熱海の奇跡―いかにして活気を取り戻したのか

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衰退した観光地“熱海”の再生

人口減少社会を迎える日本では、地域活性化は重要な課題といえます。本書では、衰退した観光地の代名詞となっていた熱海の再生のための街づくりへの取り組みがわかります。活性化ために次から次へと実践するバイタリティが凄まじいです。自分の意識を変えるきっかけとなる1冊になるでしょう。

市来 広一郎 (著)
出版社 : 東洋経済新報社 (2018/6/1)、出典:出版社HP

熱海の奇跡―目次

プロローグ ビジネスによる“まちづくり”があなたの街を再生する
五〇年間の衰退を経験した熱海のV字回復
観光白書でも取り上げられた民間の力
ビジネスの手法を用いた「民間主導の」まちづくり
熱海の街をリノベーション
日本全国どんな街でもできる、ビジネスによるまちづくり

【第1章】廃墟のようになった熱海
熱海は五〇年後の日本の姿
日本一の温泉地としての全盛期
見る見る衰退していった九〇年代
保養所が閉鎖
バブル崩壊の余波で故郷を追われる
観光に求めるものが変わった
街の魅力を求めるお客さんたち
《第1章で紹介した「成功要因」》

【第2章】民間からのまちづくりで熱海を再生しよう
地元熱海にこだわる理由
いずれ熱海に戻ろう
旅して気づいた熱海の可能性
このままでは都会にも地方にも未来がない
コンサルティングという仕事のやりがいと限界
自分自身のミッションに気づいた一新塾
まちづくりを仕事にする——事業を通して熱海を変えよう
熱海に没頭するために会社を辞める
帰郷
《第2章で紹介した「成功要因」》

【第3章】まちづくりは「街のファンをつくること」から
地元の人たちが熱海を知らない
観光客も地元の人も街に満足していない現実
地元には人も資源もあふれるほどある
農地の再生——「チーム里庭」
熱海市の行政マンとの出会い
地元を楽しむ体験交流ツアー「オンたま」
「こんな熱海知らなかった」——続々と生まれる熱海ファン
熱海の暮らしが幸せになった
地元の人の意識が変わった
面白いことが起きそうな街へ——役割を終えて次のステージへ
《第3章で紹介した「成功要因」》

【第4章】街を再生するリノベーションまちづくり
自転車の両輪
リノベーションまちづくりの生みの親、清水義次さんとの出会い
現代版「家守」は「リノベーション」で街をつくる
熱海の中心街をリノベーションする
まちづくりにビジネスで取り組む
街への投資資金を生み出す
株式会社machimori
補助金には悪循環のリスクがある
街の要は不動産オーナー
街の変化の兆しを捉え、新しい使い手を呼び込む
《第4章で紹介した「成功要因」》

【第5章】一つのプロジェクトで変化は起き始める
中心街・熱海銀座に「点を打つ」
CAFE RoCAをオープン
「初期投資を三分の一にしなさい」
「最初は、自分の金で成功して見せなさい」
家でも職場でもない“第三の居場所”をつくる
困難だらけの二年間
CAFE RoCAの成功と失敗
志と算盤
《第5章で紹介した「成功要因」》

【第6章】街のファンはビジネスからも生まれる
ゲストハウス「MARUYA」
泊まると熱海がくせになる
ゲストハウス立ち上げの困難
ゲストハウス立ち上げに協力してくれた人々
ゲストハウスの資金調達
二拠点居住の入り口となるゲストハウス
熱海はインバウンド比率が低い
旅人が来るほど街にとってプラスになる観光へ
街の人たちが感じる変化——人こそが街のディスプレイ
《第6章で紹介した「成功要因」》

【第7章】事業が次々と生まれ育つ環境をつくる
海辺のあたみマルシェ
「やってから謝りに行く」ことで理解を得る
起業が次々と起こるnaedoco
《第7章で紹介した「成功要因」》

【第8章】ビジョンを描き「街」を変える
クリエイティブな三〇代に選ばれる街
自ら仕事や暮らしをつくっていく中心となる三〇代
ビジョンを共有する場をつくる
熱海銀座は変わり始めた
若者、女性、シニア、多様な人がいるからこそ生まれる空気
熱海のリノベーションまちづくりのこれから
地域と起業家をつなぐ、現代版家守の役割
《第8章で紹介した「成功要因」》

【第9章】多様なプレイヤーがこれからの熱海をつくる
本格的に動き出した行政
まちづくりの動きの背景と行政の支え
ATAMI2030会議
起業家を生み出す「創業支援プログラム99℃」
新たに生まれた家守や起業家たち
自らリスクをとって動き出してくれた不動産オーナー
V字回復の裏にある、熱海のプレイヤーの世代交代
二〇三〇年に向けて、これからが本当の始まり
本当の「リゾート」を目指して
《第9章で紹介した「成功要因」》

エピローグ 都市国家のように互いに繁栄を
外から来る人が熱海の魅力をつくってきた
二〇三〇年の熱海の風景と、この国の風景
たった一人からでも街は変わる、社会は変わる

市来 広一郎 (著)
出版社 : 東洋経済新報社 (2018/6/1)、出典:出版社HP

プロローグ
ビジネスによる“まちづくり”があなたの街を再生する

五〇年間の衰退を経験した熱海のV字回復

衰退していた熱海がV字回復した。
二〇一四年頃からマスコミなどで、盛んにそう言われ、注目されるようになりました。かつて、首都圏の近郊に位置する温泉地として栄えた熱海は高度経済成長期から徐々に衰退していって、バブル経済が崩壊した前世紀の末から二〇〇〇年代にかけては、すっかり見る影もなくなっていました。
熱海の旅館やホテルの宿泊客数は一九六〇年代半ばには五三〇万人でしたが、二〇一一年には二四六万人と半分以下に落ち込んでいます。
しかし、それから四年後である二〇一五年には三〇八万人となっていて、短期間に二〇%以上も急増したため、熱海はV字回復したと言われているわけです。
熱海再生の要因として外的なものはいくつか挙げられます。
まず一つは、かつての繁栄を支えていた大型温泉ホテルの廃業後、低価格で泊まれるホテルが次々とつくられていったことです。お客さんのニーズの変化を捉えて急成長した観光ホテルグループが熱海にも展開してきたことによります。
バブル経済崩壊後の長い不況、さらにはそこから脱したかに思えたときに起こったリーマンショックなどにより、旅行の在り方が確実に変化していました。旅行は「安・近・短」と言われて、大都市圏の人々は近場にあり費用の安いところに短期間だけ遊びに行くというスタイルに変わっていったのです。
熱海の従来型の大型温泉ホテルが、リーズナブルな価格で泊まれるホテルチェーンに取って代わられたのは、こうしたニーズの変化を象徴するものでした。
二つ目の要因は、二〇〇七年頃から団塊の世代が定年を迎え、熱海に移住しようという人たちが増えていったことです。
別荘が次々と建てられ、それまでの旅館やホテルがリゾートマンションに建て替わっていきました。この動きにより、熱海に新しい住人が増えていき、観光による経済の活性ではなく、街の住人による熱海の内需の拡大が可能な状況になりました。
しかし、これら二つの外的な要因だけでは、きっと熱海の再生はありませんでした。

観光白書でも取り上げられた民間のカ

二〇一七年に観光庁が発行した観光白書で、熱海は観光地再生の事例として取り上げられました。観光白書では、熱海の再生を実現させたのは、行政、民間の各プレイヤーによる努力と試行錯誤があってこそだとして、次のような三つの要素を挙げています。
① 財政危機をきっかけとした危機意識の共有、首長主導での観光戦略の合意形成
② 観光関連者の中で統一プロモーションの必要性を共有、新規顧客獲得に向けて若年層をターゲットに選定
③ やる気のある民間プレーヤーにより、個人客を意識した宿泊施設のリニューアルやコンテンツづくり
この三つの要素のうち、③についてはこのような記述もあります。
「民間ベースでは、やる気のある宿泊事業者により旅行スタイルのニーズに合わせた施設のリニューアルや、Uターン者が立ち上げたNPO法人による魅力的なコンテンツづくりが進められている。このように、従来の観光関連事業者、Uターン者が中心となって新たなプレーヤーを巻き込み、行政の観光地域づくりの基盤をつくる取組と連携しながら活躍することで、熱海が生まれ変わりつつある」

平日も観光客で賑わう熱海駅前

ここに指摘されている「Uターン者が立ち上げたNPO法人」とは、おそらく私たちの組織(NPO法人atamista)のことですが、観光白書では私たちの活動について、さらに詳しく、次のように指摘しています。
Uターン者(NPO法人atamista)による熱海の魅力的なコンテンツづくり
・熱海の街・農業・海・緑・歴史・健康などの資源を生かし、住民・別荘保有者・観光客のための体験交流型イベント事業(「オンたま」事業)の提供
・株式会社machimori(NPO法人atamistaから派生)が、熱海の中心商店街の空き店舗をリニューアルし、カフェ、ゲストハウス等を運営等
これらはどれも、私たちが行ってきた熱海再生のための取り組みであり、観光庁が熱海再生に寄与していると公式に認めてくれたことになります。
つまり、民間の小さな活動からでも街は変えられるということなのです。

ビジネスの手法を用いた「民間主導の」まちづくり

「ビジネスの手法を用いて街を活性化させる」
私が民間の立場から熱海の再生のために決めたアプローチを一言で表すならこうなります。
熱海のまちづくりを行う民間企業を、自分たちの手で立ち上げ、街の再生に取り組んでいます。私たちのまちづくりは、税金に頼るのではなく、自ら稼ぎ、街に再投資し事業を生み育てることで、街に外貨を呼び込んだり、経済循環を生み出すことを目指す事業です。
地元をなんとかしたい。地域のコミュニティを再生したい。地域にある文化を次の世代につなげていきたい。地域の自然を守りたい。
こうした想いは大事です。しかし、街の経済と向き合うことなしに、衰退している街を生まれ変わらせるということはできません。
さらに経済と向き合うといっても、ただ単に人口を増やしたり観光客を増やしたりすればいいという単純な問題ではありません。魅力のある商品やサービスを生み出す企業をたくさん育て、街そのものの魅力を高めることによって経済的な実力を備えることがなければ、街は持続的に繁栄することなどできないからです。
また、ビジネスで街を活性化させると言っても、行政による支援や連携は不要というわけではありません。行政には行政にしかできない役割があります。でも、決して、行政がまちづくりの主体ではありません。なぜならば私たちの街は本来私たち自身がつくるものだと思うからです。
また行政はお金を稼ぐことが得意でもありません。でも、観光やまちづくりの分野は本来、街として稼ぐ部分であり、そこで稼いだお金が税金として納められることによって福祉や教育などの行政サービスが可能になるはずです。
だからこそ、まちづくりは、あくまでも民間主導であるべきだと、私は思っています。
「自分たちの暮らしは自分たちでつくる、自分たちの街も自分たちでつくる」
私たちが大事にしていることはこのことであり、その活動を持続可能な発展をするものにしていくには、お金に向き合うことがとても重要だということなのです。

熱海の街をリノベーション

全国で衰退の危機に瀕している数多くの地方都市と同様に、私たちの熱海にもシャッター街が広がっていました。中心街には一〇年以上も使われずにシャッターが閉めっ放しになっている店舗ばかりが目立ち、通りを歩く人はほとんどいないというありさまでした。
私たちは、空き店舗だらけの熱海の中心エリアを復活させたいと考えました。
私たちのまちづくりでは、「リノベーションまちづくり」というやり方も活用しています。
リノベーションとは建物をリフォームするということと混同されて使われることもありますが、単に古いものをもう一度新しくきれいにして使うということではありません。古いものを新しい価値観で見直し、新たな魅力を生み出し使うということです。
リノベーションまちづくりとは、遊休化してしまった資源を活用し、そこに新たな価値を発明し、街を再生する取り組みなのです。
リノベーションまちづくりとは、街の独自文化を活かし、古いものに新しい価値を与える、そんな新しい発想を持った人による経済活動のことです。リノベーションを行うことで、街の文化が魅力を増します。そして、住民自らが生活を楽しめるようになることで内需が拡大し、かつ、外から遊びに来る人が増えて外貨を獲得するという展開を目指すわけです。
つまり、自らの街の文化を見直し、魅力を高め、経済力を増強することで、街を持続可能な形で活性化するという考え方なのです。
そのために大事なのは、新しい価値を生み出す人の存在です。
リノベーションまちづくりで最もカギとなるのは、古い店舗を新しい価値観で再生させてくれる人たちを呼び込むことでした。そこでこの中心エリア再生のために掲げたのが、こんなビジョンだったのです。
「クリエイティブな三〇代に選ばれる街になる」

私たちは、まず、自分たちで空き店舗をリノベーションしてカフェをオープンし、地元の魅力ある人々をここに集めて交流の場にしました。
すると、そうした新しいプロジェクトに惹かれて、地元の面白く意欲のある人々が集まり始めます。外から来る面白い若者が泊まれるゲストハウスを開くと、そこを拠点にして、街に人が流れ始めたり、また熱海に移住する人も出始めます。こうした動きをみていて、このエリアに出店したいという人々が次々とシャッター街の空き店舗で事業を始めたのです。
こうして、熱海の街は変わり始めました。
観光業界にせよ行政にせよ、街の方々は、私たちが提唱していた「リノベーションまちづくり」の意義に賛同し、積極的に支援し、協力してくれました。
熱海市の行政の方々、観光協会や商工会議所や旅館組合の方々、熱海銀座商店街の方々、熱海で旅館や喫茶店や飲食店やお土産物屋さんなど商売をする方々、NPOや市民活動団体の方々、そして熱海に移住してきたシニアの方々、若者たち、農家さん、漁師さん……。こうした多様な方々の理解や協力、支援、共同の取り組みがあってこそ、私たちの活動は成り立ってきました。
よく、「どうやってそんなに多くの人を巻き込んだんですか?」と聞かれることがあります。その答えになっているかどうかはわかりませんが、「大きなビジョンと小さな一歩」ということを常に心がけてきました。いきなり大きくはなれないし、多くの人は巻き込めなくても、一つ一つ、階段を上るように一歩一歩つくりあげていくことで、段々と多くの人と新たな町をつくりあげることができました。
こうした中で、熱海の街のファンができ、ファンがサポーターになり、サポーターがプレイヤーになりという風に、街の担い手も次々と生まれ育ってきたのだと思っています。

日本全国どんな街でもできる、ビジネスによるまちづくり

この本では、熱海で私たちが培った経験を、可能な限りお話しました。
ビジネスの手法でまちづくりをすることは、熱海だけに使えるやり方というのではなく、日本全国どこの地域でも使えると思うのです。
なぜなら、かつての熱海の衰退は、日本全国の地方の衰退と同じ構造で起こったからです。
まず、熱海の衰退は、全国の温泉観光地の衰退と共通した原因を持っていました。
高度経済成長期には盛んだった団体旅行や企業の慰安旅行が激減し、個人や家族単位での旅行が主流となったことで、従来の温泉観光地はお客さんのニーズに応えられなくなっていました。この図式は熱海に限らず、全国の温泉観光地に共通して当てはまります。
さらに、熱海では中心街に人通りがなくなり、シャッター街となっていきました。これは、温泉観光地というより、全国の地方都市に共通した衰退の兆候です。
シャッター街に象徴される地方の衰退は、これまで、しばしば人口減少が原因だと考えられがちでした。
しかし、最近、地方活性化に取り組んでいる人々の間では、人口減少よりも街の魅力の乏しさこそ問題だと、捉えられるようになっています。
私たちもこの考え方に賛同しています。
そして、解決法として選んだ一つが、シャッター街となってしまった街の中心を「リノベーションまちづくり」という手法を用いて新しいまちづくりをすることだったのです。
こうした活動は、待っていれば、行政や街の誰かがやってくれるわけではありません。気づいた人がやるしかないのです。私自身も自らの街の課題に気づいてしまったところから始まりました。たった一人では何もできない、でもたった一人からでも始められる。そして続けることで街は変わっていく。
どうか、私たちの経験則を、皆様の街の活性化にお役立てください。
日本の地方は必ず活性化し、衰退から立ち直ることができる。
私たちはそう確信しています。

市来 広一郎 (著)
出版社 : 東洋経済新報社 (2018/6/1)、出典:出版社HP