通貨の日本史 – 無文銀銭、富本銭から電子マネーまで (中公新書)

【最新 – 金融・貨幣の歴史について学ぶためのおすすめ本 – 日本のお金から各国の経済史まで】も確認する

日本の通貨の歴史を辿る

本書は、初めて発行された通貨から現代に至るまでの日本の通貨の歴史を解説している本です。古代から近世の通貨の記述が多いと言えます。経済を安定させるために、為政者が採った政策から、お金の普遍的な性質を読み取れるでしょう。現在の通貨を取り巻く環境をもう一度考え直すきっかけになるかもしれません。

高木 久史 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2016/8/18)、出典:出版社HP

まえがき

比較的最近のエピソードから始めたい。一九六〇年代前半の日本で、一円硬貨が不足したため、銀行は一円硬貨への両替に対応することが難しくなった。結果、小売業者はおつりに必要な数の一円硬貨を調達できなくなった。

対策として、あるスーパーマーケットは、客が一円硬貨のみで支払う場合に特別割引価格を設定した。例えば価格一〇〇円の歯磨きを一円硬貨なら五〇枚で売った。また、ある菓子メーカーは、「おつりガム」と包装紙に書いた一枚一円のガムを駅売店向けに売り、好評を得た。ある商店に至っては、ボール紙に店名と簡単な模様を描いた「一円硬貨」をつくっておつりの支払いに使い、受け取った客が次回の買い物で一円として使えるようにした。これは通貨偽造の疑いがあったが、当局は一種の商品券と見なし、おとがめなしとした。

高度経済成長の時代、マクロ的に見れば一人あたりの国民所得は増えていったのだから、一円硬貨の不足など些末な話ではないか……といってしまうのは傲慢である。一円硬貨が円滑に流通していたならば、かの商店主は通貨偽造罪に問われるリスクを負ってボール紙一円硬貨をつくる必要はなく、その時間とエネルギーを営業活動に使って売り上げをさらに増やせたかもしれない。商店主の悔しさや苦労、察して余りある。

ちなみに一円硬貨の流通高は一九五五年から一九六三年の間に三億三〇〇〇万円から四〇億円余りと、一二倍以上に増えた。同じ期間の日本銀行券の発行高が約三倍に増えたことと比べると、増加率の大きさがわかる。当時、政府は、一円硬貨の流通高は人々の需要を満たしているはずなのだが……、と語っていた。にもかかわらず、売買の現場では不足した。

これらのエピソードが示すことは何か。①同じ円単位の通貨でも、種類によっては、好況だからといって、また供給の量が理論上十分あるからといって、円滑に流通しているとは限らない。②とはいえ、それならそれで人々は不足している通貨の価値を変えて対応した。割引価格を設定したスーパーの場合、一円硬貨に二円分の購買力を与えている。③場合によっては、「おつりガム」や「ボール紙一円硬貨」など、事実上の独自の通貨をつくりだした。

①②③のような現象は、実は日本史上しばしば起きている。とくに③だが、民間でできた通貨システムを政府が採用することすらあった。詳しくは本論で述べるが、例えば平安時代末期から室町時代にかけて、大陸から輸入した銭が、政府の統制に関係なくなし崩しに広く使われるようになったケースがそうである。また江戸時代の三貨制度、すなわち銭と金貨と銀貨を併用するしくみもそうである。江戸幕府が大々的に発行した寛永通宝は、一四~一六世紀に民間が中国の銭を模造したもののなれの果てだった。金貨・銀貨の使用も、戦国から織田信長・豊臣秀吉の時代の社会慣行を幕府が追認したものである。なぜこのようなことが起きたのか。

経済史の教科書では通貨に関して、政府や金融や国際関係に関することが主に語られ、先のエピソードのような、庶民の日常取引の現場のことはあまり語られない。とはいえ本文で述べるように、歴史上は、社会の圧倒的多数を占める庶民の通貨への需要こそが、通貨のありようを左右してきた。その経緯を知れば、通貨についてまた違ったイメージが得られるのではないか。現在残っている記録が政府側のものが主であるため、政策の話がどうしても多くなるが、各時代の通貨政策が庶民にどういう影響を与えたか、という点に重きを置いて語ることにする。以上の問題意識によりつつ、日本の通貨の歴史を見てみよう。

高木 久史 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2016/8/18)、出典:出版社HP

目次

まえがき

第1章 銭の登場 〈古代~中世〉
1 都の建設のために
通貨とは何か
金・銀・銅の特性
初の金属通貨、無文銀銭
最古の国産銅貨、富本銭
和同開珎の目論見
和同開珎は債務証書?
奈良時代の皇朝銭
平安京建設と裁不足
都市民の生活のため
銭の発行停止
米や布の再浮上
中世の兆し――輸入裁と切符系文書
金と銀

2 外国銭の奔流、国産銭の復活
南宋からの波
積極的な清盛
朝廷と鎌倉幕府の裁使用禁止
金からの波
元からの波
民間の模造銭と後醍醐天皇の計画
僧侶の夢日記
銭の密貿易
輸入量の実情
一枚一文、九七枚一〇〇文
撰銭と階層化
撰銭令の再登場
紙幣の端緒、割符
祠堂銭預状
中世の北海道と沖縄

第2章 三貨制度の形成 〈戦国~江戸前期〉
1 シルバーラッシュの中の信長・秀吉
模造銭生産の拡大
無文銭と銭の輸出
大判・小判のプロトタイプ
石見銀山の世界史的意義
国内での銀貨使用
近世的政策の始まり
信長、最初の通貨政策
減価銭が基準銭に、基準銭が計算貨幣に
ビタの基準銭化
秀吉の継承と転換
金・銀統制と朝鮮出兵
家康の金貨

2 江戸開幕、通貨の「天下統一」
慶長金銀
領因貨幣
金・銀・ピタの比価を法定
ピタの後継者、寛永通宝
家綱政権の管理強化
金貨・銀貨の輸出
銭の輸出
日本初の紙幣、山田羽書
藩札の登場
綱吉期の金貨・銀貨改定
荻原銭と紙幣禁止

第3章 江戸の財政再建と通貨政策 〈江戸中期~後期〉
1 改革政治家たちの悪戦苦闘
家宣期の規格改定
新井白石のデフレ政策
吉宗の政策継承
増量路線へ転換
寛永通宝鉄戴
田沼政権、定量銀貨の挫折
明和二朱銀の意義
寛永通宝四文黄銅銭の普及
生き残った藩札と私札
銭匁札
松平定信と長谷川平蔵

2 開港前夜の経済成長と小額通貨
水野忠成の積極財政
発行益依存の強まり
通貨の天保改革
藩札・私札の全盛
近世の北海道と沖縄

第4章 円の時代へ 〈幕末維新~現代〉
1 通貨近代化の試行錯誤
日米修好通商条約と通貨交渉
金貨流出のメカニズム
したたかな通貨外交
万延金と経済混乱
銭不足対策
新政府を悩ませた悪魔貨
太政官金札・民部省金札
為替会社紙幣
円・十進法・金本位制
新貨条例
幕府通貨の退場
藩札処分
「紙幣専用ノ時世」
国立銀行開業
紙幣安問題
日本銀行と兌換銀行券
金本位制再び
幕末維新期の北海道と沖縄

2 帝国の通貨と戦後
円系通貨の帝国主義的拡大
南樺太・南洋群島
関東州・満鉄付属地
第一次世界大戦と関東大震災
金輸出禁止、解禁、再禁止
通貨素材の迷走
占領地通貨
戦後のインフレ
高度成長による高額化
「通貨の戦後」の終わり
戦後の沖縄

おわりに――これからの通貨
主要参考文献
本書に登場する主な通貨
図版出典一覧

凡例
(1)暦年につき、本書では西暦のみ示す。ただし、太陽暦を採用した一八七三年(明治六年)まで、西暦と和暦には一ヵ月程度のずれが生じている(和暦の方が遅い)。なお行論上必要に応じて日本年号を併記する場合がある。
(2)本書で登場する通貨・質量の主な単位は次の通りである。
(銭)一貫文=一〇〇〇文 一疋=一〇文
(金)一両=四分=一六朱=四・四匁=一六・五グラム *一六世紀以降
(銀)一匁=一〇分=三・七五グラム 一貫=一〇〇〇匁 一両=四・三匁 *厳密には、促音(っ)・撥音(ん)に続くときは「ぷん」となる
(金・銀)一枚=10両
なお一匁=三・七五グラムという定義は一八九一年に公布された度量衡法による。これは前近代の実態と必ずしも一致しないが、本書では便宜上、現在の定義による。
(3)旧字体の記録につき、本書では新字体で統一して表記する。

高木 久史 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2016/8/18)、出典:出版社HP