四季の地球科学――日本列島の時空を歩く (岩波新書)

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幅広い視点から地球を科学する

日本列島は地震と噴火によって生み出され、その相貌は今現在も変わり続けています。気候変動の中での地球の成り立ちから始まり、日本の四季やそれを基にした風土・俳句等の文化まで語られています。また、自然を楽しむことのできる日本と世界のジオパークも紹介されています。

尾池 和夫 (著)
出版社 : 岩波書店 (2012/7/21)、出典:出版社HP

四季の地球科学-日本列島の時空を歩く (岩波新書)

はじめに

二〇一一年三月九日、宮城県沖の深さ八キロメートルから割れ始めたプレート境界は、一一日の午後、さらに一挙に大きく割れ進んで、北は三陸沖、南は関東の沖まで、そして東は日本海溝、西は東北の海岸の下まで破壊面が達しました。東北地方に最大震度七の強い地震動が記録され、大津波が広い範囲の海岸地域を襲いました。三陸海岸の南の端にあたる牡鹿半島のGPS観測点は、島根県の三隅を基準点として、東へ五メートル三〇センチ移動すると同時に、一メートル二○センチ沈降しました。このマグニチュード九・○という巨大地震によって、太平洋プレートが押していた力が抜け、東北日本は全域にわたって東西に伸びてしまいました。
巨大地震の直後の一週間、日本列島の地震活動は、本震の震源断層の周りと、その周辺の地域に集中しました。同時に伊豆半島などでも群発地震が活発化し、関東の東の沖などでは規模の大きな余震が起こる可能性が残り、日本列島はいつになく緊張感に覆われています。

松島の月

牡鹿半島から、石巻湾を左手に見ながら石巻市をすぎ、東松島市、塩竈市を経て仙台市にいたる途中に名勝の松島があります。松島は松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出発するとき、「松島の月まづ心にかかりて」と書いた日本三景の一つとして知られています。三陸海岸は山地の浸食と沈降によってできた、入り組んだリアス式海岸として有名ですが、水深一○メートルに満たない松島は、リアス式海岸がさらに進行した沈降地形に海が入り込んでできた多島海と言われています(海中にすべり込んだ地形という可能性もあります)。「芭蕉に随行した河合曾良の日記によれば、元禄二年五月九日(西暦では一六八九年六月二五日)に着船して翌日出発するという、たった一泊の慌ただしい滞在でしたが、磯づたいに松島の景色を船から眺め、「造化の天工、いづれの人か筆をふるひ、詞を尽さむ」(誰が筆をふるいことばを尽くして描けるだろうか)と芭蕉は表現したということです。しかし、『おくのほそ道』には松島を詠んだ句を載せていません。
松島にあこがれて行った割には慌ただしく通過したので、芭蕉たちの旅は実は幕府による仙台藩の視察だったという説があるほどですが、それはさておき、牡鹿観測点の大きな地殼変動でわかるように、松島湾の沈降地形はまた一段と進行したかもしれません。
そこから芭蕉たちは、二〇一一年東北地方太平洋沖地震によって被災した地域を歩いています。その地域では、たびたび地震や津波による被害を受け、そのたびに大地が変動しています。このように、地震によって長い時間にさまざまに変動しているのが日本列島の特徴です。松島をはじめとする日本の名所は、たびたび大規模な自然災害を受けながらも、そのたびに復興してきた経験を持っています。松島も二〇一一年の巨大地震で岩の崩落など大きな被害を受けましたが、また美しい景色を見せてくれることでしょう。

日本列島の紀行文

『おくのほそ道』の旅は、元禄二(一六八九)年三月二七日に江戸深川の採荼庵を引き払って始まりました。東北地方、北陸地方を約六○○里(約二四○○キロメートル)巡り、元禄四年に江戸に帰りました。『おくのほそ道』に代表される芭蕉の紀行文は、旅の先々に挨拶としての句を残すという、吟行の始まりでした。また、大地の風景を発句に詠んだ、初めての日本列島の紀行文ということができます。例えば、

荒海や佐渡によこたふ天の河芭蕉

有名なこの句は、世界でいちばん若い海とも言える日本海を詠み、そこにある佐渡島を詠み、そして銀河系をとり込んで宇宙をも詠み込んだ、壮大な俳句といえるでしょう。
この句が詠まれた出雲崎(新潟県)は、北アメリカ・プレートの縁にあって、東北日本と西南日本のつなぎ目にあたります。つなぎ目の大地には波打つような檜曲構造ができていて、
最近では二〇〇四年の新潟県中越地震や二〇〇七年の新潟県中越沖地震、二〇一一年三月一二日の長野県北部の地震などがここで起こりました。芭蕉はそこから西へ歩き、姫川(糸魚川市)で東北日本から西南日本へ渡りました。姫川を渡ったところが、ユーラシア・プレートの縁にあたります。ここは高い品質の翡翠で知られているので、姫川の河口には翡翠の原石がごろごろころがっていたことでしょう。

数億年の時空

日本列島の大地は、たいへんこまかい構造を持っているのも大きな特徴です。数億年前の古い地質から、比較的最近生み出されたさまざまな地質までが、小さな国土に分布しているのです。少し歩くだけで異なる地質や地形を眺めたり、異なる植物や動物に出会うことができます。わたしはこの性質を「ジオ多様性」と呼ぶことにしました。「ジオ(geo-)」とは大地を表す英語の接頭語です。
こまかい地質分布や地形は、日本に生まれ育った人びとには当たり前と思われていますが、世界的には実はたいへん珍しいのです。同じ島でも台湾では、一時間以上歩いても同じような玄武岩台地が続くので、すっかり歩き疲れてしまったことがあります。大陸の大部分は安定大陸と呼ばれるように、古い地塊が大きな変化を受けずに現在に至っています。そのような土地では地震はほとんど起こりません。
日本列島を少し歩くだけで、数億年の歴史をたどることになります。芭蕉ははからずも、大地が生まれ育った数億年の時空を歩いていたのです。
出雲崎からの九日間、芭蕉は俳句を一句も詠んでいません。次に記録されている句は、親不知の切り立った断崖を無事に越えて、市振の宿に泊まったときに詠まれました。

一家に遊女もねたり萩と月芭蕉

この句についてはさまざまな憶測と解釈がありますが、わたしは、最大の難所である親不知を無事に越えることができた人たちの、ほっとした状況と、この場所の地形の険しさを感じとるのです。芭蕉は北アメリカ・プレートからユーラシア・プレートへと本州の繋ぎ目を越えて渡り、宇宙の中での大地の旅を二つの句に詠んだことになります。芭蕉はさらに、長崎を目指して旅に出ました。「古人も多く旅に死せるあり」と『おくのほそ道』の出だしに書いた芭蕉自身が、この旅の途中、大坂御堂筋の宿で亡くなりました。一六九四(元禄七)年でした。芭蕉がもう少し長生きして長崎まで往復していたら、西南日本の大地をどのように詠んだでしょうか。

四季のことば

変動する日本列島には、四季折々の、めりはりのある季節の変化があります。日本列島に住みついた人びとは、太古から季節変化と大地の変動を生活の要素としてきました。その歴史の中で和歌の歌枕や俳句の季語が生まれ、やがて歳時記が編纂されました。
歌枕は、和歌に詠まれてよく知られるようになった名所や旧跡のことです。大和朝廷のころから親しまれている大和や山城の地名、神仏にゆかりの土地、歴史に登場する場所、古い歌に詠み込まれた地名などが、繰り返し歌人に用いられています。
また季語は、時間や空間が変化しても変わらない季節感を表します。その基準は、京都ないし畿內地方です。春の季語であるさまざまな花は、北海道では夏になってから咲くのですが、約束ですから、それらを春の景として作句するということになりました。
京都には長い間、経度の基準が置かれていて、地図や時刻の基準とされていましたが、江戸時代には緯度の基準も京都に置かれ、日本の季節感の表現の基準とされてきたのです。
古代の日本では農業が中心で、夏と冬という二季の生活が基本でした。やがて四季の概念が中国から伝わってきて、平安時代になって定着しました。例えば、『万葉集』では四季という考え方が見られないのに対して、『古今和歌集』では歌を四季に分類しています。「日本に定着した季語と例句を収めているのが歳時記です。俳句を詠む人のための大切なハンドブックですが、それだけでなく、板前が料理の名前を付けるとき、和菓子職人が考案した季節ごとの和菓子の呼び名を付けるとき、何かのデザインの呼び名を考えるときなどに、歳時記をひもといてヒントを得ていることがよくあります。
しかし、四季の変化がなぜ現れるのかという説明は歳時記にはありません。もちろん、誰もが知っているように、地球が傾いて太陽の周りを一年で公転するから四季の変化が見られるのです。本書ではそのことをもう少し深く、太陽系のこと、地球のこと、月のことなどの知識を整理して説明してみたいと思います。

名所はなぜ名所になったか

人は旅行すると、旅先の名物の中から家人や知人のために土産物を探します。お土産をもらった人は、包みを解きながら土産話を聞きます。土産にはその土地の香りがあるのです。土産話のもとになる名所は、なぜ名所になったのでしょうか。その土地の名物は、なぜ名物なのでしょうか。
大地の由来とそこに育まれている生態系を知ることは、そのような由来を考える手がかりになるでしょう。
日本列島と大陸の間にある日本海はたいへん若い海で、およそ一六○○万年前に開き始めました。一方、東北日本の東にある太平洋の海底は、世界でいちばん古い海底で、生まれてからおよそ一億八○○○万年以上たっています。日本列島をとり囲む海には、世界でもっとも生物多様性の豊かな生態系があります。
もともと人類の祖先は海から生まれた生物です。ですから、海の恵みである魚や海草を基本とする日本食での生活は、人の体と暮らしにもっともよく適合しています。山や森をきれいにして、里で水を汚さないように暮らせば、日本の周りの海は、美味しい食材を、いつまでもわたしたちに供給してくれることでしょう。

ジオパーク

ジオパークとは、一言でいうと大地の公園です。ここでは景観を愉しむだけでなく、その場所が生まれた時空を理解し、育まれている生態系の恵みを愉しむことができます。ユネスコの支援によって、世界ジオパークネットワークが二〇〇四年にできました。二〇○八年に日本ジオパーク委員会が発足し、わたしが委員長に就任し、地理学者で火山学者でもある町田洋さんが副委員長に就任しました。同時に、日本のジオパークを認定する仕組みをつくりました。二〇一〇年にはNPO法人の日本ジオパークネットワークが発足しました。二〇一二年六月現在、日本には五ヶ所の世界ジオパークと一五ヶ所の日本ジオパークがあります。世界ジオパークネットワークには、二〇一二年三月現在二七ヶ国から八八のジオパークが加盟しています。ジオパークについては、終章でもう少し詳しく説明することにしましょう。各章の終わりで、世界ジオパークに認定された日本のジオパークを紹介しました。
この本の章立ては、一見すると春夏秋冬になっています。それをわざわざ仕組んだのではありません。日本列島のことをさまざまな観点から紹介しようとして、その特性を整理していくうちに、自然に四季折々の風物が現れてきて、またそれを詠んだ歌や句が思い起こされた結果なのです。
この本には、多くの科学者たちの研究成果をとり入れています。本来なら引用した文献を掲載しておくことが必要でしょうが、この本の性質からそれらのすべては掲載しませんでした。研究論文には科学者たちの努力の成果がまとめられています。また、さまざまな出版物に、その分野の集大成があります。本来なら、その一つひとつの出版物を紹介し、その著者に謝辞を述べることが礼儀ですが、ここでは、省略することをお許しいただきたいと思います。
執筆にあたって、わたしの所属する氷室俳句会の句会での、金久美智子主宰の指導、会員との日ごろの議論がたいへん参考になりました。俳句の先輩である妻葉子の遠慮のない意見が、いつものように文章の全般を仕上げるのに役立ちました。原稿の作成には宮崎紗矢香さんと田中恵美さんに協力していただきました。岩波書店編集部の千葉克彦さんには企画から編集にわたって貴重なご意見をいただき、一冊を完成することができました。皆さんに深く感謝します。
また、この本には索引を付けてありません。おせっかいですが、わたしは本を読むとき、自分で索引をつくりながら読みます。その索引をパソコンに記録しておくと、検索して容易にその記載にたどり着くことができます。後日、何かのためにもう一度ご覧になりたいという方には、そのような方法をおすすめして本題に入ります。

尾池 和夫 (著)
出版社 : 岩波書店 (2012/7/21)、出典:出版社HP

目次

はじめに
第一章 太陽と地球と月と
四季のある国
宇宙の中の地球
月の贈り物
天・地・人を結ぶ暦
コラム 日本のジオパーク その1 火山活動

第二章 地震と噴火の日本列島
地震がもたらす山と川
変動帯に暮らす
風景と記憶
地震と津波に備える
将軍塚鳴動
コラム 日本のジオパーク その2 大構造線

第三章 森と里と海の国:
紅葉と名月
森と里と海のつながり
自然と文化
大地と生き物の豊かさ
コラム 日本のジオパーク その3 日本海の拡大と付加体

第四章 日本海と日本列島
日本海と雪
日本列島の成り立ち
変動する気候
地球温暖化と天気
コラム 日本のジオパーク その4――付加体

終章 ジオパークの愉しみ 見る・食べる・学ぶ

参考文献

第一章 太陽と地球と月と
菜の花や月は東に日は西に 養村

尾池 和夫 (著)
出版社 : 岩波書店 (2012/7/21)、出典:出版社HP