【レビュー】ルポ タックスヘイブン 秘密文書が暴く、税逃れのリアル

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はじめに

ニューヨークから飛行機で2時間。窓の下には真っ青な海が広がっていた。
「ようこそパラダイスへ」
空港を出ると、陽気なタクシー運転手が出迎えてくれる。
北大西洋に浮かぶ英領バミューダ諸島。この小さな島々と米フロリダ半島の先端、そしてカリブ海のプエルトリコの3地点を結んだ三角形の海域は「バミューダトライアングル」と呼ばれる。
飛行機や船、乗務員が忽然と姿を消すという「魔の伝説」で知られる場所だ。
港には無数の白いクルーザーが浮かぶ。ピンクの砂浜や薄いパステルカラーの家々、柔らかい風……。

一見リゾートにしか見えないこの島には、「もう一つの顔」があった。いや、日頃は隠されている「本当の顔」がある、と言ったほうがいいかもしれない。
島の中心都市ハミルトン。港近くに、司法省や金融庁と並んで、薄緑色でガラス張りの近代的な建物が立っている。
取材のターゲット。「アップルビー」という名の法律事務所だ。
4階建てのこの建物が、数千もの企業の所在地となっている。書類上だけに存在する「ペーパーカンパニー」が、ここに大量に籍を置いているのだ。

会社を所有しているのは、世界の大富豪や政治家、王族といった一握りの富裕層、あるいは世界的な巨大企業……。会社設立の目的は、資産をため込んだり、匿名性の高い取引に利用したりするためともされる。

バミューダの「もう一つの顔」。それは巨額の資金が世界中から流れ込む「タックスヘイブン」という顔である。
日本語で「租税回避地」と訳されるタックスヘイブン。所得税や法人税がかからなかったり、極めて安かったりする国や地域のことだ。
タックスヘイブンという存在自体は、以前から知られていた。しかし、そこで何が行われているのかは、高い秘匿性の壁に阻まれ、知ることは難しかった。
今回、その実態を明るみに出す貴重な資料がもたらされた。「アップルビー」などから流出した、1.4テラバイトに及ぶ大量の内部文書である。
南ドイツ新聞の記者にもたらされた文書は、国際調査報道ジャーナリスト連合(Inter-national Consortium of Investigative Journalists=ICIJ)を介して、世界各国のメディアの間で共有された。そこには、富裕層の本音が垣間見える電子メールから、大企業が交わした契約書まで、日頃は決して表に出ることのない資料が大量に含まれていた。

「パラダイス文書」と名付けられた一連の資料の分析と取材には、8カ国、5報道機関の記者ら382人が加わった。日本からは、朝日新聞と共同通信、NHKが参加した。
私たち取材班は一年近くにわたり、膨大な資料を読み込み、資料に登場した現場に向かい、人々の言葉に耳を傾けた。

バミューダだけではない。
アフリカへ、香港へ、インド洋へー。

見えてきたのは、タックスヘイブンの実態である。
資産を守るために奔走する資産家や、税逃れの複雑な仕組みの恩恵を享受する大企業、それを支えるために動く法律や会計の専門家集団…..。それらが国境を越えてつながっているさまが、取材から浮かび上がってきた。

「上位1%」の超富裕層が、世界の富の半分を独占しているといわれる時代。世界各地で「格差」が叫ばれ、社会の歪みや経済のリスクが広がっている。タックスヘイブンの中をのぞきこむと、その理由の一端が見えてくる。税制度が骨抜きにされ、お金持ちや大企業だけが得をする世界が、そこにはある。

タックスヘイブンの話は小難しく、縁遠い話だと思われるかもしれない。だが、そう考えてこの問題を放置し続ける限り、世界の格差は広がり続けていく。
現場をルポする本書が、一人でも多くの人にとって、タックスヘイブンを自分たちに関わる問題として考えるきっかけとなれば幸いである。

2018年3月朝日新聞ICIJ取材班

登場人物の用書と年齢は、原則として取材当時のもので、記者たちの敬称は省略した。
通貨換算は、1米ドル=110円、1ユーロ=135円、1ポンド1150円、1CFAフラン10・2円、1モーリシャスルピー13.3円、1香港ドルー3・4円とした。

目次 – ルポタックスヘイブン秘密文書が暴く、税逃れのリアル

はじめに

第1章膨大な文書の森に踏み込む
~バミューダの法律事務所からデータが大量流出
パナマ文書後、新たなリーク
巨大データベースで「宝探し」
仮想のニュースルーム
命名「パラダイス・ペーパーズ」報道解禁日へ
「パラダイス文書」世界同時解禁
突き止めたタックスヘイブンの「巨大帝国」
ロシアと同じベッドに
トランプ政権への波紋
疑惑の主、トランプ氏の恩人
米政治動かすマネー
英女王の名も
アップルビーに送られた元ドイツ首相の名
鳩山元首相
報道後、各国で追及強まる
最大流出元「ハッキングを受けた」
コラムタックスヘイブンって何?

第2章影の案内人
~法律事務所アップルビーから税逃れの提案書
F1王者ハミルトン選手へ、税逃れの提案書
ジェット機旅程表の謎
アップルビーから授けられた計画
税を逃れるための高額な手数料
マン島首席大臣、突然の反論会見
アップルビーの重要顧客リスト
米アップルによる「税逃れ」
アップルから一通のメール
不自然なアイルランドGDPの動き
コンブラ違反の境界で
政界との太い人脈
「秘匿性」に群がる顧客
アップルビー、発展の歴史
政府の言い分ダックスヘイブンへの誘い文句コラム数字で見るバミューダの経済格差

第3章収奪の大地
~アフリカ鉱山の利益を搾取する巨大商社タックスヘイブンの被害者
鉱山の村へ
怒りの言葉
輝く砂を見つけた
果たされなかった約東
グレンコア・ルーム
「鉄の女」へ募る不信
怒りの座り込みデモ
暴かれた税逃れ
新市長を阻む壁
終わらない「支配」、続く「反発」
収奪、コンゴ民主共和国でも
イスラエルの交渉人につきまとう疑惑
資源の呪い

第4章強者の楽園
~アフリカから富を吸い込む金融立国モーリシャス
モーリシャスの二つの顔
サトウキビと金融街蜜を吸う島
島の開墾者たち
落日の砂糖産業
金融立国内
アップルビーのモーリシャス支店へ
二重課税回避条約の魔力
がらんどうのオフィス「盗みじゃない。ビジネスだ」
「パラダイス文書」の余波
二つのリスト
楽園依存
改革阻止へロビー活動
「自国第一」
土から離れて

第5章タックスヘイブンと日本
~パラダイス文書から浮かび上がった日本
国内の元政治家とタックスヘイブン
鳩山由紀夫元首相が「勤める」タックスヘイブン企業
ホイフーCFO「鳩山氏のブランド、名前が役に立つ」
元総務副大臣と「実名」めぐり攻防
政治家に求められる透明性
死者が投資?バミューダに眠る2億円の怪
アップルビーが用意した「名義上の株主」
死者が投資?
現社長の自宅へ直接取材
現社長のつぶやき
結論は「グレー」
6億円詐欺罪の被告、マン島に会社を保有
都市銀行から融資
「完璧な書類を出された」
「世界的な仕組みがある」オンラインギャンブルの実態
カラフルな7段ピラミッドの組織図
マルタのカジノサイトと日本語でチャット
転居していた外国人名の男性
オンラインギャンブルの違法性
摘発できぬ海外の運営会社
運営会社の答え
利用客を探して
マルチ商法のトラブル
米ファンド、日本の不動産を大型買収CEOはトランプ氏の元助言役
日本のメガバンクから資金調達
不動産登記に出てこない「ブラックストーン」
ブラックストーン「税務法令を完全に順守」

第6章グローバルジャーナリズム
~世界のメディア連携で追った金融リーク
「アップルビー」の本拠地、英領バミューダへ
ICIJ各国メディア、パミューダへ現地入り
前々夜の作戦会議
突撃の瞬間
米ワシントン、ICIJ事務局へ
パラダイス文書の報道意義マルタから飛び込んできた悲報
情報共有という成功モデル、多くのメディアが認識
リーク元「ジョン・ドウ」のマニフェスト
コラム3メディア「協働」の醍醐味
トコラム3メディア「協働」の醍醐味

第7章タックスヘイブンの世界リスク
~租税回避地の何が問題か?
国家の統治への挑戦
税逃れ取引の効果
便宜置籍船で回避されるもの
正体を隠して株価操作
ギャンブルヘイブン
成長を鈍らせ、格差を拡大
報道を受けての各国の対応
ならばどうすればいいか
パラダイス文書アーカイブ
パラダイス文書、質の高い情報米国に関わる情報、続々と
カナダ首相腹心、脱税か政策と相反
「楽園」に集う大物たち
ナイキ、ロゴ利用し税逃れか
フェイスブックやツイッターにロシアマネー
米アップル、子会社を別の租税回避地に移転
米企業が税逃れ仏大統領選で雇用の象徴
米英の有名大学、タックスヘイブンに投資
音楽使用料、タックスヘイブンで管理
環境軽視の企業へ融資租税回避地隠れみの
資源商社、最貧国へ税を払わず
モーリシャスに吸い込まれるアフリカの収益
日本の元首相ら議員3人
著名漫画家ら、不動産事業出資
租税回避地、日本企業からも
世界の政治家や君主ら127人
おわりに解説――池上彰

第1章膨大な文書の森に踏み込む
~バミューダの法律事務所からデータが大量流出

パナマ文書後、新たなリーク
新たな文書に関する情報が朝日新聞の記者にもたらされたのは、2016年2月8日のことだった。

「新しいプロジェクトがあります」
東京・西早稲田。夕暮れ時、在米イタリア人ジャーナリスト、シッラ・アレッチ(35)が、声をひそめた。米ワシントンに本拠を置き、世界のジャーナリストによる共同の調査報道を進める非営利組織「国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)」。彼女は、その専属記者で、アジアの窓口役を担っていた。

この年の4月、ICIJと提携する朝日新聞など世界のメディアは、グローバルな税逃れの実態を暴く「パナマ文書」を一斉に報じた。報道をきっかけに、アイスランドとパキスタンの首相が辞任に追い込まれるなど、世界に大きなインパクトを与えた。
それからほどなく、パナマ文書の「続編」が、ひそかに動き出していたのだ。
「オフショア(タックスヘイブン=租税回避地)に会社を設立する法律事務所のリーク(情報漏出)が南ドイツ新聞に来ました。最近、分析を始めたばかりです。いま参加すれば、スタートから関われるので、やりがいがあります」

朝日新聞はパナマ文書に続き、このプロジェクトに参加することを決めた。
2017年3月27、28日。ドイツ・ミュンヘン。南ドイツ新聞本社に、ICIJと提携する世界各国の100人以上の記者が集結した。新たなリーク文書に、どのように連携して取り組むかを話し合うためだった。

文書を入手したのは、南ドイツ新聞の2人の記者たちだった。フレデリック・オーバーマイヤーとバスティアン・オーバーマイャー。兄弟ではないが、よく似た姓のこの2人。パナマ文書に続いて、再び大量の流出データを入手した2人が会議の主役だった。
新たに入手した文書とは何なのか。大勢の記者が注目するなか、その全容が説明された。
データは全部で1・4テラバイト。史上最大規模だったパナマ文書の2・6テラバイトに次ぐデータサイズになる。

流出元は複数あるが、その中心が「アップルビー」という名前の法律事務所。英領バミューダ諸島で設立され、世界0カ所にオフィスを持つ。タックスヘイブンを専門に取り扱う法律事務所としては、最大手の一つとされる。顧客リストにある法人数は2万5千近くにのぼり、180の国と地域にまたがる。最も多いのは米国で、英国が続く。

電子メール、契約書、銀行口座、データベース……。膨大なデータには、ビッグネームも名を連ねる。ウィルパー・ロス米商務長官などのトランプ政権の幹部たち、カナダの歴代3人の首相たち、ドイツのゲアハルト・シュレーダー元首相。ナイキやフェイスブックといった大企業の名前も挙がった。

パナマ文書とは何が違うのか。
「より多岐にわたるタックスヘイブンの情報が含まれている」
「一流の法律事務所からの流出で、米国の著名な顧客が多い」
そんな説明に、記者たちの期待は高まった。パナマ文書では米国についてのニュースが少なく、ロシアや中国の関連が多かったため、米国による陰謀論もささやかれた。今度は米国の顧客が多く利用する法律事務所が流出元となっていた。

解禁日は、分析と取材に十分な時間をかけたい、というICIJ事務局長ジェラード・ライルの意向が通り、半年以上後の1月5日(日本時間では6日)と決まった。世界中のメディアが協力する大プロジェクトが、本格的に動き出した。

巨大データベースで「宝探し」
取材の基本は、流出した文書をひたすら読み込むことだった。巨大なデータは、ICIJの技術担当者によって順次データベース化。インターネット上に専用の検索サイトが準備され、記者たちがデータベースにいつでもアクセスできる仕組みとなった。
記者たちはこの検索サイトに、思い思いのキーワードを入れていく。たとえば、「Tokyo」と入れてみる。ヒット件数は3万2209件だ。最初に出てくるのは、「Tokyo」が社名に入っている企業の情報。続いて、東京への出張日程についての打ち合わせメール。多種多様なファイルがデータベースにはある。
文書の内容は、法律事務所で交わされた電子メールや、社内でまとめたメモ書きから、正式な契約文書や議事録まで多岐にわたった。読み始めれば、きりがない作業だった。
情報が断片的だったり、プロジェクト名にコードネームがつけられていたりと、内容を完全には理解できないものも少なくなかった。ただ、ときに「宝物」に当たるのが、この取材の面白さでもあった。
たとえば、タックスヘイブンを利用した税逃れのスキームがあったとする。お金の流れだけがわかっても、当事者が「税逃れのためではない」と否定してしまえば、言い逃れの余地が残ることも多いだろう。
ところが今回の文書には、本来は表に出ないはずだった電子メールのやりとりが多くある。その中には、彼らの「本音」が露骨に書かれていた。
「うちの法律事務所のアドバイスに従えば、支払う税金が安くなります」
そんなあからさまな「税逃れへの誘い文句」もあれば、そのために支払われた手数料の金額までもが詳細に書かれた文書もあった。
メールアドレスや送受信の日時なども、取材を深めるうえで貴重な手がかりとなった。
たとえば、本文の末尾に記された送信者の所属や肩書に加えて、メールアドレスの末尾に「@gov.bm」とあることで、英領バミューダ諸島の政府関係者だと判断できた。送受信日時の間隔からは、メールの重要度や緊急度も推し量れた。日付が特定されれば、当時の政治・社会情勢も重ねて文脈を読める。何度も返信や転送が繰り返されたメールからは、ビジネス上の上下関係やネットワークも浮かんだ。