総合商社――その「強さ」と、日本企業の「次」を探る(祥伝社新書)

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ビジネス環境の変化への対処を探る

日本独自の業態として戦後復興期や高度経済成長の日本を牽引し、その後も衰退することなく、現在でも発展を続けている総合商社。本書は、「総合商社とは何か」「なぜ日本にだけ存在するのか」を考察し、「今後も存続するのか」「どこへ向かうか」を明らかにしていきます。

はじめに

二〇一六年三月期決算は、波乱に富んだものとなった。総合商社の純利益ランキングが大きく入れ替わったのだ。それまで、ほぼ不動の1、2位の座を占めていた三菱商事、三井物産が赤字に転落、代わって伊藤忠商事が一躍トップに躍り出た。その原因は、二〇一四年からの資源価格の大幅下落である。

図表1(5ページ)をみると、二〇〇五年頃から総合商社全体の利益が急拡大してきたことがわかる。その勢いは、二〇〇八年のリーマンショックを頂点とする世界金融危機でいったん鈍るものの、止まることはなかった。この間、伊藤忠商事は二〇一二年三月期から住友商事を抜いて3位に浮上、首位の座をうかがっていたようにもみえる。

図表1 総合商社の純利益推移

一九九〇年代後半から二〇〇〇年代初頭にかけて、総合商社はビジネスの構造を大きく変化させ、それを支える経営上の諸改革と、バブル崩壊後の不良資産の処理を同時に行なった。この過程で、業界は7社に再編成されたが、幸運にもこの時期に資源価格が上昇し、総合商社全体の収益を押し上げた。とりわけ、合併・再編に巻き込まれずに、従来からの社名をキープした上位5社が、収益力の面で強みをみせ、隆盛を誇ってきた。

なかでも、三菱商事、三井物産は、資源分野に強みを持っていた。これに対し、二〇〇○年代以降の伊藤忠商事は、むしろ非資源分野への業務展開に力を入れてきた。そのコントラストが鮮明に表われたのが、この決算だった。

本書は、このようなカレントな動きだけを論じようとするものではない。

総合商社は日本独自の業態として知られ、戦後復興期や高度成長期の日本経済を牽引した企業群として、注目されてきた。単なる貿易の担い手であるだけでなく、外務省顔負けの情報収集機能を持ち、プロジェクトのオーガナイザー機能や、資金調達力を生かした投資機能を駆使して高収益を上げる企業群として、世界の関心を集めた。

そのため、「なぜ日本にだけ存在するのか」「その成立の条件は何か」などの問いが提起され、論争が繰り返されてきた。しかも、そうした問いに必ずしも決定的な答えが得られないなか、バブル崩壊後のリストラで復活した総合商社は、ビジネスの構造を大きく変化させている。われわれは、「総合商社とは何か」を、もう一度問うべき時点に立っているのだ。

本書は、以下の点を明らかにしようとしている。

第1に、「総合商社とは何か」「なぜ日本にだけ発生したのか」という、古くて新しい命題に答える。

「総合商社とは何か」の回答が難しいのは、一つには、総合商社が時代によって、その内実を大きく変化させているからである。総合商社という固有の業態が生まれたのは、実は戦後である。戦前にも、三井物産、三菱商事のような総合商社と呼ぶことができる企業が存在していたが、経営環境が大きく異なるなか、戦後のそれと同じものととらえるのには無理がある。そして、現在の総合商社のビジネスは、戦後成立した総合商社のそれともまた大きく異なっている。対象である総合商社自体が変化しているのである。この変化を検証することで、この命題に答えていく。

第2に、バブル崩壊後、総合商社は「投資会社化」したとされるが、その内実を探る。

投資機能は、そもそも戦後の総合商社に備わっていた。また戦前には、総合商社と呼べる三井物産などはもちろん、専門商社ですらこの機能を持っており、戦後顔負けの投資を行なっていた。

一九二七(昭和二)年の金融恐慌を引き金に倒れた鈴木商店は、現在の双日の前身の一つだが、投資により戦後も残る多くの製造業を設立した。双日のもう一つの源流をなす巨大繊維商社の日本綿花は、戦時中の一九四三(昭和十八)年に日綿実業(のちにニチメン、現・双日)に社名変更するが、その理由は、投資による工場経営など事業活動の多角化である。また、十九世紀から二十世紀の第二次大戦後にかけて、世界を股にかけて活躍したイギリスの多国籍商社も、多くの投資活動を行なっていた。

商社の基本的な業務は商品取引であり、総合商社業界ではこれを「トレード」と呼んでいる(本書でもこれを踏襲する)。しかし、投資はトレードと並んで、商社に当初から付随する機能であると言っても過言ではない。したがって、バブル崩壊後の「投資会社化」を正しくとらえるため、総合商社のビジネスのなかで投資の役割がどう変わったのかに焦点を合わせて、みていくことにする。

第3に、「総合商社という業態は今後も存続していくのか」「変化するとすれば、どのように変わっていくのか」を考える。

総合商社はビジネスの構造を変化させた結果、日本独自と言われたその業態は、さらに独自性の高いものになった。かつて、韓国や中国は、経済成長を主導する目的で総合商社を設立することを目論んだ。しかし、世紀が変わった今、そうした動きはみられない。彼らがすでにそれなりの成長をはたしたからでもあるが、現在の総合商社のビジネスの構造が複雑で、他の追随を許さないという可能性も高い。

この独自の業態が仮に存続しないとすれば、どのように変わっていくのだろうか。純粋な投資会社に移行していくのか、資源メジャー化するのか。あるいは、ダウンサイジングや専門商社化、製造業化の道もないわけではない。総合商社は、どこへ行くのかを探る。

具体的には、第1章で変化しつつある総合商社のビジネスモデルを解説。第2章・第3章では戦前、戦後の総合商社の歴史を振り返る。第4章で海外における類似業態の企業との比較を行ない、その特殊性を掘り下げたのち、第5章で総合商社の行方を論じる。

総合商社は日本経済の成長と深くかかわってきた。総合商社の過去を学び、「次」を知ることは、今後の日本経済を占ううえで不可欠である。また、総合商社が今世紀はじめに復活を遂げるにあたって行なった経営改革とビジネスモデルの変革は、多くの日本企業に“気づき”を与えるだろう。経済の大きな流れをとらえ、ビジネス環境の変化への対処を探る書として読み進めていただきたい。

二〇一七年二月
田中 隆之

目次

はじめに

第1章 総合商社、近年の大変化
総合商社の投資会社化
総合事業運営・事業投資会社総合商社の構造変化
総合商社の収益モデル
商権と投資の関係
事業運営・事業投資1 関係会社の活用
事業運営・事業投資2 バリューチェーン戦略
事業運営・事業投資3 投資のリサイクル
経営改革1 選択と集中
経営改革2 リスク管理体制の拡充
経営改革3 コーポレートガバナンスの強化

第2章 商社の歴史・戦前――総合化と投資活動
戦前の商社について
江戸時代の貿易
開港と居留地貿易
幕末・維新期の「商社」
日本人商社の誕生
三井物産の誕生
専門商社の登場
第一次大戦と商社設立ブーム
戦後不況と淘汰
戦前商社の「総合商社」化
三井物産の「総合商社」化
戦前の「総合商社」と専門商社
戦後盛んになった、戦前の商社研究
中川・森川論争
生き残りのための企業活動説
「総合化の論理」
マルクス経済学からのアプローチ
財閥のコンツェルン形成を担った三井物産
財閥の中核ではなかった三菱商事
広範な事業投資を行なった鈴木商店
戦時下の商社
戦前商社の事業運営・事業投資について

第3章 商社の歴史・戦後――総合商社の成立と展開
戦後の復活
国営貿易下の商社
民間貿易の再開
総合商社化への動き
三井物産、三菱商事の解散
繊維系商社の総合商社化
鉄鋼系商社の総合商社化
三井物産、三菱商事の復活
住友商事の新設
10大総合商社体制の成立
戦後の総合商社の特徴
総合商社の四つの機能
「商社斜陽論」がはずれた理由
高度成長下の業容拡大
商社冬の時代
逆風下の対策
業績の回復
バブル期の事業展開
バブル崩壊と「商社不要論」
模索と飛躍への助走
再編成と7大総合商社体制

第4章 総合商社の特殊性
世界での位置づけ
なぜ欧米の商社は総合商社化しなかったのか
アメリカの商社育成
総合商社育成に成功した韓国
総合商社を必要としなかった中国
投資家の低評価に悩む、日本の総合商社
イギリスの多国籍商社の隆盛
イギリスの多国籍商社の消滅
日本の総合商社は消滅するか
総合商社と投資会社
総合商社と投資銀行の比較
総合商社と資源メジャーの比較
格付け会社からみた総合商社

第5章 「総合商社の「次」なる形
資源価格急落の衝撃
今後の業界地図
なぜ日本にだけ総合商社が成立したのか
失われつつある存立条件
なぜ生き延びることができたのか
二つの軸と四つの方向性
総合商社の行方1 資源分野と非資源分野のバランス
総合商社の行方2 国内産業との関係
総合商社の行方3 事業運営・事業投資とトレードの関係
ますます強まる特殊性
総合商社でなくなる可能性
今後の課題

おわりに
参考文献

図表作成……篠 宏行