北朝鮮現代史 (岩波新書)

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抗日闘争の時代から金正日による先軍政治までの激動の歴史を解説

著者は金正日の白頭山誕生神話の真相を我々に知らしめる一方、北朝鮮を擁護する数々の発言でも知られています。本書ではこの国の様々な負の面を捻じ曲げずに記述しています。
朝鮮民主主義人民共和国に関心がある人には一読の価値がある一冊です。

和田 春樹 (著)
出版社 : 岩波書店 (2012/4/21)、出典:出版社HP

まえがき

「北朝鮮が謎の国と見られるようになったのはそれほど昔のことではない。……北朝鮮が謎の国である以上、真実を知りたいと思う気持ちは自然である」。
私がそういう人々の思い—それは私の思いでもある—にこたえるつもりで著書「北朝鮮遊撃隊国家の現在』を書いて、上梓したのは、一九九八年三月のことであった。金日成の死から四年が経過して、金正日の体制がはっきり現れる時点であった。だが、その新しい体制、言いかえれば金日成死後のその国の体制変化をとらえることに、私は失敗してしまった。「遊撃隊国家」が継承されたと書いたが、それはすでに終わっていたのである。
数カ月後、私がそのことをソウルのシンポジウムで説明し、金正日の新しい体制を「正規軍国家」とみると報告したとき、韓国の研究者たちは「遊撃隊国家」が続いているという見方の方が妥当だと言い、私の新しい考えを支持してくれたのは、私の学生だった徐東晩だけだった。
出したばかりの本を修正するのはぶざまなことである。しかし、やむをえない。この本の韓国語訳が二〇〇二年に出たとき、私は補説を書き加えて、本の副題を「遊撃隊国家から正規軍国家へ」と改めた。

自分の研究の不十分さを別にして言えば、北朝鮮の現在を読み解くことはかくも難しいとあらためて思い知らされた経験であった。北朝鮮は内部情報を完全に秘匿することに成功している例外的な国家である。北朝鮮の現在について知りうる良質の内部資料は得られない。その事情は金正日死去という北朝鮮史の大転換期を迎えたいまも変わりがない。
一四年前の先の本では、私は、そういう北朝鮮を知る第一の方法は「歴史的に考える」ことだと指摘した。内部資料がある時期の歴史を研究して、内部資料がない現在の体制を推測する必要があるということである。一四年前は北朝鮮の出版物が基本的に見られるソ連占領期が手がかりになる時期だった。
さらに私は、第二の方法として、現在の体制を考えるのに「モデル分析」をとることが必要だと指摘した。北朝鮮の体制を理解するのに研究者はさまざまなモデルを採用して、その適合性を検証してきた。日本天皇制の国体と北朝鮮のチュチェ(主体)の類似性に注目したカミングスの「コーポラティズム国家」論、社会主義と儒教的伝統の「共鳴」を本質とする鐸木昌之の「首領制」論が代表的なものである。私が構築したのが第三のモデル、「遊撃隊国家」論だった。モデルを採用すれば、その有効性を検証し、有効ならばそのモデルによって資料の空白の部分を推定する。モデルを念頭に置きながら、朝鮮労働党の機関紙『労働新聞』や理論誌『勤労者』、指導者の著作集を精読することが最も重要で、その上で、ソ連・東欧の国家社会主義体制との比較研究、指導者の系列、派閥、人事異動への注目、もれてくる内部情報の活用などが併用されなければならない。今日もこのような方法が引き続き有効であり、さしあたり、これに付け足すことはない。

一四年間に大きく変わったのは、ソ連・東欧社会主義体制の終焉の結果が本格的に現れ、質の高い内部資料を入手しうる北朝鮮の過去の時代が大きく拡大したことである。いまでは一九四五年の解放とソ連占領の開始から北朝鮮の基本的体制、国家社会主義体制が確立される一九六一年までの歴史は、ほぼ十全に明確な歴史像が得られるようになったと言っていい。
北朝鮮史の前史になる満州での抗日武装闘争史については、一九九二年の私の著書『金日成と満州抗日戦争」がすでに基本的な歴史像を与えている。その本で私が依拠したのは改革開放以後の中国の歴史家の新研究であったが、彼らは中国共産党の文書資料を研究していた。その文書資料は六〇冊余の内部発行資料集、「東北地区革命歴史文件植集」(一九八八~九一)となって公刊されたが、もとより私が利用できたのは一九九二年の本を書いてからであった。しかし、この資料集の中の金日成にかんする最も重要な記述は、あらかじめ中国の歴史家のノートによって私に知らされ、私の本にとりこまれていたのである。その記述を私の著書から引用することも含めて、それまでの神話的な歴史像を書き換えた「金日成回顧録世紀とともに』全八巻(一九九二~九八)も刊行された。本書では、新たに知られた金日成の父の友人製敏洙の回想を取り入れたぐらいで、この部分の修正は基本的にない。

一九四五年の解放から四八年の建国にいたる時期については、朝鮮戦争のさいの捕獲北朝鮮資料が一九七〇年代にアメリカで公開され、第一の資料となっていた。そこに戦争前の北朝鮮の基本的出版物がそろっていたのである。この資料を体系的に使ったのはチャールズ・アームストロングの「北朝鮮革命一九四五~五〇」(101)である。しかし、ソ連終焉期になると、韓国の若い研究者金聖甫、田鉱秀、奇光舒らがモスクワでソ連占領軍の文書資料を系統的に調査して、その成果をつぎつぎに発表した。田鉉秀のモスクワ大学博士論文は九七年に出たし、金聖甫は韓国で北朝鮮土地改革の研究を二〇〇〇年に出版した。韓国の研究者がロシアの文書館で発見した最も重要な資料は朝鮮共産党北部朝鮮分局の機関紙「正路」全号である。私もモスクワでこの新聞の幻の創刊号と感激の対面を果たした。この資料は本書の叙述にとりこまれている。

朝鮮戦争については、スターリン、毛沢東、金日成の往復書簡などの極秘文書が一九九四年にソ連から韓国に渡され、一九九六年にはアメリカの冷戦史国際プロジェクトの努力で、これがすべて利用可能になった。私はこの資料を他の中国の資料などと合わせて分析し、『朝鮮戦争全史』を二〇〇二年に出版した。その後明らかになった最も重要な資料は一九五二年のモスクワでのスターリン、金日成、朴憲永の問答の記録である。
戦後の復興期、社会主義建設期については、ロシア人ランコーフがソ連外務省の文書を使って、五六年の反対派について先駆的な論文を九五年から発表し、以後も研究をつづけて最新の本、『一九五六年八月―北朝鮮の危機』(二〇〇九)にいたっている。だが、二〇〇〇年代に入って、一九五三~五七年のソ連共産党中央委員会外国共産党連絡部資料が公開されマイクロフィルム化されたものを下斗米伸夫が発見するに及んで、研究が大いに進むことになった。下斗米はこの資料を使って、二〇六年、『モスクワと金日成一九四五~六一』を刊行した。この本はあまりに誤りが多く、テキストとしては依拠できないが、資料ガイドとして役にたつ。他方で韓国の中央日報系のKデータベースが五〇年代のソ連外務省の文書を獲得し、ネット上で公開している。二つの資料群を合わせると、一九五五~五八年のソ連大使の日誌をもれなく見ることができる。
一九四五年より一九六一年までの時期については、北朝鮮の新聞雑誌、それに労働党中央委員会発行の「決定集』(一九四五~五六)に基づいて、体系的に書き上げた徐東晩の著書『北朝鮮社会主義体制成立史」二〇〇五)が最も基本的な研究である。

というわけで、ここまでは北朝鮮の歴史はほぼ解明できるようになった。しかし、六〇年代に入ると、ソ連の大使館も北朝鮮の内部情勢がわからなくなる。ソ連・東欧・中国・ベトナム・キューバの大使たちは集まって、意見を交換するが、誰も飛び抜けた情報をもっていない。この段階以降のことについては、いまや平壌の旧東ドイツ大使館の資料が最も重要視されている。そこに特別の情報があるというわけではないが、文書資料がドイツ連邦共和国に受け継がれ、全面的に整理・公開され、最も利用しやすいからである。ドイツ人の研究者ベルンド・シェーファーがこの資料を使って、基本的に一九六六~七五年の時期についてすでに三本の論文を発表しているが、北朝鮮独自の体制が生まれる六〇年代後半の決定的時期について、ヒントになる資料を私もベルリンで発見した。

一九七〇年代以降は内部資科が得られない時期である。その面では亡命者の証言がたよりになる。八〇年代はじめに亡命した、労働党対外情報調査部副部長であったといわれる申敬完の証言は鄭昌鉉が記録して、彼の本に紹介している。邦訳は「真実の金正日――元側近が証言する』(二〇一)である。彼は六〇年代末から中央委員会で働きはじめたと言われ、そのころからの情報に価値がある。一九九七年に亡命した党書記黄長雄の証言は研究者にとって最も興味ひかれるものである。彼は韓国でいくつかの本を書いた。しかし、重要な証言をすることを避けたままに死んだという印象である。彼の本から得られる情報は残念ながら多くない。私は亡命後一度も会う機会がなく過ごしたのを残念に思っているが、彼が自由に話してくれたかどうかは疑問である。
というわけで、一九六一年までの内部資料に基づく歴史認識に立脚して、モデルをつくり、公式資料によって、それを検証するという作業によって、私は本書を書いた。叙述は政治・外交にかたより、民衆の生活はほとんど出てこないものとなっている。それは資料や分量の制約というよりは、著者の研究のレベルの反映である。

本書以前に書かれた北朝鮮史の叙述としては、韓国では、金学俊の「北朝鮮五十年史――「金日成王朝」の夢と現実』(一九九七)と金聖甫・奇光舒・李信微「写真と絵で見る北朝鮮現代史』(1010)をあげることができるし、日本では、小此木政夫編著「北朝鮮ハンドブック』(一九九七)と、平井久志「なぜ北朝鮮は孤立するのか――金正日破局に向かう「先軍体制」』(1010)をあげることができる。平井の本はひどいタイトルをつけられているが、金正恩への移行期について書いたもう一つの本とともに、信頼しうる本である。
本書がこれらの先行の業績に新しいものを付け加え、北朝鮮をよりよく認識する一助となってくれればうれしい。

和田 春樹 (著)
出版社 : 岩波書店 (2012/4/21)、出典:出版社HP

<著者略歴>

和田春樹
1938年大阪に生まれる.東京大学文学部卒業,東京大学社会科学研究所教授,所長を経て、現在,東京大学名誉教授、東北大学東北アジア研究センター・フェロー専攻はロシア・ソ連史,現代朝鮮研究
主著に『ニコライ・ラッセル――国境を越えるナロードニキ」(上・下,中央公論社)、『歴史としての社会主義』(岩波新書),『テロルと改革アレクサンドル二世暗殺前後』(山川出版社)、『ある戦後精神の形成1938-1965』(岩波書店),『日露戦争起源と開戦』(上・下,岩波書店),『日本と朝鮮の一〇〇年史』(平凡社新書)ほか

和田 春樹 (著)
出版社 : 岩波書店 (2012/4/21)、出典:出版社HP