霞が関残酷物語―さまよえる官僚たち (中公新書ラクレ)

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霞ヶ関の問題点を概観

労働省元キャリアの書いた一冊です。本書は、中央省庁の役人が厳しいプレッシャーの環境にあることをテーマとしています。自己の経験と、長年の取材をもとに官僚達の本音を描き出しています。特に暴露話に偏ることもなく、その記述は具体的に真実に迫っています。

西村 健 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2002/7/1)、出典:出版社HP

一〇年越しの重版に当たって

本書は二〇〇二年(平成十四年)、迷走の極みにあった公務員制度改革論議のあり方に一石を投じるべく、霞が関という町を知るための参考にでもなってくれれば、との思いから執筆したものである。筆者が中央官庁の勤務を離れ、執筆の世界に飛び込んでからちょうど一〇年という節目でもあり、自らの体験とその後の取材で知り得た官僚たちの生の声をできるだけ活かすべく心掛けた。おかげさまで好評をいただき、編集部の努力と読者の皆様の支持の賜物でこうして初版から一〇年もの時を経て、重版の運びとなった。心から感謝申し上げる次第である。

執筆当時は最新の情報をできるだけ織り込むよう心したつもりだが、読み返してみると当然のことながら、今となっては現状に合わない記述・説明も散見できる。特に二〇〇九年、民主党による政権交代は状況を大きく変え、例えば本文中、自民党の政務調査会を「”族議員”発生の温床」として指摘したが、鳩山由紀夫政権下では「与党・政府一元化」の旗印の下、自党の政策調査会(民主党では「政務〜」ではなく「政策調査会」)は会長職ともども廃止された。

ただし首尾一貫された政策方針ではなかったらしく、次の菅直人政権下で政策調査会長(ただし閣僚と兼務とされた)及び各部門会議が復活した。さらに野田佳彦政権では政策調査会長の閣僚との兼務も解かれ、権限の強化が図られた。自民党時代の制度に”先祖返り”した格好で、否定していた旧来のやり方が実は政策決定の迅速化に有効、と認めたようなものに他ならない。古臭い制度にも設立時には何らかの意義があったはずで、組船が出てきたとすれば長年続いたことによる内部癒着、現状と合わなくなってきた制度疲労などが考えられる。運用さえ改善すればよかったかもしれないものを、いきなり「廃止」としたから問題が生じたわけで、制度改革にはメリット・デメリットの細かな解析が不可欠との教訓ではあったろう。

新たに政権を担った政党がある程度の試行錯誤を繰り返すのは仕方がない、と許容すべき面もないわけではない。ただしあまりに迷走が過ぎることは既に国民にも見抜かれつつあり、現に自民党政権下で進められていた公務員制度改革も停滞しているのが実情で、人事院の見直しは今後どうするのか、内閣人事局は本当に設置されるのか等々、本格的な議論は端緒につくこともできないでいる。民主党政権による混乱はまだまだ、終息の兆しはどこにも見えないのが偽らざるところと言っていい。こうして意思決定機関である政権が右往左往するたびに、振り回されるのが霞が関の官僚である。「無意味に走り回らされるのはいい加減にしてもらいたい」「意思決定がどこでなされているのか分からない。あまりにもお粗末に過ぎる」「そもそも民主党に政権担当能力などなかったんだ」などなど現役官僚のボヤきを実際、筆者は多数、耳にしている。どうやら「霞が関=残酷な町」というテーゼは、なおしばらくは「真理」のまま引き継がれそうな雲行きである。

細部にはあれこれ現状と異なる部分が生じてはいても、本書で指摘した問題点の本質は何ら変わってはいない。変わらず霞が関という町を理解する一助として、本書をお役に立てていただければ幸いである。もっともそれは一〇年前の問題提起にもかかわらず、公務員制度に何の変化ももたらさなかったという意味で作者としては、忸怩たる思いの裏返しでもあるのだが……。

二〇一一年十月

西村 健

西村 健 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2002/7/1)、出典:出版社HP

目次

一○年越しの重版に当たって

序章 無法の町、霞が関

1 キャリアとノンキャリア——「残酷人事」其の壱
2 事務官と技官——「残酷人事」其の弐
3 国家公務員法アンタッチャブル——無視される国法
4 永田町という雲上界——霞が関を上回る“特権階級”
5 辞めるか、死ぬか、諦めるか——官僚に残された”地獄の三択”

終章 それでも希望を探して……

あとがき

西村 健 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2002/7/1)、出典:出版社HP

序章 無法の町、霞が関

●大蔵騒動と外務省スキャンダル

「またか……」
二〇〇一年十一月三十日。公金流用問題で揺れる外務省が三〇〇人を超える処分職員の内訳を発表したとき、誰もがそう感じたのではないだろうか。
ホテルに代金を水増し請求し、差額をプールしておいた裏金——四一一万円を私的に流用した新井隆二サンパウロ領事、同じくホテルの裏金三八七万円を着服した成田修三チェンナイ領事の両名は、懲戒免職。その他は懲戒停職、懲戒減給、懲戒勧告……といった、クビにもならない“処分”を受ける職員の名前がズラリと並ぶ。「『外交機密費』流用か外務省幹部口座に一億五〇〇〇万円」
二〇〇一年元旦、『読売新聞』のスクープで幕を開けた外務省スキャンダルは、その後の田中眞紀子前外相と同省との暗闘という伏線も手伝ってさまざまな話題をまき散らし、ほぼ一年近くにわたって国民の耳目を引きつけてきた。しかしそろそろそれも終わりにしたい。この異例の大耳処分をもって、スキャンダル追及は幕引きとしてもらいたい。そんな、外務省の嘆息が聞こえてくるような処分内容の記者会見だった。
結局この時までに外務省職員で逮捕・起訴されるにいたったのは、松尾克俊元要人外国訪問支援室長、小林祐武元経済局課長補佐、大隈勤元経済局事務官、浅川明男元西欧一課課長補佐の四人。いずれも霞が関でノンキャリアと言われる職員ばかりである。キャリアと呼ばれる幹部職員で、法的罪に問われた者は一人もいない。金額の多寡はあれ、ホテルやハイヤー代を水増し請求して公金をプールし、それを懐に入れたという罪の中身は同質だというのに……。

「またトカゲのシッポ切りで事件にフタをしてしまおうとしているんじゃないの?」
そう。それが事件の経過をつぶさに見てきた一般国民の、きわめて常識的な感覚であろう。ところが——
「あんな中途半端な処分でお茶を濁そうとしてしまったお陰で、省内には職員間の感情に拭い去れないしこりだけが残ってしまった……」

そんな外務省キャリアの義憤を証するかのように、現実には外務省の思惑。も空しく、その後も同省はスキャンダルにまみれるばかり。田中前外相の辞任と逮捕された鈴木宗男衆院議員との衝突、その鈴木議員によるアフガニスタン復興支援会議への非政府組織(NGO)排除圧力、川口順子新外相による「外務省改革の決意」表明、中国・瀋陽の日本総領事館への朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)亡命者駆け込み事件……等々など。ニュースやワイドショーに格好の騒動は、現在も連綿と引き起こされている。そしてついに二〇〇二年五月十四日、鈴木との異常な癒着関係をささやかれていた佐藤優元主任分析官(国際情報局)が、前島陽元大洋州課課長補佐(アジア大洋州局)とともに東京地検特捜部に逮捕されるにいたった。
この佐藤はいわゆるノンキャリア。前島のほうはキャリアだが、この二人については前四人の逮捕・起訴とは少々趣きが違うと見たほうがよいだろう。容疑はあくまで「背任」だが、地検の目線の先には本丸——鈴木逮捕があり、そのXデー(結果的にこれは二〇〇二年六月十九日になったわけだが)のための「外堀埋め」であったことは明らかだからだ。
「鈴木逮捕の橋頭堡として側近の佐藤をまず逮捕した。前島はあくまでスケープゴートでしょう。事件関係者の中でいちばん気が弱いからね。突つけばすぐベラベラ喋る奴だから、事前に証言を集めておいて鈴木逮捕の地盤固めに利用しよう……それくらいの意図なんじゃないの?そういう意味では気の毒にも思いますよね」(外務省キャリア)
いずれにせよ省まみれのスキャンダルは、いましばらくは続きそうな雲ゆきである。そしてつい数年前にも、霞が関で同じような事件があったことを嫌でも思い出してしまう。接待汚職問題で揺れた、旧大蔵省——。

一九九八年四月二十七日。大蔵省(現・財務省)は過剰接待に関する内部調査に基づき、一一二人に上る職員の処分を発表した。発表内容はすでに逮捕・起訴されている職員を除き、長野幡士証券局長(当時)らの懲戒減給”処分”等々などというもの。この事件をキッカケに国民による行政不審は頂点に達し、それを払拭しようと省庁再編まで引き起こしたスキャンダルにしては、あまりにあっけないケジメのつけ方だったと言えよう。たしかに大蔵省としてもこの醜聞が尾を引き、その後の行政改革で財務省へと組織を改編。その金融監督部門は切り離されて内閣府傘下の金融庁となるなど、省としてはそれなりの“傷”を負うこととなったが——職員に対する処分についてはこれで”幕”が下ろされることになった。
結局このとき逮捕・起訴までされたのは、宮川宏一元金融証券検査官室長、谷内敏美元金融検査部管理課長補佐、榊原隆元証券局総務課長補佐、宮野俊男元証券取引等監視委員会上席証券取引検査官の四人。このうち、いかにもスケープゴート的に逮捕された榊原元補佐(何と言っても事件当時まだ三十八歳の若手)のみがキャリアで、他は三人ともノンキャリ職員だった。スケープゴートのキャリアが一人だけという人数も、奇しくも今回の外務省事件とまったく同じである。おまけに外務省の前島は逮捕時三十七歳だから、「若手のスケープゴート」という意味でも両者は見事に符合している。
またこの一連の”大蔵騒動”では二名の自殺者まで出たが、これもどちらもノンキャリ職員。そもそもこの大蔵過剰接待疑獄の火つけ役となった、中島義雄元主計局次長、田谷廣明元東京税関長の二名(こちらはいずれもキャリア)については、懲戒免職を食らっただけで罪にも問われていない——現在はどちらも民間企業の幹部としてのうのうと過ごしていることからすれば、まさに「天と地の差」と言えるだろう。

結局何か事件が起こればノンキャリアから血を流す。キャリアの犠牲は最低限に留め、どうしようもなくなったら若手からスケープゴートを出す。これが霞が関における、一般的な決着のつけ方と言えそうだ。少なくともここ数年のうちに立て続けに起こった旧大蔵省、外務省のスキャンダルを見る限り、それが国民の率直な感想ではないか。そういえばお隣の永田町においても、似たようなセリフをしょっちゅう耳にするな……と嫌でも連想してしまう。疑惑の浮上した政治家による常套文句——「それは、秘書が勝手にやったことで……」。
「いや。処分内容は懲戒減給と言ったって、現実には自主退職を迫られる。これさえなければ将来事務次官になれたかもしれない幹部職員からすれば、その経歴を捨て去らねばならなかったということだけでも、社会的な罰は受けたと言えるのではないか?」
好意的に解釈すれば、このような弁護の声も聞こえてきそうである。実際、内部的な処分は”停職”や”減給”でも、その後これを機に追われるように省を離れた幹部たちも多い。
それでも法律で罪に問われたノンキャリたちの身の上からすれば、そんな社会的制裁などへみたいなものだろう。司法機関によりはっきり、”犯罪者”と名指しされた彼ら。理想論はどうあれ——いかに塀の中で罪を償ってこようとも、いったん“前科者”の烙印を押されれば一生社会で肩身の狭い思いをすることになるのがこの国の“現実”なのだから。

「いや。実際にキャリアは、省内で、自らの手で金を扱うようなドロドロした実務に従事していない。巧みな経理操作で裏金を捻出するような、そんな知恵も技術も持っていないんだ。そうした裏方の仕事は常日頃から、すべてノンキャリアがやっている。そしてそんなノンキャリから差し出された裏金を、出所も知らずにノホホンと使っているのがキャリア。本当に悪い事と知らずにやっているんだから、現実に法で罪に問うのは難しいんじゃないの?」
そういう指摘をする向きもあるかもしれない。なるほどそれは一理あろう。たしかに役所の中で、経理や人事という”キナ臭い”実務はすべてノンキャリがこなしているのが現状。そして裏でどんなドロドロした操作が行われているかトンと知らぬまま、対外交渉などの表の仕事をしているのがキャリアの実像なのだ。だから現実に法を適用する際は、ノンキャリに対するより、”技術的”困難があるのは事実かもしれない。

しかし忘れないでほしい。これまで名前の取り沙汰された”不逮捕”キャリアたちは、いずれも逮捕されたノンキャリ職員らを指揮する立場の高い地位にいた。当然彼らには監督責任というものがある。もちろんそれが問題とされて“懲戒減給”その他の処分になったわけだが、それにしても基本的に、全体的に処罰が甘過ぎないか。責任ある者ほど重い罪に問われる。それが一般社会における常識であろう。ましてやコトは、公的資金や権限を私的に活用し、国の信用をドン底まで貶めた犯罪”に対するものである。一般の使用者責任などよりずっと重い罪に問われるべきなのは、当然ではないのか。
しかも外務省におけるスキャンダルは、代金水増し請求からプール金の私的流用と、犯しているのは逮捕された者とまったく同じ行為である。松尾元室長の捻出した裏金で、飲み食いさせてもらっていたキャリアも数多いという。それどころか旧大蔵の中島元次長にいたっては、問題視されたのは中国の健康飲料輸入・販売契約を民間と取り交わすという、国家公務員法上の「兼職禁止」に触れるであろう違法行為。なのに彼は現在、民間企業から役員待遇で職を得ているというのだから何をか言わんや。塀の内に落ちた面々からすれば、まさに、”雲泥”の境遇であろう。
結局彼らの塀の内外の運命を分けたのは、懐に入れた金額の多寡ともうひとつ——何よりキャリアとノンキャリアの差。これであろう。責任ある地位にあるキャリア幹部が逮捕・起訴などされたのでは、省全体の名誉が失墜してしまう(そもそもそんなものとっくに失墜しているのだが)。職員の士気に与える影響も大きく、到底そういう事態は避けなければならない。つまりはそういう判断なのだろう。だから横の繋がりもある(首相官邸や内閣府などの出向先で席を並べることも多い)検察・警察上層部のキャリアと手打ちをして、ノンキャリアの首を差し出すだけで勘弁してもらう。そのあたりの思慮についてはおそらく、一般
の国民も薄々感づいているところなのではないか。

●霞が関身分制度

キャリアとノンキャリアの差——
そう。霞が関にはいまも厳然として、身分制度。と呼ぶべきものが現存している。それも国家公務員採用I種試験合格者と、それ以外——この、キャリアとノンキャリの別だけではない。同じI種試験の中にも実は一三もの職種区分があり(二〇〇○年度の試験までは何と二八にも細分化されていた〔表2—1参照])、そのうちどの職種で合格したかによってその後の昇進に明確な“差異”が生じる。このことは第2章に詳しく述べるが、結局はこのときI種試験「法律職」で採用されたキャリアでなければ、まず官僚のトップ——事務次官にまで登り詰めることは難しいのだ。それどころか技官で採用された場合、ほとんどの省では本省の局長にさえなれることなく職場を後にすることになる。つまりは採用時の試験で、”身分”が定まり、その後の人生がほぼ決定してしまう。それが霞が関という——一般の感性とはおよそかけ離れた——一種異様な”ムラ”」における、犯すべからざる。”常識”なのだ。
しかし一方——これはまあ当然のことだろうが——そんな“身分差別”を「しなさい」と規定している法律など、この国にはありはしない。それどころか「そんな不透明な人事運用はしないように」と明確に定めている法律さえちゃんと存在しているのだ。先にも出てきた国家公務員法がそれである。
にもかかわらずこの法律は、霞が関では無視されたまま。戦後五十余年にわたる長い長い期間、国家公務員法は「死に体」のまま放置されてきたのである。これは明らかな法律違反——百歩譲っても法律無視の言動ではないか。このことは第3章に詳しく述べるが、要は霞が関という町は自国の法律さえ守らない「無法地帯」なのである。そんなところに一般国民が「法律を守りなさい」と言われて、誰が納得できようものか!?
筆者は一九八八年四月、「土木職」で旧労働省(現・厚生労働省)に技官として採用され、丸四年間その中で働かせていただいた。四年というきわめて短い期間ではあったが、その独特な社会の只中にいたことで、まったく外部の方よりは内部の雰囲気を理解しているつもりである。また、その後文筆の世界に身を投じてはや一〇年。取材の過程で多数の現職官僚に知己を得、その本音に耳を傾けてきた。
そこで言えることはただひとつ。一人一人の中央官僚は決して、巷間言われているような悪魔でも冷血動物でもないということだ。まあたしかに挫折の経験が少ないだけ独善に陥りやすく、人の痛みに疎いという面はあるかもしれないが——本来彼らだって、血も涙もある人間である。それもどちらかと言えば少年時代、世間の荒波に揉まれた経験に乏しい分だけ、根は純朴な人間である。そういえば筆者の旧労働省時代の先輩に、映画『あゝ野麦峠』を見て胸を打たれ、「こんな劣悪な環境に置かれた労働者を救わなければならない」との思いからこの職場を選んだ……という人さえいた。
最初から悪意を持って、霞が関に職を得る者などいない。少なくともほとんどの新規採用者はそうだ。大多数の職員は当初、「どうせやるなら大きなことをしたい」「この国のためになる仕事をしたい」。そう“青雲の志”に燃えて、中央省庁の門を潜ったのである。そのはずなのである。

しかしまた一方、役所で実際に仕事をしていて「こんなはずじゃなかった」と歯噛みする覚えがたびたびなのもまた事実である。「こんなことをするために俺は公務員になったんじゃない」「国民がわれわれに望んでいるのは、少なくともこんな仕事じゃないはずだ」。良心ある公務員ならば必ず、どこかにそんな無念を抱きつつ日々を過ごしているはずなのだ。世悩たる思いに責め苛まれつつ、現実と折り合っているはずなのだ。ではなぜそうなのか。なぜ霞が関というところはそうした、職員一人一人の良心さえ叩き潰して心にもない業務に従事せしめているのだろうか。
そこにはさまざまな要因が絡んでいよう。一言で断罪できる構造矛盾があるのなら、そんなものはとっくに改善されているはずだ(少なくともそう信じたい)。
それでも筆者は、この霞が関の“身分制度”こそがひとつのキーなのではないかと考えている。
役所だって人の組織である。そして組織の要は人事である。そんなことは組織論の、基本中の基本だ。
なのに霞が関ではその制度が曖昧なまま放置されてきた。それを規定した国家公務員法を、戦後五十余年にわたって無視し続けてきた。その無法行為が培った職員の士気喪失。政官関係の歪み。そしてすでに袋小路にいたった感のある、構造腐敗。それこそが霞が関における、あらゆる問題の根幹なのではないか。少なくともこれまでの体験と、取材の過程を通じて筆者はようやく、その確信を得るにいたった。

現在政府においても公務員制度改革論議が進められており、新人事制度に基づく国家公務員法改正案を二〇〇三年度中にも国会に提出予定だという。しかしその中間報告(あくまで報道された案)を見る限り、根本的な解決は到底期待できそうにない。それどころか問題の先送りであればまだしも、ヘタをすれば「現状改悪」という最悪の未来さえ招きかねないのだ。
もともと毎回方針ばかりが大仰で、最終的には「かけ声倒れ」の「大山鳴動鼠一匹」に収束するのは政府による、”自前”構造改革の常套手段。それは二〇〇一年一月六日の「戦後最大の行革」——省庁再編劇の結果を見てみても、ご覧のとおり、だ。そもそも実情がどうなっているのかをちゃんと見ようともしない——あるいは見たくもない——政府に、表層だけの議論を任せていても、結局問題に蓋をするだけに終わるのは自明の理。こんなことを繰り返していても時間と、何より公費の無駄遣いなのである。いま大切なのはまず第一に、霞が関の現状がどうなっているのか冷静に、客観的に見据えてみること以外にあるまい。すべての議論はそこから始められるべきではないのか。
役人がもはや完全にやる気をなくし、「国のための仕事」という観点を放棄してしまっては、最終的に番い目に遭うのは一般の国民であろう。しかも役人もまた国民の片割れ。その彼らもが現行の“霞が関身分制度”のせいで、窮屈な毎日を余儀なくされている——。
現状のままでは国民の誰をも幸せにしない霞が関というシステム。その無法の構造に本書では、できるだけ大胆かつ具体的に切り込んでみたいと思う。

西村 健 (著)
出版社 : 中央公論新社 (2002/7/1)、出典:出版社HP