思考としてのランドスケープ 地上学への誘い ―歩くこと、見つけること、育てること

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身近な風景を新しい視点で見直す

ランドスケープとは風景や景観を意味しますが、さらに広義には自然と人との関わりの態様とも考えられています。本書は、身近な風景や事象を、自然と人との関わりという視点から捉える、つまり「ランドスケープ的視点」から見直そうというテーマで書かれています。本書を読むと、普段何気なく通り過ぎている身近な風景を、今までと違った視点で見ることができます。

目次

はじめに

1 FAB-G
100均の工作者
ハイブリッド石積み
サル追い装置
FAB-Gのスキル

2 公園の夏
プレイヤーが見えるゲーム
ルールのレイヤー
地上の論理
公園の地割り
ローカルルールとしての例外条項

風景の写真 1

3 農耕の解像度
里山古墳
農耕の解像度
遺存地割の解像度

4 地形と移動
地形はどこにあるのか
地表の定義
見えない地形
地形を見るツール
移動すること、地図師になること

5 ベンチの攻撃
震災時帰宅支援マップ
都市の登山地図
生存への移動
街路からの都市
ベンチと向き合う

6 土木への接近
高速道路の表と裏
土木構造物の外側と内側
二つの異なる土木受容
団地に見る土木

風景の写真 2

7 終わらない庭仕事
制度としての植物「造園」
行為としての植物「園芸」
都市の自然「雑草」
「園芸」としての庭
日曜大工の規範
「縁側」としての庭

8 ランドスケープの思考
ランドスケープ・アーキテクチュア
造園
ランドスケープ
思考としてのランドスケープ

引用・参考文献

はじめに

本書の書名にある「地上学」というのは造語である。大学で造園学を専攻しランドスケープ設計の実務の現場に長くいた私が、大学で専任教員として研究・教育に携わることになった際に、研究室が主催するゼミのタイトルに地上学という語を入れた。いきなりまともに「造園」や「ランドスケープ」を称するのがいささかおこがましく思ったとともに、そうした既存の専門分野に限定せずに、広く造園/ランドスケープの方法を応用しながら都市や社会や環境と向き合う、そのような研究室を想像したときに思いついたのが地上学というものだった。地上学という「学問」はまだない。そこで、まだ見ない地上学へと研究を進めるという意味を込めて「地上学への研究」を研究室の看板として掲げた。

「地上」はランドスケープの「ランド」と重なっている。ランドスケープという言葉は文脈や立場によってさまざまな意味で語られるために、この語について丁寧に語ろうとするならば、注意深い但し書きを必要とする。「地上」はそうした議論からは逃れて自由である。とはいえ、私はここで風景や造園やランドスケープに代えて「地上」と言おうなどと主張したいのではない。あるいは、風景や造園やランドスケープなどの言葉を包括し統合するために「地上」をもちだしているわけでもない。ランドスケープを巡ってまた新しい言葉を掲げることでさらに話がややこしくなるのは本意ではなく、強い輪郭や体系を与えるよりはその裾野を広げたほうがよいと思っている。

「地上」とはどこか。地上は具体的で固有である。地上は私が歩くところであり、地図が描く対象であり、地図が描くものと私が見聞きするものを結びつける場所である。私は地上を歩きながらいろいろなものを見つけて拾い集め、持ち帰って育てている。

私は記事や本のタイトルに「地上」という言葉をよく使っている。2012年に本書と同じLIXIL出版より「現代建築家コンセプト・シリーズ」として出版された著書『ランドスケール・ブック』の副題には「地上へのまなざし」と入れた。かつて建築-都市の批評誌『10+1』(LIXIL出版)に連載していた論考のタイトルは「地上にて」だった。「地上にて」の連載は、いずれまとめて一冊の本にするという構想のもとに書かれていたものだったのだが、紙媒体としての『10+1』が終了するとともにその計画は中断していた。『10+1』の最終号である50号は2008年に発行されたので、ちょうどいまから10年前ということになる。10年という年月は長く、世界も私もずいぶん変化したが、むろん変わらないものもある。自宅の窓から見える国分寺崖線の木々はそれほど変わらないが、10年前に種から育てて裏庭に植えたオオモクゲンジがいまでは屋根を越える樹高となって、毎年黄色い花を咲かせてくれる。10年の歳月は頭上を覆うオオモクゲンジの枝葉や、成長した子どもたちや、いなくなってしまった猫や着られなくなったスーツで知る体型の変化となって、きわめて具体的にあらわれている。それらの瑣末で日常的で具体的なものごとが「10年間」という抽象的なカレンダーの記述と私をつないでいる。

本書の多くは、その連載を含む、これまでにいろいろな場所や媒体で発表したテキストをもとにしているが、すべて大幅に書き直した。また、掲載されている写真は、特記のないものに関しては、私が撮影したものである。

「1 FAB-G」の一部は、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の学術論文誌『KEIO SFC JOURNAL』に掲載された論文「ものづくりのモデルとしての生活風景」をもとに加筆修正した。「2 公園の夏」は、「10+1 Website」の特集「2017年の建築・都市を読むためのキーワード」に寄稿した文章がもとになっている。「3 農耕の解像度」は日本遺跡学会誌『遺跡学研究』に寄稿した論文と、『10+1』「地上にて」の「遷都1300年の0.25パーセント」がもとになった。
「5 ベンチの攻撃」「6 土木への接近」はそれぞれ、『10+1』「地上にて」の「安全への22キロ」「江東デルタ地帯のマジノ線」をもとにしている。
「7 終わらない庭仕事」は、2016年に日本生活学会研究大会で「郊外一戸建て住宅地の庭空間における共同体の生成」として行なった口頭発表をもとにしている。
「4 地形と移動」と「8 ランドスケープの思考」は書き下ろしたものだが、いずれもふだんから考えたり議論したりしている内容である。

ランドスケープが「使える思考ツール」であるという考えは以前から抱いていたものだが、とくに思考としてのランドスケープということについて深く考えるようになったのは、教員として大学に着任して以来である。いろいろな背景や興味をもった学生たちと一緒に、学生たちが持ち込んでくる思わぬ題材や対象に取り組むうちに、なんらかの提案をしたりつくったりすることに加えてランドスケープ的に地上を眺め歩き、了解したり説明したりすることも「ランスケープ」の有用な使い方であるとますます思うようになってきた。そんな観点から章の構成を見直し、ランドスケープの思考の使い方を示しながらいろいろな事例を挙げて論じた文章が並ぶようにした。

いつものことながら、書いたものを「本」にするにあたって直接的、間接的に多くの方のお世話になった。またその過程で、いかに私が多くの方に支えられ、学んでいるかをあらためて痛感することになった。名を挙げた謝辞はここにはとても書ききれないが、編集や出版の労を担ってくださったみなさん、ふだんから私を気にかけ多くのことを教えてくださっている職場の同僚のみなさん、試行錯誤の研究室に在籍して共に研究に携わってくれている学生たちに、心から感謝申し上げる。そして共に地上を歩いてくれている妻や子どもたちに。いつもながら妻には感謝してもしきれない。期せずしてきょうは20回目の結婚記念日である。

2018年5月30日 石川初