追求に挫折したときでも楽観を捨てず、自分自身を励ます能力。他人の気持ちを感じとる共感能力。集団の中で調和を保ち、協力しあう社会的能力。

「こころの知能指数」には、日本の社会では珍しくない概念もかなり含まれている。「日本的なもの」の真髄に通ずる部分があると言ってもいいかもしれない。思いやり、自制、協力、調和を重んずる価値観は、日本人の本質だ。ある意味では、「こころの知性」に注目しはじめた世界の変化は、世界の国々が日本社会の安定や落ち着きや成功を支えてきた中心的な要素に気づいた徴候とも言えるだろう。

ただ、最近の日本からは気にかかるニュースも聞こえてくる。日本社会も変化しはじめているのかもしれない。

▼東京で、高校生七人を含む十人の若者が十五人の若い女性を強姦した疑いで逮捕された。若者たちはポルノ雑誌で制服姿の女子高生の強姦シーンを見て自分たちもやってみようと思いつき、小グループで被害者の女性たちを襲ったという。
▼第二次世界大戦後の高度経済成長期に日本の家庭では父親不在の傾向が強まり、日本の男性の年間労働時間はあいかわらず世界のトップを走りつづけている。過労死も増えている。近年の不況にもかかわらず、労働時間はあまり減少していない。
▼いじめによる児童の自殺が増えている。個々のケースを調査してみると、両親や教師はいじめの事実にうすうす気づきながら悲劇的な結末を防げずに終わっている。
▼日本の学生は、運命を決めてしまうたったひとつの数字「偏差値」にしいたげられている。子供たちは幼い頃から高い点を取るためにあらゆる努力をするよう圧力をかけられている。

「こころの知性」に関して日本でまず課題とすべきは、学校教育における点数偏重を見直すことだろう。ひとつには、学力試験で測定されるような認知能力は広範な知性のごく一部分しか反映していないことが各種のデータからわかっているからだ。自分自身の感情や他人との関係をうまく処理する能力も、知性の一部分だ。しかもこれは、人生を最終的に大きく左右する知性だ。

アメリカでは、狭い範囲の成績や点数を重視したところでその子が将来いい人生を生きられるかどうか予測する基準にはならないのではないか、と考えるようになってきている。学校の成績は、実際、その人が社会に出てから成功するかどうかの予言にはならないし、まして幸せな人生を送れるか、世の中の役に立つ人間になれるかどうかを決定する要素ではない。同時に、アメリカでは社会の不安定化が進み、子供たちのこころの教育に早急に力を入れる必要性が切実に叫ばれている。日本の社会も、似たような方向へ動いていく徴候を見せはじめているようだ。

さらに、いまの日本の青少年にかけられているプレッシャーの大きさを考えると、不安の処理法を教えていく必要があるように思われる。また、いじめの増加を考えると、親切や思いやりの教育に目を向ける必要もありそうだ。生徒にこれだけ大きなプレッシャーをかける学校教育を今後も続けていくならば、プレッシャーにうまく対処する方法も同時に教えていくべきだろう。将来、こころの教育は日本人らしさを支える重要なカギとなるかもしれない。

一九九六年五月
ダニエル・ゴールマン

ダニエル・ゴールマン (著) , 土屋 京子 (翻訳)
出版社 : 講談社 (1998/9/18) 、出典:出版社HP

アリストテレスの挑戦

然るべきことがらについて、然るべきひとびとに対して、さらにまた然るべき仕方において、然るべきときに、然るべき間だけ怒るひとは賞賛される。
アリストテレス『ニコマコス倫理学』
高田三郎 訳

八月のニューヨーク。耐えがたく蒸し暑い午後。不快指数が人々を不機嫌にする。私はホテルに帰る途中だった。マディソン街を北へ行くバスに乗ろうとステップに足をかけて、驚いた。中年の黒人運転手が顔いっぱいに笑みを浮かべて「こんにちは!ごきげんいかが?」と迎えてくれたのだ。通りにひしめきあう車のあいだを縫うようにバスを走らせながら、黒人運転手は停留所で乗り込んでくる客ひとりひとりにこうして挨拶した。どの客も、私と同じように驚いた顔をした。その日の不快な天気のせいで、運転手の挨拶に応える客はほとんどいなかった。

しかしバスが渋滞の中を北へ向かってのろのろ進むうちに、車内に少しずつ不思議な変化が起こりはじめた。運転手は乗客を楽しませようと、左右の街の風景を陽気に喋りつづける。あの店のセールはすごかったですよ。この美術館の展示はなかなかいいです。その先の映画館で始まったばかりの映画の評判、聞きましたか?ニューヨークの街の魅力を楽しげに語る運転手の明るさが、乗客のあいだに広がっていった。バスを降りる頃には、乗客は乗ってきたときの不機嫌なカラを脱ぎすてて、「さよなら!いい一日を!」という運転手の元気な別れの挨拶に笑顔で応えていた。

あのときの記憶は、二十年近くたった現在も私の脳裏から消えない。マディソン街を走るバスに乗ったとき、私はちょうど心理学の博士論文を書き終えたところだった。しかし当時の心理学は、バスの乗客になぜあのような変化が起こったか、といったテーマにはほとんど関心を向けていなかった。感情の動きについて、心理学は何ひとつ知らなかったのである。それでも私には、バスの乗客に感染した「いい気分」のウイルスがニューヨークの街中へさざ波のように広がっていくのが想像できた。乗客の不機嫌な苛立ちを明るい気分に変えてしまった不思議な運転手の存在が、大都会で出会った心のオアシスのように思われた。

この話とは対照的に、最近の新聞は次のようなニュースを伝えている。

▼地方のある学校で九歳の男子生徒が大あばれし、学校の机やコンピューターやプリンターにペンキをぶちまけ、駐車場にとめてあった自動車をめちゃくちゃに壊した。三年生のクラスメートに「ガキ」呼ばわりされたため、見返してやろうと思っての蛮行だという。
▼マンハッタンのラップ・クラブ前にたむろしていたティーンエージャー同士が不注意でぶつかったことから乱闘が始まり、そのうちのひとりが三十八口径のオートマチック拳銃を群衆に向けて発砲したため、八人の若者が負傷した。この事件のように取るに足らない出来事が挑発と受けとられて発砲事件に至るケースは近年アメリカ全土で増えている、と記事は指摘している。
▼ある報告によれば、殺人事件の犠牲となった十二歳以下の子供のうち、五七パーセントは父母や継父母に殺された子供たちだった。そうしたケースの半分近くで、親は「子供にしつけをしようとしただけだ」と言う。死の折檻の理由は、子供がテレビの邪魔をした、泣いた、おむつを汚した、という程度の「落ち度」だった。
▼トルコ人が住む家に放火して就寝中のトルコ人女性と子供五人を殺したとして、ドイツ人青年が裁判にかけられた。ネオナチのメンバーである青年は法廷で、自分は職に就けず、酒におぼれ、自分の不運を外国人のせいだと考えた、と語った。そして、ほとんど聞きとれないような小声で「自分のしたことを考えると申し訳ない気持ちでいっぱいです。自分のしたことをすごく恥じています」と述べた。

日々のニュースには、社会の礼節や安全の崩壊を物語る出来事や卑劣な衝動のままに起こした事件があふれている。しかしこうしたニュースは、私たちが心の片隅でひそかに感じている不安——自分自身の感情や周囲の人々の感情がコントロール不能になりかけているという不安――を増幅した形で反映しているにすぎない。私たちは誰ひとりとして、感情の噴出や後悔がもたらす大波と無関係に生きることはできない。感情の波は何らかの形で私たちすべての人生を揺らす。

ここ十年のあいだ、家庭や地域社会や集団生活において、こころの働きに関する無知無能や自暴自棄が原因となった事件は増加の一途をたどっている。家でひとりテレビを相手に過ごす鍵っ子の淋しさの中にも、親から捨てられ無視され虐待される子供の痛みの中にも、暴力に支配され荒廃した夫婦関係の中にも、怒りと絶望が年ごとに高まっている。こころを病む人が増えていることはうつ病患者の世界的な急増からもわかるし、世の中に攻撃的な事件が増えていることからもわかる。ティーンエージャーがピストルを持って登校し、フリーウェイでの接触事故が撃ち合いになり、会社を解雇されたことに不満を抱いた人間が同じ職場で働いていた同僚を大量虐殺する世の中なのだ。「情緒的虐待」、「通りがかりの発砲」、「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」は珍しい言葉ではなくなり、時代のキャッチフレーズは陽気な「いい一日を!」から挑発的な「やれるもんならやってみな!」に変わった。

この本は、人間の非理性の世界を理解しようとする試みだ。私自身心理学者として、また最近十年間は『ニューヨーク・タイムズ』紙のジャーナリストとして、理性で割り切れない領域が科学的に解明される過程を見守ってきた。現在、私の立っているところからは二つの正反対の動向が見える。ひとつは、気持ちを共有しあうことがますます困難になる社会。もうひとつは、希望をつないでくれる救済策だ。

ダニエル・ゴールマン (著) , 土屋 京子 (翻訳)
出版社 : 講談社 (1998/9/18) 、出典:出版社HP

なぜいまEQなのか

この十年間は悪いニュースも多かったが、人間の感情面に関する科学的研究は飛躍的に進歩した。なかでも劇的なのは、脳の画像処理技術が発達して、現に活動している脳の状態を見られるようになったことだ。こうした技術の発達によって、長いあいだの謎が解明された。人類史上初めて、人間が考えたり感じたり想像したり夢見たりしているときに脳の複雑な神経細胞がどう機能しているかが目で見られるようになったのだ。神経生物学的データが一気に増えたおかげで、脳の中の情動をつかさどる部分がどのような仕組みで人間を怒らせたり泣かせたりするのか、あるいは戦う衝動や愛する衝動を起こさせる脳の原始的な部分をどうすればうまくコントロールできるかが明らかになってきた。こころの働き(あるいはその欠如がもたらす結果)が解明されてきたおかげで、社会をむしばむこころの病への対策もいろいろ考えられるようになってきた。

今までこの本が書けなかったのは、科学的なデータが不十分だったからだ。それは主として、精神活動における情動の地位が研究者のあいだで不当に軽視され、心理学の中で情動の領域だけが暗黒大陸のように未開のまま放置されてきたからだ。この空際に、自助努力を説く本が大量になだれこんできた。しかし善意とはいえ、こうした本の大半はせいぜいが臨床医の意見にもとづいたアドバイスの域を出ず、科学的な裏づけは皆無に近かった。いまようやく、科学は確かな裏づけをもって不可思議な精神の働きを解明し、人間のこころの見取り図を描きはじめている。

こころの見取り図は、人間の知能を狭くとらえる人々、知能は経験で変えることのできない遺伝的素質であり人間の運命はこうした素質によってあらかた決まっているのだと主張する人々に挑戦状をつきつけることになる。知能を狭義にとらえたのでは、「子供たちが人生をよりよく生きていくために大人は何をしてやれるか」、あるいは「IQの高い人が必ずしも成功せず平均的なIQの人が大成功したりする背景にはどのような要因が働いているのだろうか」といった疑問はわいてこない。人間の能力の差は、自制、熱意、忍耐、意欲などを含めたこころの知能指数(EQ)による、と私は考えている。EQは、教育可能だ。EQを高めることによって、子供たちは持って生まれたIQをより豊かに発揮することができる。

しかし新たな可能性の背景には、危急の事情がある。現代は社会の枠組がこれまでにない勢いでほころび、利己的な態度や暴力や卑劣な精神が善良な生活をむしばみつつある時代だ。情操と人格と倫理を論ずるうえでも、EQが重要になってくる。人間の基本的な倫理観はEQという基礎の上に成立していることが、近年少しずつ明らかになってきた。たとえば、衝動は情動が外に表われたものだ。あらゆる衝動の根源は、行動として表出しようと待ちかまえている情動なのだ。衝動のままに動けば自制の努力をしなければ――倫理を欠くことになる。衝動をコントロールする能力は意志と人格の基礎だからだ。同じように、愛他主義の根幹は他人の気持ちを読みとる能力、すなわち共感能力にある。他人の欲求や苦境が理解できなければ、他人に対する思いやりは生まれようがない。いまの時代が何より必要としている倫理は、まさにこの自制と共感だ。

ダニエル・ゴールマン (著) , 土屋 京子 (翻訳)
出版社 : 講談社 (1998/9/18) 、出典:出版社HP

この本の内容

この本で、私は情動について科学的に解明された事実を読者のみなさんに紹介し、私たち自身や周囲の世界をときとして混乱に陥れる不可解な場面をもっとよく理解するための案内役をつとめたいと思う。そして最終的には、情と知の統合とはどういうことか、どうすればそれが可能なのかを理解できるところまで到達したいと思う。これだけでも有意義だ。こころの働きを知的に理解することは、物理学を量子レベルで眺めるのに似て、今まで見ていたものがちがって見えてくるようなインパクトをもたらすだろう。

第一部では、情動をつかさどる脳の仕組みについて新しくいろいろなことが発見され、感情が理性を凌駕してしまう理由が説明できるようになったことを紹介する。憤怒や恐怖にとらわれた場面―あるいは情熱や歓喜に我を忘れた場面で脳の各部分が相互にどう作用するかを理解することによって、本人が意図しない情動反応が出てしまうのはなぜか、破壊的・自滅的な衝動を抑えるにはどうすればいいか、などがわかるだろう。なかでも重要なのは、神経学的データから子供に情動教育をおこなうべき時期がわかってきたことだ。

第二部では、持って生まれた神経学的素質が「情動の知性」という人生の基礎能力にどう表われてくるかを検証する。情動の知性とは、たとえば衝動をコントロールする能力のことだ。他人の心の奥にある感情を読みとる能力、人間関係を円滑に処理する能力、アリストテレスが書いたように「然るべきことがらについて、然るべきひとびとに対して、さらにまた然るべき仕方において、然るべきときに、然るべき間だけ怒る」能力のことだ(神経学的な詳細に興味のない読者は、第一部をとばして第二部から読みはじめてもよい)。「知性」をこのように広くとらえると、こころの知能指数(EQ)は人生を聡明に生きるうえで非常に重要な要素ということになる。

第三部では、EQが人生にどれほどの格差をもたらすかを考える。たとえばEQの高い人は大切な人間関係をうまく育てることができ、EQの低い人は大切な人間関係をだめにしてしまう。市場の影響を受けて労働の形が変化していく中で、EQは職場における成功・失敗をこれまでになく大きく左右する要素にもなっている。さらにまた、健康に有害な情動をコントロールできない人はチェーン・スモーキングと同じくらいの健康上のリスクを負い、反対に情動のバランスを保てる人は健康を維持できる、という格差まで生じる。

情動は人によって遺伝的に配合が決まっており、それが気質を決定している。ただし、これに関係する脳の神経回路は並はずれた柔軟性を持っている。気質は変えられるのだ。

第四部では、子供時代の家庭や学校における情動学習がその人の情動回路を形づくりEQを決定するプロセスを見る。これは言いかえれば、幼年期から思春期が人生を支配する基本的情動を身につけるうえできわめて重要な時期であるということだ。

第五部では、人生をつまずかないで生きるために必要な情動的・社会的技術を先進的な学校では子供たちにどう教えているか、さまざまな例を紹介する。

本書の中で最も気がかりなデータを選ぶとしたら、多数の親や教師にアンケートした結果、いまの子供は昔の子供より感情面で病んでいることが世界的傾向として確認された、という調査報告だろう。子供たちは昔に比べて孤独でうつうつとし怒りやすく荒れており、神経質で不安で衝動的で攻撃的になっている。

救済策があるとしたら、われわれ大人が子供たちに生きる知恵をどれだけ授けてやれるかだと思う。現時点では子供に対する情動教育は指針もなく、どんどん悪いほうへ向かっている。ひとつの解決策は、学校が新しい視点に立って生徒全員に知と情を統合する教育を試みることだ。本書では第五部で、情動の基礎教育をめざす先進的な学校の授業風景を紹介する。情動の自己認識、自制心、共感など人間として欠くことのできない能力や、相手の話をしっかり聞く技術、紛争を解決する技術、協力しあう技術などをすべての学校で日常的に生徒に教育する時代が来る、と私は信じている。

人間の徳や人格や善き生活について哲学的に考察した『ニコマコス倫理学』のなかでアリストテレスがめざしたのは、情念を知性によって統御することだった。情念は、うまく使えば知恵となって人間の思考や価値観を導き、命を救う。しかし同時に情念は、いともたやすく道から外れるものでもある。アリストテレスも認識していたように、問題は情動そのものではなく、いかに適切な情動をいかに適切に表現するかにある。いま問われているのは、情動にいかにして知性を持たせるか、街にいかにして安寧をもたらすか、地域社会にいかにして思いやりをとりもどすか、である。

ダニエル・ゴールマン (著) , 土屋 京子 (翻訳)
出版社 : 講談社 (1998/9/18) 、出典:出版社HP

目次

日本の読者のみなさんへ
アリストテレスの挑戦

第一部 情動の脳
第一章 情動とは何か
第二章 情動のハイジャック

第二部 EQ~こころの知能指数
第三章 秀才がつまずくとき
第四章 汝自身を知れ
第五章 激情の奴隷
第六章 才能を生かすEQ
第七章 共感のルーツ
第八章 社会的知性

第三部 EQ応用編
第九章 結婚生活の愛憎外
第十章 職場のEQ
第十一章 医療とこころ

第四部 EQは教育できる
第十二章 家庭が教えるEQ
第十三章 心的外傷の修復
第十四章 気質は変えられる

第五部 情動の知性
第十五章 情動教育のかたち

文庫版訳者あとがき

ダニエル・ゴールマン (著) , 土屋 京子 (翻訳)
出版社 : 講談社 (1998/9/18) 、出典:出版社HP