福岡市を経営する

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日本を再興するヒント

著者が36歳で市長になったとき、周りは敵だらけで就任当初から大きな向かい風が吹いていました。そんな中でどのようにして活気あふれる街を作り上げたのか。本書では、著者の思いやこれまでの福岡市の取り組み、街の飛躍の原動力となった職員や組織の変容、メンタルコントロールのやり方などを紹介しています。

高島 宗一郎 (著)
出版社 : ダイヤモンド社 (2018/12/6)、出典:出版社HP

はじめに

36歳で市長になったら、まわりは敵だらけだった

「経営経験なし、行政経験なし。難問山積の福岡市。前途は多難ですー」
私が市長に就任した日。
夕方のニュースは、キャスターのこんなコメントから始まりました。続いて市長就任初日の動きや街の声をまとめたVTRが流れます。内容は「福岡市の重たい行政課題」と「軽くて若い市長」を対比させた、さんざんなものでした。
就任当初から吹いていたのは大きな「向かい風」でした。一般的に、新政権が発足をしたり、新しい市長や知事が誕生したりすると、就任からの100日間はマスコミが厳しい評価を避ける「ハネムーン期間」というものがあると言われています。しかし私の場合、そのような「お手並み拝見期間」はまったくありませんでした。
新聞もテレビも「反・高島」一色。理由は、挙げればきりがありません。当時は民主党政権だったため、経済界のほとんどが民主党推護の現職市長を応援していたこと。さらに、その現職市長が地元の新聞社出身だったこと。また私自身も、歴代の福岡市長の重厚なイメージとはかけ離れた、史上最年少の5歳であったことや、行政とは無縁のアナウンサー出身ということもおもしろくなかったのかもしれません。
当時は、朝起きて新聞やテレビを見ることが本当に厳しい毎日の「修行」でした。福岡市に関するネガティブな事柄に関しては「高島市長は」という主語で始まり、ポジティブな事柄に関しては「福岡市は」という主語で始まる。どうしてもなんらかの意図、私への否定的な感情を感じざるをえませんでした。
テレビをつけると、朝刊記事を紹介するコーナーで、それらの悪意に満ちた記事をご丁寧に拡散していただいている(私自身が直前までその仕事をしていたのですが)。ネットを見れば、ネガティブな新聞記事やテレビのニュースを見て誤解した読者や視聴者からのたくさんのご批判コメントであふれている。登庁すると、市役所のまわりでは拡声器を使って「若造のくせに!」と、私の批判をされる方が連日のようにいらっしゃる。このような世界はなかなか経験できるものではありません。

市長の仕事場は「デスゾーン」

あるとき、世界最高齢でエベレストに登った三浦雄一郎さんの息子さん、三浦豪太さんからお話をうかがう機会がありました。彼がエベレストの山頂付近の写真を見せてくれたとき、私は何も考えずに「きれいだなあ、行ってみたいなあ」とつぶやきました。すると、三浦さんはこう言いました。
「ここはデスゾーンと言います。酸素濃度は地上の3分の1程度で、酸素マスクを外したら普通の人は2、3分で意識を失います。気圧が低すぎてヘリコプターも飛べません。動物が生きられないから、ここは汚す人が誰もいない。だからきれいなのです」
私はデスゾーンという言葉をはじめて聞いて、思わずハッとしました。本当に命を賭けている登山家と自分を重ねるつもりはありません。しかしあくまでイメージとして「素人から見れば幻想的に見える山頂こそ空気が薄くてとても生きづらい」というのは、大企業の経営者など「一見華やかに見えるけれど大きな責任を背負った人が生きる場所」と同じなのではないか、と思ったのです。
あなたは市長がどんな生活をしているのか想像してみたことはあるでしょうか?「運転手さんのいる公用車はさぞ乗り心地がいいのだろうな」とか「自分が市長になったら、あれもやりたい、これもやりたい」などと想像をふくらませる人もいらっしゃると思います。でもそれは、もしかすると私がエベレストの写真を見ながら「きれいだなあ、行ってみたいなあ」と言ったのと同じことかもしれません。
福岡市民は2018年10月時点で約158万人です。そのトップである市長という立場も、ある意味では「デスゾーン」と似ているのかもしれません。ここでは、高い山と同じく空気が薄いので生きづらく、なんと言ってもメンタル、心臓の強さは必須です。私が足を踏み入れた行政の世界は、一般的な民間企業とは違います。いろんな価値観の人が同じ街に住んでいますが、行政は行政サービスの対象者を選ぶことはできません。「うちの商品がイヤなら買わなくて結構!」とは言えませんから、いろんな立場や考え方の人に納得していただかなくてはいけない。あちらを立てればこちらが立たず。それは想像をはるかに超えるハレーションのど真ん中なのです。
市役所の政策判断に反対する市民から市長が告発されることもしばしばあります。裁判所など自分の人生には無縁と思っていたのですが、今では告発したりされたりが特別ではなくなってしまいました。|パーティーや会合でも油断はできません。ある祝賀会でのこと。たくさんの方が名刺を持って来られたので次々に対応していたのですが、後日、その名刺を悪用され「市長とは話がついている」と役所に売り込みにくる詐欺まがいの手口に使われたこともあります。他都市の市長さんと話していても、やはりみなさん同じような経験をされています。ですから会合などでは、できる限りひとりにならないようにし、不特定多数の方が集まって名刺交換せざるをえないような場はなるべく避けるようにしています。

450億円の財源不足に対し、490億円の財源を確保

36歳の若い市長の存在は、市役所に出入りされる業者のみなさんにとっても、面倒なものであったはずです。市長になってから、さまざまな改革を行ないました。
役所には、少子高齢化にともなって社会保障の経費や公共施設の改修費用が毎年大幅に伸びる一方で、子育て支援などの新たな財源も必要になっているという課題がありました。そこで、素人の私ではチェックできない分野までしっかりと専門的な目で精査するために、外部の有識者を入れた会議を9回にわたって開催して、「行財政改革プラン」を策定したのです。
これによって450億円の財源不足に対して490億円の財源を確保し、それまでの4倍のペースで保育所を整備し、子ども医療費助成の拡大などを行ないました。
もちろん職員数を減らしたり、未利用地を売却したりするなど役所内部でできることは率先して行ないましたが、それだけでは賄えません。使用料を適正な額に上げたり、目的が薄らいだ公共施設を廃止したり、補助金の削減もしました。こうした見直しを行なえば、かならず誰かの痛みがともないます。恨みも買います。
また「随意契約」という、行政が任意で事業者を選んで契約する手法は、「官製談合」の防止や特定の業者が契約を独占しないためにできるだけ避けるべきとされています。私はこの「随意契約」の総点検にも着手しました。そして外部委員会とも協議を重ねて、147億円の見直しを決めて、順次「競争入札」といった透明性や競争性の高い契約方法に変更しました。また、外郭団体との契約見直しは始億円で、このうち9割を競争入札に切り替えました。このようなさまざまな行財政改革を3代の新人素人市長がどんどんするのですから、おもしろく思わない方も多かったのかもしれません。ちなみに、ちょうど偶然にも同時期に不審な車が家の前で見張っていたり、役所への行き帰りに車で尾行されたりすることも続いたため、行き帰りをパトカーが先導してくれた時期もありました。秘書に対して「殺す」という脅しの電話もありました。こういったこともあり、今では朝、家を出てから帰宅するまでのあいだ、県警のSPが付いてくれています。

「よし、市長を辞めよう」と自分に言ってみる

みなさんが思い浮かべる市長のイメージは、華やかに記者会見で何かを発表する姿なのかもしれません。しかし、それは市長という仕事全体の0・1%の部分にすぎません。
私もひとりの人間ですから「大変だな」と思うこともあります。そんなとき私は「よし、市長を辞めよう」と自分に言ってみるのです。私は誰から強制されたわけでもなく、ただ自分の意志で立候補しただけ。私の人生だから、私の自由。「ならば辞めたらいい。次にやりたいという人はいくらでもいるから、心配しなくていい」と、自分に言い聞かせるのです。しかしー。
「次の市長がこんな人だったら……」とあえてその後を想像してみます。
たとえば地域の会合にばかり顔を出して、シティセールスに動かない。決断をしない。リスクを取らない。スピードが遅い。テクノロジーの変化に鈍感。安全や慣例などを大義にして既得権を守って、イノベーションと変化を阻む。そんな旧来型の市長が就任して、時計の針が逆回転するように福岡市の躍動感が消えてしまうー。
そのようなことをあえて想像してみるのです。
すると「いや、やっぱり、辞めるわけにはいかない」と思い直すのです。そして「自分はこの仕事をしたいのだ」と決意を新たにします。

福岡市は8年で「最強」の街になった

冒頭から重たい話ばかりしてしまいましたが、大変なのはどの仕事も同じですから、そんなことを伝えたいわけではありません。
就任から8年――。あの頃と比較すると信じられませんが、福岡市は今、先人たちの努力の蓄積と市民のみなさんのチャレンジ精神のおかげで、全国でもっとも活気あふれる街と評価されるようになりました。
国際会議の開催件数は、全国の政令指定都市の中で1位。クルーズ船誘致と港湾エリアの整備により、クルーズ船の寄港回数も横浜を抜いて日本一。新しいビジネスを生み出すスタートアップに力を入れて、現在4年連続での開業率7%台は全国唯一です。政令指定都市で唯一、税収が5年連続過去最高を更新し続けていますし、「天神ビッグバン」などのプロジェクトで地価の上昇率も東京都や大阪府のおよそ倍。人口増加率も東京を抜いて1位となりました。(2018年10月時点、人口増加率は東京3区を含む4大都市において。以下同)
経営をした経験も、行政の経験もない3歳の市長でしたが、先人の努力のうえに、市民、企業、NPOなどのみなさんと力を合わせてチャレンジした結果、日本でもトップレベルで元気と言われる街をつくりだすことができたのです。ちなみに8年前の最初の市長選挙のキャッチフレーズは、なんと「とりもどせ元気!とりもどせ信頼!」だったのですから、隔世の感があります。

私が本を書くことにした理由

私はまだ現職として、さまざまな分野に挑戦している最中です。福岡市が飛躍し、それが日本の希望となるようにガムシャラにチャレンジしているまっただなかです。よって、「本を書きませんか?」とお話を持ちかけられたとき、「せめて現職を引いた後がいい」と固辞しました。
しかし、「市長の取り組みのエッセンスがビジネスパーソンも含めて、同世代のチャレンジャーにもきっと役に立つはずだ」との言葉を受けて、僭越ながら筆を執ることにしました。そもそも文章を書くことは苦手なので、稚拙な表現になることはご容赦ください。
せっかくいただいた機会ですから、私自身の思いやこれまでの福岡市の取り組み、街の飛躍の原動力となった職員や組織の変容。また自分自身のメンタルコントロールのやり方なども素直に書きました。

若者こそが日本を変えていく

さて、日本社会にもっとも足りないダイバーシティは「意思決定層に「若者」がほとんどいない」ことだと思っています。
これは企業でも政治の世界でも同じです。若い人たちに理想の社会のイメージがあるなら、誰かが行動してくれるのを座して待つのではなく、若い自分たちこそが立ち上がって世の中を変えればいい。
就任したときの年齢は、私は始歳、エストニアのユリ・ラタス首相は3歳。フランスのエマニュエル・マクロン大統領は如歳、カナダのジャスティン・トルドー首相は3歳です。
とくに日本の地方自治体の場合、議院内閣制の国政とは違い、予算権や人事権を持つ市長や知事は直接、住民の選挙で選ばれます。影響力を持つために議員として期数を重ねる必要もありませんし、覚悟を持てば誰でも私のようにすぐに挑戦する権利があるのです。
この本を通して、私の経験をみなさんとシェアすることで、全国の若者はもちろんのこと、行政とは関係のない他業種からも、市長や知事に挑戦しようという人が増えることを心から期待しています。若い首長がスピーディーに各地方を変えていくことこそ、日本を最速で変えていくもっとも合理的な方法だと思うのです。

高島 宗一郎 (著)
出版社 : ダイヤモンド社 (2018/12/6)、出典:出版社HP

目次

福岡市を経営する
はじめに――3歳で市長になったら、まわりは敵だらけだった
市長の仕事場は「デスゾーン」
450億円の財源不足に対し、490億円の財源を確保
「よし、市長を辞めよう」と自分に言ってみる
福岡市は8年で「最強」の街になった
私が本を書くことにした理由
若者こそが日本を変えていく

目次
1挑戦「出馬と裏切り、選挙のリアル
出馬した途端、知り合いと連絡がつかなくなる
友だちは誰か。苦しいときにこそ見えてくる
「選挙に出てくれ」―青天の霹靂
誰にも迷惑をかけずに決断することなどできない
チャンスが来たときがベストタイミング
金持ってこい……「これが政治なのか?」
「おめえは何がやりてえんだ?」麻生太郎先生との出会い

2逆襲「数字と結果で流れを変える、弱者の逆転戦略
認めてもらうためには、小さくても結果を出し続ける
数字は嘘をつかない。だから数字で流れを変えよう
悪口や批判に対しては鈍感力で対抗
「全員」を意識すると動けなくなる
「部分最適」ではなく「全体最適」で決断する
リスクをとってチャレンジする人のために時間を使う
ふだん直接声を聞けない人たちに時間を――声なき声を聞きに行く
規制は既得権者を守る「砦」になることも
顧みて恥じることない足跡
弱者が強者に勝つための秘策とは
ネットニュースのコメントで世論をつかむ
自分の命は、役割があるところに導かれる

3決断スピードと伝え方が鍵。有事で学んだリーダーシップ
決断こそリーダーの仕事である
プロレスから学んだ納得感の作り方
プロセスを丁寧に「見える化」する
発信力を上げるためには、シンプルに伝えることが大切
360度、全方位から批判される決断もある
何も残せなかった自分を悔いたくはない
「決めない」は最悪の選択
博多駅前の陥没を最速で復旧――ニュースが世界中の話題に
有事と平時では異なるリーダーシップ
5歳で平社員から1万人のリーダーに。年上の部下たちをどうマネジメントするか
自軍の戦力を見極めて、負ける戦いはしない

4情報テクノロジー、SNSの活かし方
就任3ヵ月で起こった東日本大震災
正しい情報は常に現場にある
平時から有事へ。いざというとき、組織をどう動かすか
支援物資をスムーズに被災地まで届けるには
災害はなくならない。だが、災害後の痛みは減らすことができる
いざというときのために、ふだんから新しい技術に触れておく
大切なのは、言い出した人が動くこと
平時で使えないものは、有事でも使えない
テクノロジーをいかに取り入れるかが発展の鍵
ふだんのコミュニティづくりが力になる
情報発信はタイミングに注意する
シンプルに伝えるための具体的なコッ
距離を保ちつつ効果的に発信する、私のSNS戦略

5戦略「攻めの戦略と市民一人ひとりの意識改革
福岡市が輝く=日本が輝く
日本を最速で輝かせるたったひとつの方法
小さい自治体や過疎地域にこそ、チャレンジングな首長を
ハコモノは本当に無駄か
都市政策は「ソフト→ハードの順番」で
あえて、よそ者の視点を持つ
批判よりも提案を、思想から行動へ
先が見えるリーダーになるためには
グローバルに考えてローカルに行動する
エストニアの成長戦略に学ぶ
発展途上国を見るたびに感じる、日本に対する危機感
勝てない指標では戦わない
福岡市がアジアのリーダー都市になる
極論すれば、政策では人を幸せにできない
人を幸せにするのは、「今日よりも明日がよくなる」という希望
団塊ジュニアの私が「成長ではなくて成熟だ」なんて言いたくない
「課題先進国」だからこそできる攻めの戦略
福岡市が世界を変えていく「ロールモデル」になる
変わる努力をしない企業には、延命措置をしない
スタートアップこそ、政治に興味を持ってほしい
いちばんのイノベーターは福岡市民
まちづくりは行政だけの仕事ではない
ひとりがひとつの花を育てれば、158万本の花でいっぱいに
「税金を使って問題解決」は古い
魅力あるまちづくりには、「街のストーリー」が欠かせない
変えるには、まず「やってみせる」のがいちばん早い
全国で奮闘する同世代リーダーたち

6覚悟キャリアと死生観、自分の命の使い方
「たったひとりの闘争』との出会い
「国家」と「日本人」を強く意識するきっかけになった中東訪問
「選挙に強い政治家」という視点で考えたキャリア
「才能」には限界があるが、「努力」ならいちばんになれる
チャンスを逃さないための徹底的な準備
明日死ぬかのように今日を生きる
日本新時代を創ろう

おわりに――成功の反対は挑戦しないこと

高島 宗一郎 (著)
出版社 : ダイヤモンド社 (2018/12/6)、出典:出版社HP