脳科学は人格を変えられるか?

『ここまで明らかになった – 【最前線】脳科学を知る5冊』も確認する

目次 – 脳科学は人格を変えられるか?

序章 なぜ前向きな性格と後ろ向きな性格があるのだろう

第一章 快楽と不安の二項対立
自分はがんだと信じた人が、誤診だったのに本当に死んでしまった。強すぎる恐怖は人を殺しさえする。快楽を追う回路と危険を避ける回路のせめぎあいという原理が、人間の脳を理解する鍵になるのだ

第二章 修道院の奇妙な実験
修道女の若い頃の自叙伝を六〇年後に検証した研究がある。分析してみると、陽気で明るい修道女は、暗い同僚より平均で一〇年も長寿だった。楽観 的な神経回路は健康や人生の成功までもたらすのだ

第三章 恐怖を感じない女
一見ごく普通の女性、リンダ。実は彼女は危険や恐怖をほとんど認できない。彼女の盛は「扁桃体」が再復しているのだ。恐怖や不安の根源である 扁桃体の働きが性格を左右することがわかってきた

第四章 遺伝子が性格を決めるのか
わたしの調査で「セロトニン運酸遺伝子」が楽観的な性格をもたらす可能性が浮上した。研究は一躍話題になったが、不屈の楽観主義者M・J・フォ ックスの遺伝子検査からは、意外な結論が導かれた

第五章タクシー運転手の海馬は成長する
一度形成された脳細胞は増えないという常識に反して、複雑な道を記憶したタクシー運転手の「海馬」は著しく肥大していた。脳は経験で変化する可 塑性を備え、悲観的な神経回路さえ変えられるのだ

第六章 抑うつを科学で癒す可能性
環境が変われば遺伝子の発現度も変わり、図が物理的に変化する。ならば、科学が検証した様々なテクニックで脳を再形成してやれば、抑うつや不安 正を治療して人生を変える可能性があるかもしれない

謝辞

解説 湯川英俊

人生のあらゆる瞬間において、 人間は過去の自分であると同時に未来の自分でもある。
オスカー・ワイルド『獄中記』

悲観主義者はすべての好機の中に困難を見つけるが、楽観主義者はすべての困難の中に好機を見つける。ウィンストン・チャーチル

エレーヌ フォックス (著), Elaine Fox (原著), 森内 薫 (翻訳)
文藝春秋 (2017/8/4)、出典:出版社HP

序章 なぜ前向きな性格と後ろ向きな性格があるのだろう

あなたがものごとをどう見るか、そしてそれにどう反応するかによって、実際に起きることが変化する。それが、心理学が解き明かしたシンプルな事実。しばしば見落とされがちだが、強力な事実だ。あなたの行動のスタイル、ものごとのとらえ方、そして生きる姿勢こそが、あなたの世界を色づけ、あなたの健康や富を、そして幸福全般を規定する。世界を色づけ、起きることを左右するこうした心の状態を、わたしは「アフェクティブ・マインドセット(心の姿勢)」と名づけている。

世の中には、悲観的な人もいれば、楽観的な人もいる。そうした「ものの見方」のちがいを計る方法を、わたしたち心理学者はこれまでにいくつも開発してきた。おかげで、ものの見方の基本的な相違は、数値でとらえられるようになってきた。そして、「人生の明るい面に目がいくか、暗い面に目がいくか」という差が、脳の活動パターン自体に関連しているらしいことまでわかってきた。

戯の中には思考をつかさどる新しい領域と、原始的な感情をつかさどる古い領域があり、両者は神経繊維の束で結ばれている。この結びつきが、さまざまな心の動きを生む。ネガティブな心の動きとポジティブな心の動きは、それぞれ別の回路が担当しており、前者の回路を「レイニーブレイン(悲観脳)」、後者を「サニーブレイン(楽観脳)」とこの本では呼ぶことにしよう。

ネガティブなものに注目してしまうレイニーブレインと、ポジティブなものに人を向かわせるサニーブレインは、どちらも人間にとってなくてはならないものだ。このふたつのバランスこそが、あなたをあなたという人間に、わたしをわたしという人間にする。生きるうえで重要なことを人間に気づかせ、生きることに意味を与えるのは、こうした心の動きの作用なのだ。

ものごとの受けとめ方は、なぜ人それぞれちがうのだろう?わたしはこのテーマを、二〇年以上にわたって科学的に研究してきた。喜びや不安。何かを美しいとか楽しいと思う気持ち。死にたいほどの絶望。人がそれらを経験するのは、脳のどの部分がどう作用しているからなのかを、わたしは長い時間をかけて少しずつ解き明かしてきた。人が自分に害を与えるものを察知したり、危険なものを警戒したり、良いものに引き寄せられたり、快楽や生きる喜びに目を奪われたりするのは、レイニーブレインやサニーブレインがもたらす心の動きのせいなのだ。

何百万年もの進化の過程を通じて、脳の古い領域は、新しい領域との間につながりを築いてきた。たがいの間に回路を形成して、自分にとって重要なことがらに、わたしたちがうまく注意を向けられるようにしてきたのだ。この回路の反応が人によって微妙に異なることが、生き方や考え方の深い相違につながっている。これが最初に述べた「アフェクティブ・マインドセット」の本質だ。人の性格がそれぞれなぜこれほど異なるかの答えは、おそらくここにある。

思考の下にあるこうした心の動きこそが、いうなれば、人間に魂を与え、人生に火をともす。快楽と危険への反応をはじめ、何かの感情を経験する能力は、ヒトだけでなく他の多くの生き物にも備わっている。けれど、巨大な大脳皮質をもつ人間には、話す、考える、問題を解決するなど、独自の認識能力がある。そうした能力が感情を経験する能力と結びついた結果、ヒトは他の生物とは一線を画する卓越した存在になった。思考と感情とをあわせもつことで、わたしたち人間は、思わず歩みを止めて美しい夕焼けに見入ったり、ごく単純な音符や言葉の連なりに涙がこぼれるほどの感動を覚えたりするのだ。

だが、このふたつが結びついたことにはデメリットもあった。人間が、不安に非常に脆くなったことだ。不安や心配ごとですぐに落ち込んだり、風が――アイルランドの詩人イェーツふうに美しく言うなら――「怪物のような猛り声」をあげただけで、暗くふさいだ気持ちになったりすることが、わたしたちにはよくあるものだ。

エレーヌ フォックス (著), Elaine Fox (原著), 森内 薫 (翻訳)
文藝春秋 (2017/8/4)、出典:出版社HP