拉致と核と餓死の国 北朝鮮 (文春新書)

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北朝鮮で何が起きているのかを独自に分析

この本は、朝鮮問題のエキスパートで、かつて、『赤旗』の特派員として、平壌で生活した体験を持つ萩原遼氏が、自分と朝鮮の関わりを回想した第一章に始まり、小泉首相の北朝鮮訪問についての厳しい総括と、北朝鮮で起きた飢餓の原因についての分析を展開しています。幅広い方に読まれていい著作です。

萩原 遼 (著)
出版社 : 文藝春秋 (2003/3/20)、出典:出版社HP

まえがき


昨年(二〇〇二年)の八月三十日のことだった。私が名誉代表の一人をつとめる「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」(山田文明代表)が支援している在日朝鮮人帰国者の裁判の判決の日であった。愛知県岡崎市から朝鮮総連の甘言にだまされて北朝鮮に渡り、夢破れて命がけで三十八度線を突破して韓国に脱出した金幸一さんが原告となって朝鮮総連の責任を問う裁判である。朝鮮総連のおどしに怯えたのか三輪和雄という裁判長は実質的な審議に入らず、時効で逃げる門前払いの判決であった。

傍聴券の抽選のため並んでいるとき顔見知りの記者が「いま本社から入った緊急連絡」として、「九月十七日に小泉が平壌に行き金正日と会談する」と教えてくれた。その日から私の身辺もにわかにあわただしくなった。九・一七以降は文字どおりほんろうされた。
そのとき私は、二年あまりアメリカに滞在しながら九〇年代の北朝鮮とアメリカの関係を調べていたが、裁判傍聴を含めて二週間の予定で一時帰国中であった。早くアメリカに戻って調査のけりをつけたいとあせったが、連日のマスコミへの対応や雑誌執筆などで帰れないまま三ヵ月あまり過ぎた。
そんなとき、文藝春秋の文春新書編集長の浅見雅男さんから本書の執筆を勧められた。浅見さんは私がためらっているのを励ますためか「広い意味のエッセーでもいいですから」といわれた。私の気持ちが軽くなると同時に、パリで会った成惠現さんという北朝鮮からの亡命女性が心をよぎった。小学生のときの一九五〇年に、革命家の両親に連れられて韓国から北朝鮮に移住した人である。新生の社会主義国である朝鮮民主主義人民共和国のために両親もご自身もすべてをなげうって献身したあげくに夢破れて一九九六年に亡命の道を選んだ。いまもヨーロッパのどこかでさまよっているはずである。

金日成・金正日親子ほどおびただしい人々をだまし、夢を破り、破滅させた例は歴史にも珍しい。息子金正日は、九〇年代に入って、国を完全に破綻させ、自分の生き残りのために三百五十万人もの自国民を餓死殺人するという稀代の奇策で乗りきった。私がいまアメリカで研究しているテーマもまさにそれである。成惠最さんと金親子の過去六十年近い流れの中でいま進行している日朝関係を考えるというヒントを浅見さんが与えてくれた。


拉致の事実を金正日は自供した。悔い改めたからではない。自身の生き残りの策略として。しかし拉致が行われたというその事実に日本人は驚愕した。むりもない。六十年近く平和な島国に生きていて、外国の特殊部隊に襲われるなど夢にも思わなかった。それが現実におこなわれたということを知ったとき人々の意識は急速に変わる。
朝日新聞や岩波書店の雑誌『世界』、和田春樹などの北朝鮮シンパたちが唱えてきた「拉致はない」「疑惑に過ぎない」などという妄言が完全な虚偽であったことが判明して、彼らの周章狼狽ぶりは見苦しいほどである。第二次大戦後、戦犯がきびしい指弾を受けたように、人の命をもてあそんだ彼らの言行がきびしい審判を受けるのは当然である。しかるにこの期におよんでも朝日新聞は、拉致究明の世論を「不健康なナショナリズム」(二〇〇三年元旦号社説)と呼ぶ。戦前の軍国主義への嫌悪感がまだ強く残っている日本国民に媚を売って風圧をかわそうとするものだ。北朝鮮と朝鮮総連が、拉致究明の日本世論を、かつての日本軍国主義の復活だとか国家主義と呼び、「反日感情」をあおって逃げ切ろうとする動きと軌を一にする。

いま日本の朝日新聞や和田春樹などの親北朝鮮分子と北朝鮮が強調するのは、かつての三十六年間の日本による朝鮮植民地支配の事実である。このことは日朝両国が何十年もかけて真剣な検討と究明によって事実を明らかにし、日本はしかるべき謝罪と賠償をするべき行為であることはいまさら言うまでもない。だが拉致がさしせまった解決を迫られているこの時に、あえて六十年前の問題をいま解決せよという論は、拉致の解明という国民的関心に煙幕を張って覆い隠す意図があるといわれても仕方なかろう。彼らに共通する欠陥は、金正日の暦政によってすでに三百五十万人以上が殺され、いまも日々殺されている北朝鮮の民衆の惨状についてはまったく言及しないことである。そして金正日=北朝鮮国民と思いこんでいるその幼児性である。
国内でほしいままに殺人を犯す北朝鮮の独裁者であるからこそ他国の国民を平然と拉致し洗脳し奴隷として番使できるのである。この日本において拉致を糾弾し、その完全解決を要求することは、北朝鮮で圧政に苦しむ国民と連帯し、彼らとの共同闘争を展開することにつながる。


エセ言論機関や工セ知識人がまきちらしてきた誤った論は、拉致被害者家族によってただされた。二十数年間金親子に苦しめられてきた人々の北朝鮮を見る目は正確であり、そこに幻想はない。そして拉致の解決は原状回復しかない、というまっとうな主張で一貫している。家族会(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)とそれを支えた救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)が、苦悩の中で得た認識がいまや世論となって政府すら動かしている。
拉致一色という揶揄の声もあるが、いまの日本外交で拉致以上にさしせまった重大な案件がどこにあるのか。また救う会には右翼がいるといって忌避する声もあるが、拉致の解決は国民的課題である。右も左もない。私は過去五十年近く日本共産党員として活動し、うち二十年は赤旗記者として共産党本部で働いた。そのことを誇りとして生きている。思い出すのは戦前の中国の国共合作である。銃火を交えたがいに殺しあった敵どうしの国民党と共産党が「抗日」の一点で大同団結したことである。いまこの日本で生まれつつある北朝鮮の国家犯罪と対決する国民戦線に拉致解決の一点で団結し、左右を問わず、思想信条を問わず、心あるすべての人が結集することが望ましい。

この本の中でまだ仮説ながら金正日による三百五十万餓死殺人について紹介した。日本国民による拉致の解決と、大量殺人容疑者金正日を糾弾することは同一線上にあると考えるからである。
革命の首脳部を攻撃する者は爆殺するというのが金正日一派のおどしの常套句である。私もつい先日六十歳半ばを過ぎた。十分に生きた。命は惜しくない。拉致された同胞を救い、金正日に日々殺されているわが愛する北朝鮮民衆を救援する中で、稀代のファシスト金正日一派のテロは覚悟のうえである。

この書を、苦しむ日朝両国の犠牲者を救い出す新たな私の闘いの闘争宣言とする。

二〇〇三年二月十二日 萩原遼

萩原 遼 (著)
出版社 : 文藝春秋 (2003/3/20)、出典:出版社HP

目次

まえがき

第一章 わが青春の北朝鮮
一 遠い思い出
二 朝鮮戦争のころ
三 大阪
四 人生の転機
五 私の朝鮮の原点 尹元一
六 大阪文学学校
七 在日詩人金時鐘
八 大阪外大朝鮮語科
九 郭宗久
十 徐勝事件
十一 金思燥先生
十二 美しい歌
十三 一九六七年金日成クーデターの裏側

第二章 策謀渦巻く日朝交渉
一 春はめぐりくるか?
二 修羅場の五日間
三 「朝日」に変化のきざし?
四 「日朝平壌宣言」を検証する
五 金正日は拉致をカードに身代金交渉
六 売国のピエロ小泉首相と田中身
七 小泉は寓話の愚かなニワトリ
八 核開発を自白した金正日
九 日朝国交正常化は空中楼閣
十 朝鮮半島は紛争地、日本だけでは北と国交できない
十一 金丸信のあえない失脚
十二 和田春樹の鉄面皮
十三 朝鮮総連は拉致幇助の責任をとれ
十四 総連指導部は即退陣せよの声
十五 拉致被害者救出の「国民戦線」
十六 たたかう決意こそが
十七 おどしやすいアメリカと韓国、おどしにくい日本

第三章 仮説・金正日による三百五十万餓死殺人
一 大転換の一九八八年
二 チャウシェスク夫妻処刑のショック
三 生き残りの手段としての核
四 北朝鮮の核開発の歩み
五 アメリカをおびきだした金正日
六 仮説への試行錯誤
七 北朝鮮はなぜアメリカを脅せるのか
八 もうひとつの恐怖の仮説
九 餓死者の数字
十 抹殺の土壌は「成分」という身分制度
十一 抹殺の武器、配給制度
十二 飢餓地獄絵
十三 銀死殺人という奇策

「やがてはそうなるであろう」―あとがきにかえて、

萩原 遼 (著)
出版社 : 文藝春秋 (2003/3/20)、出典:出版社HP