驚異の量子コンピュータ 宇宙最強マシンへの挑戦 (岩波科学ライブラリー)

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量子コンピュータを取り巻く環境を明快かつ科学的な正確さで解説

量子力学の原理とコンピューターの発展の歴史の2本立てて、話が進められて行き、量子コンピューターの歴史については黎明期から最先端の話題まで網羅されています。トランスフォーマーが出てきたり、「宇宙最強のマシン」という言葉が使われていたり、子供がわくわくするような感覚で、最新の知見に触れることができます。

藤井 啓祐 (著)
出版社 : 岩波書店 (2019/11/20)、出典:出版社HP

はじめに

『量子力学』という言葉は、現代のほとんどの人にとっては馴染みがないかもしれない。『量子』の『力学』は、原子や電子などのような直接目で見ることができないミクロな世界を支配する物理法則を指すもので、我々を取り巻く世界を説明するための最も根源的な枠組みを提供する学問体系である。

すでに、スマートフォンやパソコンなどのコンピュータ(半導体)、人間ドックで利用される診断装置MRI(磁気共鳴画像法)、DVDやブルーレイディスクの読み取りなどに利用されるレーザーなど、量子力学は我々の日常生活を影から支えている。さらに20世紀末から21世紀にかけて、量子力学への理解や技術が成熟し、量子的にふるまうミクロな世界を直接制御する技術が発展してきた。その結果、21世紀になり量子力学は影からついに表舞台へと躍り出ることになり、その不思議な性質を実際に確かめることができるようになった。これに付随し、量子力学の不思議な性質を情報科学的な観点から理解し直し、その量子性を積極的に応用する、という量子情報科学が誕生している。量子情報科学の研究は基礎・応用、学術・産業問わず、科学技術の数少ないフロンティアとして世界中で盛んに研究が進められている。その代表例が、量子力学の不思議な現象を動作原理とするコンピュータ、『量子コンピュータ』である。

私が量子コンピュータに興味をもち勉強を始めたのは、量子コンピュータの実現といえばまだSF(サイエンス・フィクション)の域を超えなかった2004年、大学3年生の時だった。例えば、2007年に公開された米国の実写映画版『トランスフォーマー』シリーズ第1作で、エアフォースワンのセキュリティを難なく突破したエイリアンを評したのが以下のセリフだ。

「―この生物は進化を続けています。いずれフーリエ変換の域を超えて量子力学の域に達するでしょう。」
フーリエ変換の域を超えると量子力学の域になるかどうかはさておき、たかだか十数年前には、よくわからないけれどもすごそうな言葉の代名詞として量子力学が挙げられている。実際、量子コンピュータの重要なアルゴリズムでは「最子」フーリエ変換が利用されていて、2019年現在、この域に達しつつあるのかもしれない。2004年当時、すでに基本的な原理実証実験は実現されていたものの、極めて単純な実験装置であって、コンピュータと呼べるようなシステムは夢のまた夢だった。2000年代なかばにあって、量子コンピュータの実現は30年先とも50年先とも言われていた。

私は、もともとエンジンとかマイクロマシンとか緻密に設計され動作している機械などいかにも工学的なものに興味をもって工学部に入学した。一方で、大学に入って専門分野を学ぶ中で、せっかく大学にいるのだから、すでに世の中にあるものを研究しても面白くないと思っていた。高校までの勉強とは違い、大学における工学はどんどん専門分野に分かれていき、何か根源的なもの、普遍的なものへの憧れというのが強くなってしまった。つまり、目標を失ってしまったのだが、そんな私が魅了されたのが、単純なルールで我々の住む物理世界の基本的なルールを説明する量子力学だった。ただ、応用や工学をしたいという志向は強かったので、量子力学そのものを研究したいという気持ちはそんなに大きくなかった。そんな頃に、本屋でたまたま手に取った日経サイエンスの別冊号で、量子情報科学や量子コンピュータの存在を知った。究極の物理法則である量子力学を応用して、情報科学を展開する、しかも量子コンピュータはまだまだ実現していない。これはまさに当時の私にピッタリなテーマだった。

それから、まさか十数年後に、インターネット経由で誰でもアクセスできる量子コンピュータを使って、プログラムを動かせる。時代が早々に来るなどとはまったく思っていなかった。科学技術の進展はめざましく、10年先などまったく予想できないということを今実感している。最近では、グーグル、IBM、インテル、マイクロソフトといったITの巨頭たちがこぞって量子コンピュータの実現に向けた研究開発競争を繰り広げている。IBMは、インターネットを介して誰でも使えるようにクラウド上で量子コンピュータを公開し、グーグルは独自開発した量子コンピュータとスーパーコンピュータを競争させようとしている。大企業ばかりではない。D-Wave社(D-Wave Systems)やリゲッティ・コンピューティング(Rigetti Computing)といったペンチャー企業も量子コンピュータ実現に向けた戦いに参入し、量子コンピュータのハードウェア開発に先鞭をつけた。壮大な夢を謳い、ひと昔前まで実現不可能とまで言われていた量子コンピュータを取り巻く環境は、ここ数年で完全に変貌をとげてしまった。

本書の校了を間近に控えたまさにこの瞬間にも、従来コンピュータの頂点に立つスーパーコンピュータが1万年かかる計算をグーグルが開発した量子コンピュータは数分でやってのけてしまうという驚異的な潜在能力が実証されたという発表があった。人類史上はじめて量子力学の原理で動くコンピュータが従来のコンピュータに対して数学的にきちんと定式化された問題において圧勝するという歴史的瞬間、量子超越性を達成したというのだ。私は、この論文の査読をした3人の研究者のうちの一人である。開発競争を繰り広げるIBMのグループからは、スーパーコンピュータをうまく使えば、2・5日に計算時間を短縮できるという反論も出ている。しかし、いずれにせよ数分と数日の差は大きい。今後も量子コンピュータは進化し、従来のコンピュータの性能を圧倒するであろう。

このニュースは世界のメディアですぐさま広まり、量子コンピュータによって現在の暗号システムが解読されてしまうのではないかという不安も広がった。それを受けて仮想通貨であるビットコインが一時的に暴落した。しかし、これは過剰反応である。残念ながら、現在の量子コンピュータの能力は限られている。今回、量子コンピュータにとって有利であり、従来コンピュータにとって不得意な問題設定でやっと量子コンピュータに軍配が上がったというだけである。

残念ながら、明日から我々が日常的に使っているコンピュータが量子コンピュータに置き換わるわけでも、既存の暗号システムが瞬時にすべて解読されるわけでもない。量子コンピュータが実用的な問題で従来コンピュータを凌駕するためにはまだ10年以上の年月を要すると考えられている。それでもなお、我々の住む宇宙を支配する物理法則と同じ量子力学で動作するコンピュータ、いわば宇宙最強のコンピュータを作り上げ、精密に制御し、実行したい計算をプログラムし、その計算結果が従来コンピュータでシミュレーションできない域に達したという事実は、科学技術における歴史的な転換点を迎えたと言える。我々研究者は今、この世界的な奔流によって科学技術に大きな転換がもたらされつつあるのを興奮とともに体感している。

本書は、このような興奮を少しでも多くの方に体感してもらいたいという思いで、執筆を始めた。量子コンピュータをめぐる研究開発競争はいったい何処をめざしているのか?そもそも、量子コンピュータとはいったい何であり、どのように驚異的なのか?そして、最子コンピュータはこの先我々人類に何をもたらしうるのか?できるだけわかりやすく、そして科学的に正確に、解説していきたいと思う。

2019年11月 藤井啓祐

藤井 啓祐 (著)
出版社 : 岩波書店 (2019/11/20)、出典:出版社HP

目次

はじめに

第Ⅰ部 物理学とコンピュータの歴史
1章 量子力学の誕生
古典物理学の限界/電子の奇妙なふるまい/物質(粒子)と波の統一民子の性質
2章 コンピュータと物理法則
コンピュータの父パベッジ/アナログとデジタルチューリングマシンの登場/情報科学の発展/デジタルコンピュータの発展/ムーアの法則とその限界
3章 量子コンピュータの夜明け前
情報科学と物理学の再会/計算にエネルギーは必要か?/古典万能計算/量子力学の可逆性に着目量子コンピュータの登場

第Ⅱ部 量子コンピュータの仕組み
4章 量子情報と量子ビット
量子の重ね合わせ/量子の情報を数値化する量子ビット/エンタングルメント神はサイコロを振る/パラドックスから応用様々な量子ビット
5章 量子コンピュータのからくり
量子コンピュータへの拡張/たくさんの量子ビット/量子ビットを古典コンピュータで表現すると?/最子力学で古典コンピュータを理解し直す/0と1だけの世界から解き放たれたコンピュータ/並列性と干渉/素因数分解問題/ショアの素因数分解/量子ビットのいらない量子アルゴリズム
6章 量子とノイズのせめぎ合い
エラーとの戦い/量子ビットはノイズに弱い/量子情報はコピーできない/アナログコンピュータ/エンタングルメントで戦え/第一次ブームと停滞期/実現への壁
7章 ブレイクスルー
ヒントはエキゾチックな物質に/量子アニーリング/ギークたちによる究極のエンジニアリング/巨人たちが動く

第Ⅲ部 量子コンピュータの挑戦
8章 量子超越をめざして
極限的に複雑な世界へ/計算の複雑さの測り方/物理現象の複雑性/量子超越への道筋/古典コンピュータとの戦い/グーグルの量子超越/自然を検証することの難しさ
9章 量子コンピュータはスパコンに勝てるのか?
NISQはノイズとの戦い/量子古典ハイブリッドアルゴリズム/量子コンピュータと人工知能/究極的な困難さへの挑戦
10章 宇宙をハッキングする
量子コンピュータがもたらす未来/民子コンピュータは宇宙の箱庭/宇宙をハックする/さいごに―量子の挑戦
イラスト(図1、3、6、10、11、12、14、15、16、17、18)=いずもり・よう

藤井 啓祐 (著)
出版社 : 岩波書店 (2019/11/20)、出典:出版社HP