高級官僚 “霞が関帝国”の舞台裏 (講談社文庫)

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「高級官僚」という言葉自体を死語に

官僚再編時代を迎えた今、「霞が関帝国」をめぐる覇権争いは、ますます激しさをましています。水面下で展開される高級官僚の新しい動きと狙いは何か?許認可権と補助金行政をテコに、日本を裏から操りつつ、天下りと利権の蜜に群がる、新エリート集団の実態をえぐる。背広の下の発想、政官民で築く覇権と利権の動きを、綿密な調査で明かす力作です。

室伏 哲郎 (著)
出版社 : 講談社 (1987/4/1)、出典:出版社HP

まえがき

「高級官僚」という言葉自体を「死語」にしたい——本書は、まず、その願いに立って書かれた。
一九八六年(昭和六一年)度の国家公務員I職(上級職)試験の競争率は一五年ぶりで二〇倍の大台を割り、ここ数年来続いていた学生の「高級官僚の門」への志願者離れも表面化している。
一八の中央省庁をはじめ、日本の官僚組織の枢要部にボストをもつ高級官僚は、現在なお一万余に及ぶ許認可権をはじめ各種の強大な行政権限を掌握し、天下り、生涯年収の格差など数々の特権にアグラをかき、四五〇万公務員のトップに君臨しながら、なぜ、未来の担い手たちに見放されるほど魅力を失ったのか。
今日、東京・霞が関の官庁街に立てば、明治以降、官尊民卑、いや、戦後ですら、官高民低が常識であったこの国の行政風土に、大きな地殻変動の地鳴りが聞こえるという。
三十有余年に及ぶ長期政権担当の間に、政治・行政のカナメである予算編成、法案作成のノウハウを体得した政府与党は、これまで、その分野で絶対の主導権を握っていた大蔵省を頂点とする官僚組織に大きなダメージを与え、いわゆる「政高官低」の時代が招来されている。
また、輸出産業を中心とする大企業優先の効率第一主義で、過剰行政指導をおこない、日本経済の高度成長の加速役を果たした通産省も、その集中豪雨輸出型外需優先政策の必然的ツケとしての構造的な諸外国との経済摩擦によって、大きく地盤沈下を招いている。
さらに、田中元首相の手法で象徴されるように、集票と引換えの補助金行政、財政投融資等に依存する公共事業費の撒布に便乗して、わが世の春を謳歌していた建設省も、ゼロシーリング時代に突入して、そのビヘイビアは狭められたが、今日また夢よもう一度と復活に狂奔している。
その他、国鉄問題や航空行政等で「民活」に圧倒されている運輸省、聖域の「米」輸入問題や厳しさを増す一方の漁業水域問題等で外圧にゆらぐ農水省等、往年の利権官庁も、このところ冴えない。
一方、本書でも、特に章を設けて取りあげたように、戦前の大内務省の復活を思わせる自治省、警察庁の台頭、三流の現業官庁から一気にニューメディア時代の一流官庁にのしあがった郵政省、あるいは、ゼロシーリング時代に、ひとり膨張する軍事予算を呑みこんで肥大し、発言権を増しつつある防衛庁、あるいは大統領的首相のもとに、安全保障会議”の中核として再編成された内閣調査室等、時代の波に乗った官僚組織も存在する。日本の政治、行政、経済のメカニズムは、よく「ジャンケンポン三極支配構造」だといわれた。つまり、「政治」は「行政」に強く、「行政」は、「財界」に強く、「財界」は(政治資金を供給する)「政治」に強いという構図である。しかも、その中核は、利権を手土産に与党政治家として「政治」にも、また、「財界」にも天下り可能の高級官僚たちであった。
しかし、今日、「党高官低」と民活エネルギーの「民高官低」といわれる様変りした時代に、長い間、主権者である国民の方ではなく、政府権力者の側に顔を向けていた高級官僚のレーゾン・デートルや既得特権等が、その官僚メカニズム自体とともに、根底から問いただされ、洗い直されている。
八〇年代の行革の風は、大蔵省を中心とする官僚組織の巧妙な抵抗によって、何等実を結ばないまま終ろうとしているが、主権者である国民の側からの官僚批判は、民間エネルギーがますます奔出する時代には、さらに、より根強くかつ広範な第二、第三の行政改革運動に拡大展開することは疑いを入れない。
本書は、その国民主権の側に立ち、デモクラシーは、すべての官僚制、官僚組織との対決、克服であるという首尾一貫した思想によって、叙述された。
関心ある方々のご批判を仰ぎたい。特に、講談社文庫『企業犯罪」と併読していただければ、日本の「ジャンケンポン三極支配構造」に対する著者の考え方と姿勢が、より明確にご理解いただけるのではないかと思う。
最後に、本文庫出版にお世話になった守屋龍一氏に御礼を申しあげたい。

一九八七年三月
室伏哲郎

室伏 哲郎 (著)
出版社 : 講談社 (1987/4/1)、出典:出版社HP

目次

まえがき
プロローグ

第一章 官僚とは何か
官僚性の本質/マックス・ウェーバーの提言/官僚主義の病理現象/支配としての官僚制/産業における官僚制と企業国家日本/現代官僚制とデモクラシー/欧米の官僚事情と各国高級官僚/公務員数の国際比較

第二章 日本の官僚——その虚像と実像
情報センター要員としての官僚/ハイテク国盗り合戦/ジェンダーの違う女性高級官僚の視点/長期政権と「民活」のはざまで/オンブズマンも骨抜き形骸化

第三章 霞が関”御三家”官僚の実態
1 自治省
新内務省復元と中央制覇を狙うエリート官僚群/地方自治を崩壊させるものは誰か?
2 大蔵省
地盤沈下「復活」伝説/マクロの政策はダメだが、役職利用は達人の域
3 郵政省
一流政策官庁に昇格したものの……/「郵政vs大蔵」「郵政vs通産」の二大戦争

第四章 天下りと利権のしくみ
1 肥大化する行政権力
「法治国家」から「行政国家」へ/委任なき立法の立役者/崩れ去る中立性
2 天下り症候群
年々記録更新する天下り/上にいくほど抜け穴の天下り審査/症例一——文部省の場合/症例二——期待される天下り像/症例三——防衛庁の場合/症例四——通産省の場合/末期症例——肩書比例の「手土産」高
3 補助金行政の怪
公共事業と集票メカニズム/もちつもたれつの一党独裁/「建政複合体」/災害対策費までが”お仕置”の道具に

第五章 揺がぬ(地下帝国〉
1 特殊法人のカラクリ
行革vs.官僚/国家公務員より多い特殊法人職員数/官僚群団の巻き返し成功す/地下帝国の巨大な資金源/「民間」の顔をした官製怪物
2 汚職・乱脈経理の真相
会社ぐるみの密輸事件発覚/治外法権的特権の謳歌/甘い蜜の分け前/スケープ・ゴートが出た/鉄建公団カラ出張事件にみる組織犯罪/自浄作用に期待はできない/もっと上手がいる?
3 第二の特殊法人
六億円の退職金の陰に/公益法人と認可法人/公益ならぬ私益法人
4 通り過ぎていった「行革」
第二臨調の登壇/審議会にすぎなかった臨調/疑獄の洗礼をうけて/三人四脚の行革の狙い/真似事たっぷり、しわ寄せたっぷり

第六章 官僚支配の打破にむけて
日本官僚有能論批判/高度成長の真の立役者は?/貿易摩擦を促した官僚たちのダブル・スタンダード/世界に通用しないタテマエとホンネ/自由化阻害の保守・官僚行政の利権・買票構造/整理と消滅の展望

本文庫は同名書(世界書院 一九八三年刊)を全面的に再構成し、大幅に書き直したものである

プロローグ

「内閣官房」コロモ替えの意味

昭和六一年夏。内閣官房が新機構に改編された。
専門家は、内閣制度が生まれてから約一○○年、特に戦後四十余年間では、最も画期的な行政機構の変革だともいう。
なぜか?
新内閣官房の目玉は、旧「審議室」が、「安全保障室」(旧国防会議事務局の“昇格”)と「外政審議室」「内政審議室」(共に新設)の三部室組織に強化されたことである。
もともと、内閣の補助機関としての役割を担う内閣官房が、内閣の長である首相個人のスタッフとして機能する組織を強化、権限を拡大すれば、それは、当然、従来の官僚組織のナワバリと抵触し、摩擦や、その逆の便乗現象”を引き起こす。
たとえば、内閣官房に従来なかった「外政審議室」の新設について、外政官庁・外務省は「首相官邸との二元外交は認められない」と猛反発して、改編調整に手間どったといわれる。
また、これまで一元化されていた旧審議室の歴代室長は大蔵省出身者が占めていたが、新内閣官房では、大蔵官僚は、三分化された一組織「内政審議室」の長たるにとどまり、大きく勢力を削がれた半面、警察庁出身官僚の力が、大幅に伸長した。
すなわち、新内閣官房の六部室(前掲の「安全保障室」「外政審議室」「内政審議室」のほか、「情報調査室」「広報官室」「参事官室」の六つ)のうち、「安全保障室」(国防に関する重要事項の審議のほか、「重大緊急事態」に対処する「安全保障会議」の事務局)、「情報調査室」(“日本のCIA”といわれた内閣調査室の体制を強化)、「広報官室」(総理府広報室との兼任を廃止、内閣のPR機関に専念)の三室のトップに警察官僚が据えられ、さらに、これを、中曽根首相や後藤田内閣官房長官(官職はいずれも当時)がその系列である、「旧内務省の流れを汲む官僚」という観点で捉らえれば、六組織のキャップ中四人を数えるのが実状なのである。
これは、ある意味では、「予算編成権を掌握し、一国のカネと行政権力の頂点にたってきた大蔵官僚に対する旧内務省系官僚の挑戦と優位獲得」ともいえるが、その背景には、“大統領的首相”を目指すといった中曽根首相が、首相個人のスタッフとしても機能できる内閣官房の組織を、私的諮問機関やブレーン組織を重視・駆使する政治思考の上にたつ日本型大統領府、構想がイメージされていたともいえるだろう。
と同時に、それは、「従来の官僚組織に屋上屋を架する重複機構」という官僚サイドの批判、反発、あるいは反対に、「首相個人のスタッフに人材を送りこめば、行政のトップに整理精選した情報、すなわち、intelligenceを提供でき、”重大緊急事態”にも適正判断を助言できる」という防衛庁筋など、”新興官僚”サイドの賛成、期待の二方向の反応・論議を引き起こしていた。
いずれにせよ、行政官庁間のナワバリ意識が強く、新事態の対応に、よくいえば慎重、ズバリいえば鈍重な官僚機構に、“大統領的首相”が、私的諮問機関、ブレーン、さらには、新内閣官房など、事実上の首相個人のスタッフによる情報・助言を得て、首相自身が「トップダウン方式」で、行政府のトップの考え方を指示するというものであった。
この政治思考の根底にあるものを分析してみれば、
①三十余年もの長期にわたり実質的に保守単独政権が続いた結果、官僚機構に対する政権与党の相対的優位性が確立され、いわゆる「政高官低」の風潮が一般化していること。
②官僚の相対的地盤沈下の中でも、特に、その沈下度が大きいといわれる「カネ(中核は予算編成権)の大蔵省」の弱体化した立場をより明確に打ち出し、「カネより情報」といわれる激動の時代に即応できる「調査、情報、企画の首相官邸(内閣官房)」という構想に裏づけられていたこと。
③上記の構想にたてば、新内閣官房のポストで、異例の厚遇をうけている警察庁出身官僚同様、防衛庁、郵政省、自治省、検察庁など、「情報官庁」「企画官庁」が軒並み「新興官僚」の牙城として上昇気流に乗る機運にあるとして捉えられていたこと。
④従来の官僚組織万能的な考え方を打破する点ではプラス面もあるが、首相に権限・権力を集中し、官僚機構の非能率性を、首相直接の「上意下達」方式で行政効率を高める方法論の先行する割りには、国権の最高機関である国会や国民の、首相のオールマイティ権限に対するチェック機能(国政調査権の充実や情報公開制度の保証等)には、顧慮が払われていなかったこと。……などであろう。

予算編成も「政高官低」方式で

もっとも、日本の大統領的首相の首相府である内閣官房の新組織にも、アメリカの大統領府が、往年、財務省から予算編成権をとりあげたようなプランは盛り込まれていなかった。
実際、日本の内閣制度百年の歴史の中で、内閣強化、首相の権限拡大の動きのある折りには、かならず、官僚組織との葛藤、とくに、予算編成権の主導をめぐり、大蔵省とトラブルが起こり、しかも、その結末は常に官僚側、大蔵省サイドの圧勝という形でケリがつけられていたのであった。
すなわち、昭和一四年、日中戦争の最中、軍部は”非常時内閣”に予算編成権を握る大蔵省主計局の機能を米国の大統領府並に取り込もうと画策したが、大蔵官僚の猛反撃にあい失敗に終わっている。
また戦後でも、昭和三七年にはじまった行政改革計画の第一臨調に便乗した形で、政権与党の党人派サイドから、内閣府を設置して、主計局機構を導入する構想がブチあげられたが、これも同様、大蔵官僚や大蔵OBらの抵抗によって陽の目をみることなくポシャっている。
こうした歴史的経過に照らしてか、新内閣官房の改編にあたっては、予算編成機能の取り込みは、初めから計画の中に入っていなかったという。が、それでは、最も画期的な内閣官房組織の改編。とはいうものの、新内閣官房も、せいぜい、大蔵官僚の力を三分の一に削った程度で、予算編成権の聖域には手つかずだったのかと早合点していただいては困る。
じつは、くだくだしく制度化するまでもなく、予算編成権をはじめ政策、企画、政府立法等に関して、これまで官僚の独壇場だった分野に、既に実質的に、政権与党の勢力が扶植され、それらのジャンルでの「政高官低」現象は定着してしまっているからである。

その要因はいろいろあるだろうが、次のようなものが主なものとしてあげられる。
①一世代以上に及ぶ長期単独政権下で、連続当選を重ねる与党議員の相当数が、それぞれの専門分科委員会領域において実際活動を続ける間に、知識や情報を蓄積すると同時に、予算編成・獲得のノウハウを心得たプロの政策マンとなり、担当職務が短期間に変動しがちのキャリア官僚たちよりも優位にたてる素地ができたこと。
②日本の国民経済、国家経済の飛躍的な拡大、多様化の結果、従来のタテ割りの官僚機構オンリーによる経済政策や産業政策では、処理が困難となる複雑な問題が激増し、より視野を広げた国家的な見地から、複数の利害、得失の整合性や合理性を「政治的に」アジャストする必要がおこり、政治がタテわりの経済行政・政策に介入する傾向が一般化したこと。
③とくに、大きな国家的な政策決定にあたっては、中央諸官庁の役割が低下し、政権与党の「政調会」の発言力、役割が圧倒的なインパクトをもつようになって既に久しいこと。
④過度の補助金行政や強力な行政指導で、官僚が、民間企業、産業のリーダーシップをとっていた時代は過去のものとなりつつある。「官」の財政的補助や介入指導がなくても民間産業、企業が自立して自由に活動できる力をつけた時代には、国家財政の財政危機による財源難もあって、必然的に官僚の国家、国民の経済活動に対する発言力は相対的に弱まる。反対に、民間の経済的ポテンシャル・エネルギーに依存する、いわゆる「民活」がクローズアップされる時代には、「民間活力」の大規模利用は、官僚のナワバリをこえた「政治マター」となりやすいこと。
⑤金融自由化など、強い外圧”におされ、大蔵省をはじめ官僚組織が、従来アンタッチャブルの聖域として、官僚自らのレーゾン・デートルともしていた「許認可権」を中心とする「政策諸規制」が「緩和」される趨勢にある。すなわちディレギュレーションを余儀なくされる過程でも、必然的に、聖域』を荒らされた官僚の地位は相対的に低下し、ここでも、その問題解決には高度の政治的判断が要求され、政治の出番が多くなったこと。
などがあげられる。
もちろん、我が国は政党内閣を基礎とした議員内閣制をとる以上、国政の遂行、行政の貫徹という観点にたてば、「政高官低」は当然ともいえるが、従来の独善的な官僚主導の行政同様、今日の長期単独政権政党による、官僚の中立的な政策・立案をすら無視しがちな、党利党略のみが優先する政治、行政も、われわれ庶民にとっては有害無益以外の何物でもないことを、本書の冒頭で強調しておきたいと思う。

室伏 哲郎 (著)
出版社 : 講談社 (1987/4/1)、出典:出版社HP