おとなが育つ条件――発達心理学から考える (岩波新書)

【最新】発達心理学を学ぶおすすめ本 – 独学もできる入門から

自分らしく生き抜くためのヒントになる

従業員の教育という側面からではなく、より一段深い人間おとなの発達について書かれており、非常に勉強になります。また、時代を視野に入れた分析と考察がなされていて、読み応えがあります。発達心理学の視点から、とくに大人の視点に入ったとても貴重な本です。

柏木 惠子 (著)
出版社: 岩波書店 (2013/7/19)、出典:出版社HP

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はじめに−発達するのは子どもだけではない

「発達心理学」は子どもの研究?

専門は? と問われて、心理学だと申しますと、「心理学の何が専門ですか」と尋ねられることがよくあります。「発達心理学です」と答えますと、「ああ、そうですか」とすんなり分かっていただけることはあまり多くはありません。えー?と考えこまれたり、「では、子どもの研究をしているのですね?」と言われたりすることがしばしばです。「子どもの研究ですね」といわれますと、「そうです」ともいえず「違う」ともいえず困惑してしまいます。そこで「子どもの研究もしましたが、今はおとな特に中高年の男性と女性に関心があります」と申しますと、一層混乱される向きもあるのです。

心理学でも社会心理学や性格心理学、臨床心理学などの場合は、そう混乱なく理解されるようですが、発達心理学はどうも分かりにくい―その一因は「発達」という言葉が日常的に耳慣れないこともあるかもしれません。「発達」とは日常的表現では「成長」とか「育つ」ことですが、これは身長や体重、瞬発力など身体面の場合に使われてきたことから、心理学が扱う心や行動には「発達」という語が使われるようになったようです。

さて、発達とは心や行動の成長だとなりますと、それは子どもだとすぐ思いつくでしょう。五〇センチほどで産まれ泣くほかは何もできなかった赤ちゃんが、たちまち身長も体重も増え、いろいろな音声や表情で自分の意思や喜怒哀楽の感情も表現するようになるなど、他の時期にはみられない子どもの成長ぶりには誰もが強烈な印象を受けます。そこで、成 長、発達というと子どもと連想するのは無理もありません。しかし、これが発達についての誤解の一つです。
もう一つの誤解の元は、子どもとおとな/親との関係から来ています。子は未熟無能で育てられる、他方、育てる親やおとなは子どもに比べて有能です。この「育てられる子|育てる親/おとな」の対比が、おとなは発達がすでに完了しているとの錯覚を招きやすく、発達は子どもの問題であり、おとなの問題ではないと見なすことになりがちなのでしょう。

同様の誤解は学問の世界でも長いこと続いてきました。心と行動の発達を扱うのは児童心理学や青年心理学で、おとなになるまでが研究の対象でした。それがおとな以降も発達し続ける事実が注目されるに及んで、成人したのち死に至るまでの一生が発達研究の対象となり、生涯発達心理学といわれるようになったのです。

おとなも成長/発達する−発達には多様な変化がある

成長/発達は子どものみならずおとなの問題です。人が自分の存在に意味を認め生き甲斐を感じる基盤は、自分が成長しているという実感です。発達は人が生きている証しです。よく、「○○さんから「影響を受けた」」「〇〇に「育てられた」」「〇から「学んだ」」などといいます。自分の歩みを振り返ると、誰しもそう思う経験があるでしょう。私たちはさまざまな人との交流や体験によって、それまではなかった力や知識を得ます。能力や知識だけではありません。それまでの生き方に変化を迫られもします。この「影響を受けた」「育てられた」「学んだ」という変化こそ、発達にほかなりません。

ただし、おとなの発達は子どもの場合のようにみるみる増える、どんどん巧くなるといったものとは限りません。それとは質的に違った特徴をもっています。その一つが、以前していたことをしなくなる、できなくなることです。この消失/衰退という変化は、新しい心の働きや行動の変化をもたらす積極的な変化です。これはおとな以降の発達に顕著な特質です。

このような意味で人は生涯発達します。そしておとなが発達していないことは、本人はもちろん、家族や職場など周囲の人々にも影響が及び、問題が生じます。今、日本ではおとなの発達がうまくいっていない現象が諸処にみられています。なぜ、そのような状況になっているのかを明らかにするのも本書の目的の一つです。

生涯発達心理学は高齢化社会の産物−社会の中の学術研究

生涯発達心理学の誕生と発展は、近年の高齢化を抜きには考えられません。たかだか人生五〇~六〇年だった時代には、おとな以降の発達をあえて問題にする必要はありませんでした。発達はおとなになる前の子どもや青年を研究すること、それ以降については性格心理学や社会心理学などおとなを対象とした研究で十分だったのです。
高齢化によって、それでは済まなくなりました。高齢化すなわちおとな以降の期間の延長は、「おとな」と一括しきれない長い時期に生じる心と行動の変化発達を正面から研究する必要性を提起しました。例えば「いつまでも働きたい」と思う人の希望を充たすには、加齢にともなう心や能力の変化を知る必要があります。さもないと適切な労働条件の整備はできません。また高齢者の幸福のためには、その心身の状態を明らかにした上でどのような生活の整備と支援が必要かを見定めることも発達研究の課題です。このように、発達心理学は高齢化社会の産物ともいえるでしょう。
学術研究というものは、社会の中で生まれ社会と共にあり、そして社会のためにあるものです。おとなの心や生き方を扱う発達心理学の社会的使命は、前例のない超高齢化の日本でとりわけ大きいと思います。

柏木 惠子 (著)
出版社: 岩波書店 (2013/7/19)、出典:出版社HP

目次

はじめに―発達するのは子どもだけではない

第1章 発達とは何か
第2章 おとなの知力とは―子どもの「知能」とおとなの「賢さ」
第3章 感情と人間関係―おとなを支えるネットワークの発達
第4章 家族の中でのおとなの発達1―結婚と夫婦関係
第5章 家族の中でのおとなの発達2―「親になる」こと/「親をする」こと
第6章 私はどう生きるのか―アイデンティティ、生き方、ジェンダー
第7章 幸福感―何がその源泉か

結びに代えて

参考文献一覽

第1章 発達とは何か

発達というと、とかく子どものことと思いがちだ。しかしそうではない。それは、発達について、新しい能力が現れる、より強くなるといった変化を思い浮かべ、高齢とともに諸能力が衰え弱まると思うところからきている。しかし発達という変化には、子どもから高齢者までどの時期にも新しい能力の発現もあれば衰退もあるのである。これらのことを具体的に述べ、さらに発達という変化が何によってもたらされるのか、人間ならではの発達メカニズムについて考える。発達と環境の問題、社会化の仕組み、さらに人の意思や理想、努力を基盤とする発達の自己制御について述べる。

発達という変化

発達というと何よりも注目されるのは、子どもにそれまでなかった能力が発現する、できなかったことができるようになるという変化でしょう。さらにその力が強まっていく変化です。それは姿勢や移動などの身体運動から言語や対人行動、感情など多くの面でみられますが、中でも言語発達は、その代表ともいえるものです。
泣くことしかできなかった赤ちゃんに、母親のいうことがわかるようになる(理解)、やがて自分から相手に表現する発語(産出)も現れ、それが増えていく姿は目覚ましいものです。この乳児の二つの言語機能の発達の消長を示したのが、図1-1の発達曲線です。理解と産出という二つの機能が異なる時期とテンポで増強していく様相が歴然です。

発達曲線では捉えきれない発達―質的構造的転換

理解でも産出でも、その数が増えることは言語発達の重要な側面です。発達曲線はそれを端的に示しています。しかし言語の発達とは、ただ語彙数が増えればいいというものではありません。状況や話者との関係に応じて適切な表現ができるかどうかも重要な側面です。
父親と動物園に行って帰ってきた子が、(一緒に行かなかった)母親に向かって「パンダみたよ」といい、父親には「パンダみたね」といいました。この子は、自分と相手との体験共有の有無によって「よ」「ね」を使い分けているのです。誰に対しても、「パンダみた」というのとでは、発話の効果は大違いです。この「よ」「ね」の区別使用は、自分と他者との関係と伝達したい内容について明確な認識をもっていることが前提です。これは語彙や構音(のど・唇などを使っていろいろな音を出す)など、数量の変化として発達曲線では捉えることができない重要な変化です。

おとなの場合でも同様です。最近、日本に帰化されたドナルド・キーンさんは日本の現代文学から古典にわたる豊富な知識と深い理解をもっている方ですが、「日本語に通じている」とは現代文学や古典を読解できることではないと次のような例を挙げています。
友人とバーで歓談している時、誰かが「アッ、一二時だ」と言ったら、「そろそろ帰る時間だ、腰をあげねば……」のサインだと理解できるかどうかだというのです。「一二時」が言葉どおり時刻の通告ではなく、それ以上のことを意味している含意を理解できなければ、「日本語がわかる」「日本語に通じている」とはいえないというのです。

これは言語の発達に通じるものです。語彙数の増加は言語発達の一要素、それ以外に語彙の含意を理解しそれを使いこなす力、相手や状況に応じて語彙や表現を的確に使い分ける力が重要です。おとなの言語能力は語彙の数量以上に、表現の質が問われるのです。
言語以外の面でも同様です。うちの子は10まで数えられる!と親は喜びますが、その子が数の本質的性質を理解しているとは限りません。ブランコを「一人10回ずつ」と決められた場合、ブランコの振りに対応して一、二、と数えていない子は少なくありません。それは、待ちきれず急いでいるのでも、ずるをしているのでもありません。「振り一回が一」という数の一対一対応の概念を理解しておらず、ただ数を唱えているのです。子どもの数唱範囲が増加するという。量的変化が眼につくあまり、数の理解という質的な面での発達を見落としがちなのです。

消失/衰退も発達―しなくなる/できなくなることも重要

ともあれ、「できるようになる」「強くなる」という変化は発達の重要な面です。となると、おとなや高齢者は、発達はやはり自分たちのことではない、子どもの問題だと改めて思うかもしれません。忘れっぽくなった、何ごとにも時間がかかる、すぐ疲れるといった日頃の体験は「有能になる」「増強する」とは正反対。以前できていたことができなくなる 消失/衰退という変化です。この体験は決して愉快なものではなく、日々増強する子どもには「かなわない!」と嘆くものです。
しかし、違うのです。消失/衰退という変化は、困った否定的な出来事ではありません。発達の別な面であり、しかも積極的意味をもつ変化です。代表的な例が反射です。反射とは、体のある箇所が刺激されると必ず起きる機械的反応です。赤ちゃんは掌にものが触れるとそれが何であれ握ります(把握反射)。ほかにも、膝に支えて立たせると脚を突っ張っ て歩くように動かす起立反射など、いくつもの反射が誕生時からあります。けれども、反射はいつまでも続かず、三~五ヶ月頃には全ての反射は消えてしまいます。いつまでも反射が残っているのは発達の遅れや障害の兆候です。

考えてみれば、何でも触れたものは握ってしまうというのは困った行動です。欲しいものは握る、いらないものは握らないなど、目的に応じて判断し選択して行動するのが人間です。この目的選択に基づく行動は、無差別で機械的な反射 が消失するのと入れ替わって発達します。反射の消失衰退は、より高次な行動の出現のために必須の積極的な意味を持っているのです。

記憶についても同様です。「物覚えが悪くなった」「記憶力が衰えた」というおとなは、子どものような何でも手当たり次第にたちまち覚える記憶力は衰えています。しかし、おとなは手をこまねいてほってはおかず、丸暗記に代わるいろいろな工夫をしているものです、覚えるものは自分にとって重要なものに限定する、一字一句もらさず覚えず瑣末な部分は省き要点に絞って覚えるなど、重要性の判断と選択、焦点化をします。さらにメモを取る、連想を活用する、図や記号に置き換える、調べ方(どの辞書かネットで調べるか誰に聞くかなど)の確認などをして、情報を確実に記憶ストックに納めて活用しています。これは丸暗記能力の衰退によって促されるもので、内容の選択/焦点化によるエネルギーの節約と効果的な記憶方策の創出という、より高次の重要な発達です。
新しい能力の獲得と消失/衰退は、人間の誕生から死までいろいろな面で常にあるのです。子どもはどんどん増強する、加齢とともに衰退の一途、というのではありません。思えば、行動レパートリーがただただ増えていくのではパンクしてしまいます。より高次のものに入れ替わるために必須の前提が消失/衰退、換言すれば消失/衰退があればこそ新しいより高次な機能が生まれ、獲得/増大も起きるのです。

「年齢」「時間」の意味―発達曲線の功罪

発達曲線の「〇歳では〇点(%)」という表示は、「△歳だから△点」「□歳になれば□%ができる」と受けとられがちです。年齢が結果を生んでいるかのように――。しかしそうではありません。発達曲線は一目瞭然わかりやすくて便利ですが、時間や年齢は表記上の基準に過ぎず、年齢差という変化が何によって生じているのか、つまり発達の原因は何かについて、答えていないのです。

日頃、「まだ一歳前なのだから(できなくても)仕方がない」とか「もう少したてばできるようになる」などの言葉をよく耳にします。子どもの成長への熱い期待のあらわれです。加齢にともなう能力の変化についても、「年には勝てない」とか「年の功」などといいます。これらは一般の人がもつ発達についての素朴理論ですが、そこにはあたかも歳月や時間が発達という変化をもたらすとの考えが含まれており、その意味で正しくありません。

発達という変化は、時間さえ経てば黙っていても自然に生じるというものではありません。「石の上にも三年」といいますが、何もせずに座っているだけではだめ、その間の過ごし方が問題です。その時間内に「何をしていたか」「どんな働きかけを受けていたか」など、時間の中味が重要なのです。さらに、好奇心が強く新しい経験に気軽に対応する態度(開放性といいます)は、知識や技能の水準を衰えさせずに維持させます。また、几帳面でまじめに対処する態度も、衰退を補う有効な方略を工夫させています。日頃の生き方や性格は、時間以上に発達を大きく左右するのです。
素朴理論の誤りには心理学も一役買っています。年齢や時間を基準に示す発達曲線の頻繁な使用も一因でしょう。

柏木 惠子 (著)
出版社: 岩波書店 (2013/7/19)、出典:出版社HP