人口減少社会のデザイン

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人口減少の転換のための10の論点と提言

本書は、少子化や高齢化の現状について世界の状況も踏まえつつ分析を行っています。加えてコミュニティ、社会保障、医療、死生観、福祉など幅広い分野で提言を行っています。様々な立場にある人が本書に目を通し、この問題に対して考えるきっかけを持てればと思います。

広井 良典 (著)
出版社 : 東洋経済新報社 (2019/9/20)、出典:出版社HP

人口減少社会のデザイン――目次

イントロダクション:
AIが示す日本社会の未来―2050年、日本は持続可能か?
はじめに―AIは未来予測や政策に活用できるか
問題の設定―「2050年、日本は持続可能か?」
AIが示す日本の未来シナリオ―「都市集中型」か「地方分散型」かが最大の分岐点
「地方分散型」社会のイメージ―国際比較から
日本の状況―“アメリカ・モデル”の信奉と帰結
人口減少社会のデザイン

第1章 人口減少社会の意味―日本・世界・地球
1 人口減少社会の到来
ジャパン・シンドローム?―人口減少社会と日本
「集団で一本の道を登る時代」からの変容
「幸福」というテーマへの関心の高まり
幸福度をめぐる様々な展開
人口減少社会の“空間的”側面
若い世代のローカル志向と支援―“地域への着陸”の時代
2 少子化・高齢化をめぐる日本と世界
高齢化と少子化をめぐる動向少子化の背景は何か
「経済効率性」をめぐる逆説と若い世代の生活不安
少子化をめぐる構造―国際比較
3 高齢化の地球的進行と「グローバル定常型社会」
日本についての展望―「定常人口」への移行
「高齢化の地球的進行」
世界人口の定常化と「グローバル定常型社会」

第2章 コミュニティとまちづくり・地域再生
1 コミュニティとは何だろうか
コミュニティという“あいまい”な存在
情報とコミュニティの進化
日本社会とコミュニティ
2 高齢化・人口減少社会におけるコミュニティと都市
地域によって異なる課題
「地域密着人口」の増加
高度成長期の「負の遺産」
「年金マネー」の首都圏集中―社会保障の空間的効果
「居場所」とまちづくり
「コミュニティ空間」としての都市
「コミュニティ感覚」とまちづくり
「都市・まち・むら」をめぐる戦後日本の政策展開
―その第1ステップ:1950年代~70年代……“ムラ”を捨てる政策
第2ステップ:1980年代~30年代ないし2000年代……“マチ”を捨てる政策
第3ステップ:2000年代半ばないし2010年代以降……転換の兆し?
「少極集中」から「多極集中」へ
3 鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想
伝統文化の再評価―祭りとーターン・Uターン
岐阜県石徹白地区の先駆例
4 ローカライゼーションと情報化/ポスト情報化
経済構造の変化と“経済の空間的ユニット”
ポスト工業化そしてポスト情報化の時代
資本主義と科学の基本コンセプトの進化――物質→エネルギー→情報→生命/時間
「情報」から「生命/生活(life)」へ
移行期としての「情報化」
【コラム】自然との関わりを通じたケア―鎮守の森セラピー

第3章 人類史の中の人口減少・ポスト成長社会
1 人類史における拡大・成長と定常化
人類史における人口減少・ポスト成長社会
成熟・定常期における文化的創造1―枢軸時代/精神革命
成熟・定常期における文化的創造2―「心のビッグバン」
2 ポスト資本主義のデザイン
資本主義/ポスト資本主義という文脈
私利の追求の肯定と「パイの拡大」
新たな時代状況と人間理解
「第4の拡大・成長」はあるか?
「創造的定常経済」という発想

第4章 社会保障と資本主義の進化
1 社会保障をめぐる現状と国際比較
人口減少社会と「富の分配」
社会保障をめぐる現状
社会保障の国際比較―三つのモデル
「資本主義の多様性」とアメリカ・ヨーロッパ・日本
日本の場合―ビジョンの「選択」の議論を
2 資本主義の歴史的変容
資本主義の歴史的進化と福祉国家・社会保障
「楽園のパラドックス」と対応
「事前的な対応」とベーシック・インカム
3 これからの社会保障
今後の社会保障の方向1―「人生前半の社会保障」の強化
今後の社会保障の方向2―「ストックに関する社会保障」の強化
予防的な社会保障という方向性
検討されるべき税財源

第5章 医療への新たな視点
1 持続可能な医療―医療のエコロジカル・モデル
「持続可能な医療」というテーマ
何が健康水準を決めるのか―アメリカの医療政策からの示唆
「持続可能な医療」と「持続可能な社会」
「複雑系としての病」
コミュニティ等との関わりと進化医学
2 医療費の配分と公共性
医療費の配分1:医療のどの分野に資源を優先配分するか
医療費をめぐる公私の役割分担
医療費の配分2:病院/診療所をめぐる配分

第6章 死生観の再構築
1 超高齢化時代の死生観と「深層の時間」
死亡急増時代と死亡場所の多様化
看取りをめぐる認識の変化
ライフサイクルのイメージと時間
深層の時間―生と死のふれあう場所
日本人の死生観―その三つの層
2 死生観をめぐる現代的展開
現代版「不老不死」の夢
生と死のグラデーション
「無の科学」への道標
第7章 持続可能な福祉社会―地球倫理の可能性
1 グローバル化の先の世界
単純なグローバル化の終わりの始まり
「グローバル化の先」の二つの姿
「持続可能な福祉社会」という社会像
日本の可能性―「経済と倫理」の分離と再融合
新たな動きの萌芽
2 福祉思想の再構築と地球倫理
『相互扶助の経済』―日本の福祉思想へのアプローチ
共同体を超える原理としての「自然」
日本における福祉思想の過去・現在・未来
地球倫理へのアプローチ
ローカル・グローバル・ユニバーサル

参考文献
あとがき

広井 良典 (著)
出版社 : 東洋経済新報社 (2019/9/20)、出典:出版社HP

 

イントロダクション:
AIが示す日本社会の未来―2050年、日本は持続可能か?

はじめに―AIは未来予測や政策に活用できるか

「AI(人工知能)」という言葉が、あらゆる場面に登場している。アメリカの未来学者カーツワイルが唱えたいわゆる「シンギュラリティ(技術的特異点)」論ないし“2045年問題”のように、最高度に発達したAIがやがて人間を凌発し、さらにはそれが人体改造された人間と結びついて“永遠の意識”が生まれるといった議論も存在する。また、AIによって人間の仕事ないし雇用の大半が取って代わられ大量の失業が生まれるといった話題は繰り返し論じられている。
しかし昨今の議論を聞いていると、いささかAIの能力が過大評価ないし“神聖化”されているように思われることが多い。
私は1980年代末の2年間をアメリカのボストンで(MIT[マサチューセッツ工科大学]の大学院生として)過ごしたが、当時はAIの「第二次ブーム」と呼ばれている時期で、現在と同様にAI論が非常に盛り上がっており、“病気の診断もすべてAIが行うようになるので医者はいらなくなる”といった議論もよく行われていた。その後いったんそうした「ブーム」は沈静化し、やがてリバイバルとなったわけだが、そうした流れからも、少し冷静な視点が重要だろう。
いずれにしても、このようにAIに対する社会的関心が高まっている中で、私たちの研究グループ(私を代表とする京都大学の研究者4名と、2016年6月に京都大学に創設された日立京大ラボのメンバー数名)は2017年9月、AIを活用した日本社会の持続可能性と政策提言に関する研究成果を公表した(ウェブサイト「AIの活用により、持続可能な日本の未来に向けた政策を提言」参照)。その内容は、AIを活用して2050年頃に向けた約2万通りの将来シミュレーションを行い、それを踏まえて採られるべき政策の選択肢を提起するという意旨のものだった。
“AIを活用した社会構想と政策提言”という研究はほとんど日本初のものだったこともあり、政府の各省庁、関連機関、地方自治体、民間企業等、各方面から多くの問い合わせがあり、こうしたテーマに対する関心の高さと手ごたえを感じた。また、長野県庁や岡山県真庭市等とはそれぞれの地域の未来構想に関する同様のAI活用を連携して進め、このうち長野県のものは、リニア新幹線開通が地域にもたらす影響への対応というテーマを含め、2019年4月に「AIを活用した、長野県の持続可能な未来に向けた政策研究について」として公表した。
一方、中央省庁では文部科学省の高等教育局と、上記の研究成果に高等教育を組み入れた新たなシミュレーションを協働で作成し、2018年11月に中央教育審議会大学分科会・将来構想部会合同会議に報告するなどした。これは日本の省庁が「AIを活用した社会構想と政策立案」に関する試みを行った初めてのケースだろう(以上の内容はいずれもウェブ上で閲覧可能)。
そして、AIを活用して行った日本社会の未来に関するシミュレーションは、本書のテーマである「人口減少社会のデザイン」と深く関わる内容のものであるので、ここではその概要を紹介するとともに、そこから浮かび上がってくる今後の課題や展望について若干の議論を行ってみたい。

問題の設定―「2050年、日本は持続可能か?」

私たちの研究の出発点にあったのは、現在の日本社会は「持続可能性」という点において“危機的”と言わざるをえない状況にあるという問題意識である。
日本社会が持続可能性において危機的であるということは、多くの事実関係から言えることだが、特に次のような点が重要ないし象徴的な事柄と言えると思われる。
(1)財政あるいは世代間継承性における持続可能性
しばしば指摘されるように、日本における政府の債務残高ないし借金は1000兆円あるいはGDP(国内総生産)の約2倍という、国際的に見ても際立って大きな規模に及んでおり、言い換えれば私たちは膨大な借金を将来世代にツケ回ししている。
図表0-1はそうした政府の債務残高の推移の国際比較だが、文字どおり日本が突出している。これに関して多少の余談を記すと、私は1996年から2016年までの3年間、千葉大学で社会保障論という通年の講義を行っていたが、その講義を始めた90年代後半の頃―それはこの図の左端の時期にほぼ対応している―、私は講義の中で、日本の借金はすでに相当の規模になっているけれども、イタリアを抜くことはないのではないかと学生に話していたことをよく覚えている。しかしそうした予想を裏切って日本はイタリアを軽く抜き、その後も政府の借金はどんどん増えていった。

図表0-1債務残高の国際比較(対GDP比)……日本が突出

「政府の借金」というと、どこか他人事。のように感じる人も多いのだが、要するに、私たちは医療や年金、福祉などの社会保障の「給付」は求めるが、それに必要なだけのお金(税や社会保険料)をおうとせず、その結果、将来世代に膨大な借金をツケとして回しているのだ。
これは、持続可能性という観点からも真っ先に注目すべき事実だろう。そしてそれは世代間の公平という観点、あるいは“子や孫に借金を残すのは避けるべきだ”という、日本人が本来もっていた(はずの)倫理から見ても、最優先で取り組むべき課題だと私は思う。
加えて、日本がこうしたことを続けてきた背景には、アベノミクスにも象徴されるように、“増税などを急がなくても、やがて「景気」が回復して経済が成長していくから、税収はやがて自ずと増え借金も減っていく”という、高度経済成長時代に染みついた発想を今も根強く引きずっているという点があるだろう。
端的に言えば、かつて「ジャパン・アズ・ナンパーワン」とまで言われた“成功体験”に由来する、「経済成長がすべての問題を解決してくれる」という思考様式である。本書のテーマである「人口減少社会のデザイン」において重要なのは、まさにこうした「拡大・成長」型の思考、あるいは“短期的な損得”のみにとらわれ長期的な持続可能性を後回しにする発想の枠組みから抜け出していくことにある。
(2)格差拡大と人口における持続可能性
次に図表0-2を見ていただきたい。これは生活保護を受けている層、つまり貧困層の割合の推移を示した図で、これもトレンドが非常にはっきりしている。すなわちグラフの一番左が1960年で、そこから高度成長期を通じて貧困世帯は一貫して減っていったわけだが、ここでも、90年代の半ばというのが日本社会のある種の転換期のような時代となっており、1995年を谷として生活保護を受ける人の割合は増加に転じ、その後も着実に増えていった。

図表0-2生活保護を受けている者の割合(保護率)の推移

ある意味でこれは氷山の一角であり、生活保護に至らずとも、生活が困窮していたり、あるいは非正規雇用を含めて雇用が不安定であったりする層が着実に増加している。また、本書の中であらためてくわしく見ていくように、日本においては若者に対する社会保障その他の支援が国際的に見てきわめて手薄であることも手伝って、特に若い世代の雇用や生活が不安定になっている。そしてそのことが未婚化・晩婚化の背景ともなり、それが出生率の低下につながり、人口減少をさらに加速させるという、悪循環が生まれている。「人口の持続可能性」をめぐる困難と、かつて“一億総中流”と呼ばれた構造の侵食が並行して進んでいるのである。
(3)コミュニティないし「つながり」に関する持続可能性
図表0-3は比較的よく知られた国際比較調査(ミシガン大学が中心に行っている「世界価値観調査[World Values Survey]」)の一部で、「社会的孤立(social isolation)」に関する国際比較を示している。ここでの「社会的孤立」は、家族などの集団を超えたつながりや交流がどのくらいあるかに関する度合いを指しているが、図にも示されているように、そうした社会的孤立度が、残念ながら日本は先進諸国の中でもっとも高い国ないし社会になっている。

図表0-3先進諸国における社会的孤立の状況……日本はもっとも高く、個人がばらばらで孤立した状況

私は、現在の日本社会の様々な問題の根底にあるのがこの点ではないかと思っている。本書第2章の「コミュニティ」に関する議論の中でくわしく述べていきたいが、端的に言えば、現在の日本社会は“古い共同体(農村社会など)が崩れて、それに代わる新しいコミュニティができていない”という状況にあり、そのことがこうした「社会的孤立」という点に現れていると思われる。
また、この点は先ほど指摘した政府債務の累積や、その背景にある(社会保障の財源としての)「税」や「社会保険料」への忌避感とも実は重なっているだろう。つまり、およそ社会保障というシステムは、介護にしても年金にしても、“(税や社会保険料を通じた)家族を超えた支え合い”の仕組みであるわけだが、「社会的孤立」度が高いということは、家族(あるいは自分が属する集団)以外の“他人”への無関心や、そうした他者との支え合いへの忌避感というものにつながる。それが結局、第一に挙げた政府の借金の累積ということにつながっているのである。
以上、3つの論点にそくして述べたが、こうした事実に示されるように、現在の日本は持続可能性という点において相当深刻な状況にある。そして、「2050年、日本は持続可能か」という問いをテーマとして設定した場合、現在のような政策や対応を続けていれば、日本は「持続可能シナリオ」よりも「破局シナリオ」に至る蓋然性が高いのではないか。
「破局シナリオ」とはあえて強い表現を使ったものだが、その主旨は、以上に指摘したような点を含め、財政破綻、人口減少加速(←出生率低下←若者困窮)、格差・貧困拡大、失業率上昇(AIによる代替を含む)、地方都市空洞化&シャッター通り化、買物難民拡大、農業空洞化等々といった一連の事象が複合的に生じるということである。上記のように、昨今のような政策基調のもとではこれらが生じる蓋然性は相当程度高いと思われるし、実際、このテーマで学生にレポートを書かせたことがあるが、日本社会の持続可能性について悲観的な見通しを記すものが予想以上に多かった。
こうした関心を踏まえ、AI技術を活用し、また「幸福度」といった主観的な要素も視野に入れた形で将来シミュレーションを行い、日本社会の未来の分岐構造がどのようなもので、またどのような対応がなされるべきかを探ったのが今回の研究である(図表0-4参照)。

図表0-42050年へのシナリオとビジョン・政策選択
・A)持続可能シナリオ
・B)破局シナリオ…財政破綻、人口減少加速(←出生率低下←若者困窮)、格差・貧困拡大、失業率上昇(AIによる代替等)、地方都市空洞化&シャッター通り化、買物難民拡大(現在600~700万人)、農業空洞化
・これらについてAIを活用しシミュレーション
……AI活用による社会構想&政策提言という新たな試み。
・1人口、2財政・社会保険、3都市・地域、4環境・資源という4つの局面の持続可能性に注目
・「幸福」など主観的要素も考慮。
・2025年、2040年頃(高齢者数最大)、2060年頃(高齢化率最高)という節目・時間軸を視野に。

具体的には、以上のような関心から、日本社会の現状そして今後において重要と考えられる149個の社会的要因を抽出するとともにそれらからなる因果連関モデルを作成し、それを基にしてAIを活用したシミュレーションによって2018年から2052年までの35年間の期間にわたる約2万通りの未来シナリオ予測を行い、それらをまず23のシナリオ・グループに分類した上で、最終的に6つの代表的なシナリオ・グループに分類した。分類にあたっては、1人口、2財政・社会保障、3都市・地域、4環境・資源という4つの局面の持続可能性と、(a)雇用、(b)格差、(c)健康、(d)幸福という4つの領域に注目した。

広井 良典 (著)
出版社 : 東洋経済新報社 (2019/9/20)、出典:出版社HP

 

AIが示す日本の未来シナリオ―「都市集中型」か「地方分散型」かが最大の分岐点

さて、シミュレーションの結果として明らかになったのは次のような内容だった。
(1)2050年に向けた未来シナリオとして主に「都市集中型」と「地方分散型」のグループがあり、その概要は以下のようになる。
(a)都市集中型シナリオ
主に都市の企業が主導する技術革新によって、人口の都市への一極集中が進行し、地方は衰退する。出生率の低下と格差の拡大がさらに進行し、個人の健康寿命や幸福感は低下する一方で、政府支出の都市への集中によって政府の財政は持ち直す。
(b)地方分散型シナリオ
地方へ人口分散が起こり、出生率が持ち直して格差が縮小し、個人の健康寿命や幸福感も増大する。ただし、次項以降に述べるように、地方分散シナリオは、政府の財政あるいは環境(CO2排出量など)を悪化させる可能性を含むため、このシナリオを真に持続可能なものとするには、細心の注意が必要となる。
(2)8~10年後までに都市集中型か地方分散型かを選択して必要な政策を実行すべきである。
今から8~10年程度後に、都市集中型シナリオと地方分散型シナリオとの分岐が発生し、以降は両シナリオが再び交わることはない。
持続可能性の観点からより望ましいと考えられる地方分散型シナリオへの分岐を実現するには、労働生産性から資源生産性への転換を促す環境課税、地域経済循環を促す再生可能エネルギーの活性化、まちづくりのための地域公共交通機関の充実、地域コミュニティを支える文化や倫理の伝承、住民・地域社会の資産形成を促す社会保障などの政策が有効である。
(3)持続可能な地方分散型シナリオの実現には、約17~20年後まで継続的な政策実行が必要である。
地方分散型シナリオは、都市集中型シナリオに比べると相対的に持続可能性に優れているが、地域内の経済循環が十分に機能しないと財政あるいは環境が極度に悪化し、(2)で述べた分岐の後にやがて持続不能となる可能性がある。
これらの持続不能シナリオへの分岐は約17~20年後までに発生する。持続可能シナリオへ誘導するには、地方税収、地域内エネルギー自給率、地方雇用などについて経済循環を高める政策を継続的に実行する必要がある。
以上がシミュレーション結果の概要だが、将来の日本社会が分岐していくシナリオのイメージを示したのが図表0-5である。左下のほうのグループが「都市集中型シナリオ」で、他が「地方分散型シナリオ」であり、両者が互いに離れて分岐している様子が示されている(これは2042年時点のもの)。また、シミュレーションの結果浮かび上がってきた6つの代表的なシナリオ・グループの簡潔なまとめを示したのが図表0-6である(最下欄が都市集中型シナリオ)。

図表0-5日本の未来の分岐シミュレーション(イメージ)[2042年のもの]

図表0-6 6つの代表的シナリオ・グループの比較

シナリオ・グループ 人口 財政・社会保障 都市・地域 環境・資源 雇用 格差 健康 幸福 特徴
1~4 地域再生・持続可能
財政持続性に注意要
5~7 持続性不良・不満
8~11 人口持続可能・不満
12~15 × 環境持続不能
16~20 × 財政持続不能
21~23 × × × × × 都市集中・格差拡大
人口持続困難

(注)約2万通りの未来シナリオを、その分岐構造からまず23のシナリオ・グループ、最終的に6つの代表的グループに分類し、モデルで採用した149の社会指標のうち特に重要と思われる指標の動きを、4つの持続可能性(人口、財政・社会保障、都市・地域、環境・資源)と4つの領域(雇用、格差、健康、幸福)という評価軸に基づいて評価し、それぞれのグループが示す社会像の特徴を概括したものである。

「地方分散型」社会のイメージ―国際比較から

以上が今回私たちが行った、AIを活用した日本社会の未来に関する予測の概要である。研究を進めた私自身にとってもある意味で予想外だったのだが、AIによる日本の未来についての今回のシミュレーションが示したのは、日本全体の持続可能性を図っていく上で、「都市集中」―とりわけその象徴としての東京への一極集中―か「地方分散」かという分岐ないし対立軸が、もっとも本質的な分岐点ないし選択肢であるという内容だった。
言い換えれば、日本社会全体の持続可能性を考えていく上で、ヒト・モノ・カネができる限り地域で循環するような「分散型の社会システム」に転換していくことが、決定的な意味をもつということが示されたという点である。
この場合、「地方分散型シナリオ」と言っても、現在の日本はあまりにも一極集中が顕著であるため、そのイメージがつかみにくいという人が多いだろう。この点をもう少し明らかにするべく、以下では海外の例や、戦後日本の政策展開を概観することを通じ、問題の所在と今後の方向性をクリアにすることを試みたい。これは本書のテーマである「人口減少社会のデザイン」の基本的な話題にもつながるものだ。
「地方分散型」社会あるいは「持続可能な地域」というもののイメージをもつため、まず写真0-1をご覧いただきたい。

写真0-1中心部からの自動車排除と「歩いて楽しめる街」(エアランゲン[人口約10万人])。街のにぎわいと活性化にも効果あり

これはドイツのニュルンベルク郊外にあるエアランゲンという地方都市(人口約10万人)の中心部の様子である。印象的なこととして、ドイツのほとんどの都市がそうであるように、中心部から自動車を完全に排除して歩行者だけの空間にし、人々が「歩いて楽しむ」ことができ、しかもゆるやかなコミュニティ的つながりが感じられるような街になっているという点がある。
そして何より、人口10万人という中規模以下の都市でありながら、中心部が活気あるにぎわいを見せているというのが印象深く、これはここエアランゲンに限らずドイツの中小都市すべてに言えることである。残念ながら、日本での同様の規模の地方都市の中心部はいわゆるシャッター通りになり空洞化しているのがほとんどという状況だ。
一般に、ヨーロッパの都市においては1980年代前後から、都市の中心部において大胆に自動車交通を抑制し、歩行者が“歩いて楽しめる”空間をつくっていくという方向が顕著になり、現在では広く浸透している。私はほぼ毎年ドイツを中心にヨーロッパの都市や農村を訪れているが、私が見る限りそうした姿がもっとも顕著なのはドイツの都市であり、加えてデンマークなどの北欧、オランダ、フランスほか、概して中部以北のヨーロッパにおいて明瞭で、意識的な政策が進められている帰結と考えられる。
また、ここではAIに関する話題を述べているので、そうした点と関連するもう一つの例を挙げてみよう。
ドイツの北部にある都市ハノーファーは、人口約50万人の中堅都市であるが、国際見本市(メッセ)が毎年開催される街であるとともに、近年ではドイツが積極的に展開し日本でもしばしば話題となっている「インダストリー4.0」や「IoT(モノのインターネット)」の関連で言及されることの多い都市である。そうした印象からは、すべてがコンピューターによって効率化された“超ハイテク都市”といったイメージが浮かび上がるかもしれないが、実際の街の様子はそれとは真逆のものになっている。
すなわち、やはり都市の中心部からは完全に自動車が排除され、歩行者だけが歩いて楽しめる「コミュニティ空間」となっていて、そこでは様々な世代、車いすの人、ベビーカーをひく人などがゆっくりと過ごしている(写真0-2、0-3)。そうした姿は、他のドイツの都市以上に徹底しているようにも思われた。

写真0-2ハノーファー(インダストリー4.0~IoTのメッカの一つ)の街の様子―“人間の顔をしたスマートシティ”1

写真0-3ハノーファーにおける中心部からの自動車排除と「歩いて楽しめる街」―“人間の顔をしたスマートシティ”2

昨今、日本においてITや情報化などの話題とともに「スマートシティ」ということがしばしば言われるが、ドイツの場合、それはいわば“人間の顔をしたスマートシティ”であり、日本におけるスマートシティの議論が、もっぱら経済の効率化や“省エネ”といった視点を中心に論じられているのとは大きな違いがある。そしてドイツのこうした例を見れば、AIやIoT、情報化という方向が、ここで論じているような「地方分散型」システム、地域の自立性や持続可能性、そして人々の生活の質や「幸福」というテーマと結びつきうるということが具体的なイメージとして浮かび上がるだろう。
ちなみに、ドイツも日本と同様に人口減少社会であり、また本書の後の部分であらためて論じるように、そもそもヨーロッパの大半の国々が、日本より人口の絶対数も人口密度もずっと低い社会である。したがって、日本において広く見られる地方都市の空洞化や“シャッター通り”化、農村の過疎化等といった問題は、しばしば言われるように「人口減少社会」それ自体が原因なのでは決してない。むしろそれは人がどう住み、どのようなまちや地域を作り、またどのような公共政策や社会システムづくりを進めるかという、政策選択や社会構想の問題なのだ。それがまさに「人口減少社会のデザイン」というテーマである。

日本の状況―”アメリカ・モデル”の信奉と帰結
ところで、いまドイツやヨーロッパの街のありようについて述べたが、こうした点は概してアメリカの都市とヨーロッパの都市で大きく異なっている。冒頭で一部ふれたように、私はアメリカに80年代の終わり2年間と2001年の計3年ほど暮らしたが(ボストン)、アメリカの都市の場合、まず街が完全に自動車中心にできており、歩いて楽しめる空間や商店街的なものが非常に少ない。しかも貧富の差の大きさを背景に治安が悪いこともあって、中心部には(窓ガラスが割れたまま放置されているなど)荒廃したエリアやごみが散乱しているようなエリアが多く見られ、またヨーロッパに比べてカフェ的空間などのいわゆる「サード・プレイス(職場と自宅以外の居場所)」も少なく、街の“くつろいだ楽しさ”や“ゆったりした落ち着き”が欠如していると感じられることが多い。

広井 良典 (著)
出版社 : 東洋経済新報社 (2019/9/20)、出典:出版社HP