人が人を裁くということ

『【最新】あなたはどこまで知っていますか? – 改めて裁判員制度を知る5冊』も確認する

はじめに

一九九九年一二月、米国テキサス州で服役する死刑囚の一人が、向精神剤を大量に飲んで自殺を図り、担当部署は大変な騒ぎになった。受刑者の健康状態を医療チームが厳重に監視しながら病院まで飛行機で急行し、一命を取り留める。こうしていったん助けた、まさにその翌日、受刑者は処刑された(Lifton&Mitchell,2002)。また一九九五年八月、オクラホマ州の受刑者は、死刑執行直前に薬を服用し自殺を試みたが、胃洗浄のおかげで意識を取り戻した。そして予定通りの時刻に執行された。二〇〇二年一一月に二度の心臓手術を受けた後、翌月に処刑されたイリノイ州の受刑者もいる。我々はなぜ、こんな手の込んだことをするのだろう。犯人の処罰を望む本当の理由は何なのか。本書は、裁くという行為の意味を、その根本に戻って考えてゆく。刑事裁判の目的は何だろう。

犯罪の真相を究明し、犯人を罰する。そして、同じ犯罪が再び起きないよう、防止措置を講ずるための糧とする。こう答えるだろうか。犯人を処罰して、被害者の無念を晴らすためだと言う人もいるだろう。しかしこの考えは、犯人を確定できる、犯罪の理由が裁判で解明できるという前提に基づく。

本書は、この常識に疑問を投げかける。裁判と呼ばれる社会制度が担う本当の機能は何なのか。裁かれるのも人ならば、裁くのも人だ。この当たり前の事実をもっと見つめよう。神ならぬ人間が行う裁きとは何か。
被告人が真犯人であるかどうかは、ほとんどの場合、当人しか知らない。警察には彼らの犯行仮説があり、検察には検察の事実推定、被告人にはその言い分、弁護士には弁護士の主張、裁判官には裁判官の判断がある。それ以外にもマスコミの解説や世間の噂もある。これら多様な見解の中で、最も事実に近いと定義されるのが裁判の判決だ。事実そのものはどこにもない。判決が正しいかどうかを判断する手段は存在しない。裁判は、真理の発見を目的とする科学とは違う。とすれば、裁判は何のために行われるのか。

裁判員制度導入をめぐって、一般市民と職業裁判官のどちらが正確に判断できるかが議論されている。しかし実はこの問いに対する答えは存在しない。そもそも問いが的外れなのだ。正しい判断、合理的判断とは、何を意味するのか。新たな角度から問題提起し、判決の実相を明らかにしたい。

本書は三部からなる。第I部「裁判員制度をめぐる誤解」では、日本の新制度をめぐる論議の落とし穴を指摘する。司法への市民参加が、日本では義務として認識され、欧米では逆に、国家権力から勝ち取った市民の権利として理解されている。素人の判断力を危ぶむ日本。しかし欧米では裁判官よりも市民の判断に重きをおく。それは何故か。民度の差とか、民主主義の伝統の違いだけでは説明できない、もっと深い理由がそこにある。

第1部「秩序維持装置の解剖学」では、誤審の生じる仕組みを検討する。最近、冤罪事件が少なからず報道され、刑事訴訟法の欠陥、警察・検察の横暴や勇み足、裁判官の姿勢などが糾弾される。しかし、程度の差こそあれ、冤罪はどの国でも一定の頻度で起きている。法制度の不備や捜査官の不誠実よりも、もっと構造的な原因が潜んでいる。冤罪は、交通事故や癌の発生などと同様に、ある確率で必然的に生ずる出来事だ。被疑者の心理メカニズム、警察での取調べ実態、自白への誘導技術、目撃証言の曖昧さなどを検討し、誤判が生ずる構造を明らかにしよう。

真犯人を見つけられるのか。これが第I部と第1部で検討する課題だ。しかし、それだけでは犯罪や処罰の本当の意味は見えてこない。以上の材料を踏み台にして、第皿部「原罪としての裁き」では考察をより深め、犯罪の正体に迫る。
人間は自由な存在であり、自らの行為を主体的意志によって選び取る。だから、犯罪行為をなせば、その責任を負わねばならない。これが近代刑法の出発点だ。しかし大脳生理学や社会心理学の成果は、この大前提を直撃する。行為は自由意志によって引き起こされるのではない。意志が行為の原因をなすという因果論的枠組みでは、責任は定立できない。

では、犯罪の処罰はどのような論理に依拠するのか。犯罪とは何なのか。なぜ犯罪はなくならないのか。悪い結果は悪い原因によって生ずるという、この了解は正しいのか。これが第皿部の投げかける問いだ。裁判が機能する実像を分析し、人間という存在を見つめ直すための新たな光を投じたい。

裁判制度改善・冤罪防止・犯罪抑止といった実務的検討は本書の目的としない。我々は答えを性急に求めすぎると思う。まずは人間と社会のありのままの姿をもう一度見直そう。大切なのは答えよりも問いだ。思考が堂々巡りして閉塞状態に陥る時、たいてい問いの立て方がまちがっている。私がよく挙げる話がある。

ある夜、散歩していると、街灯の下で探し物をする人に出会う。鍵を落としたので、家に帰れず困っていると言う。一緒に探すが、落とし物は見つからない。そこで、この近くで落としたのは確かなのかと確認すると、落としたのは他の場所だが、暗くて何も見えない、だから街頭近くの明るいところで探しているのだ、と。
我々は探すべきところを探さずに、慣れた思考枠に囚われていないか。我々の敵は常識だ。常識の中でも倫理観は特にしぶとい。先入観を排して、裁判の本質について考えよう。

小坂井 敏晶 (著)
出版社: 岩波書店 (2011/2/19)、出典:出版社HP

全目次 – 人が人を裁くということ

はじめに
第I部裁判員制度をめぐる誤解
1 市民優越の原則
裁判員制度で冤罪が増えるか/市民参加の意義/裁判官を監視する欧米市民/英米陪審制度の精神/フランスの政治理念と裁判制度/裁判権をめぐる闘い/独裁政権による市民排除

2 裁判という政治行為
フランスの市民至上主義/英米の控訴制度/裁判官だけで裁く英米控訴審/判決理由の明示禁止/裁判官に誘導される危険

3 評議の力学
全員一致と多数決の違い/少数派の力/評議の影響プロセス/中立な判断はない/真実とは何か/合理的判断という錯覚/第I部の終わりに

第Ⅱ部 秩序維持装置の解剖学

自白の心理学/冤罪率の試算/日本の有罪率/各国の勾留条件/ 嘘を見破る難しさ/嘘発見器使用の本当の理由/孤立の効果
2 自白を引き出す技術
自白への誘導/詐欺まがいの心理操作/暴力と脅 迫/黙秘権の実情/嘘でも自白は致命的/捜査官が決める自白內容/フランスの取調べ/司法取引の罠
3 記憶という物語
目撃証言神話/目撃記憶の再構成/誤審への相互
作用/被疑者の記憶捏造
4有罪への自動運動
捜査活動の集団性/証拠捏造/フランス最大の冤罪事件/裁判官という解釈装置/第1部の終わり

第Ⅲ部原罪としての裁き

1自由意志と責任
何が問題か/行為と責任/意志が生まれるメカニリズム/主体を捏造する脳
2主体再考
〈私〉という虚構/自由の意味/殺意は存在しない/主体のイデオロギー
3犯罪の正体
責任概念の歴史変遷/犯人の正体/犯罪とは何か/なぜ犯罪はなくならないか/悪の必要性
4善悪の基準
主権の論理/三権分立論の射程/無から根拠を生杏鍊金術

結論に代えて―〈正しい世界〉とは何か
共同体の原罪/全体主義に対する防波堤/日本の未来
あとがき
引用文献

小坂井 敏晶 (著)
出版社: 岩波書店 (2011/2/19)、出典:出版社HP