ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書) 

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キリスト教の考え方を学ぶ

三大宗教について広く浅く神観念等について説明されていて、宗教を学ぶ上で1番理解しずらかった信仰する人の気持ちや各宗教の神に対する考え方が分かります。興味がある方にも、知見を広げたいという方にも、初心者向け面白く読めるのでおすすめです。

橋爪 大三郎 (著), 大澤 真幸 (著)
出版社 : 講談社 (2011/5/18)、出典:出版社HP

まえがき

「われわれの社会」を、大きく、最も基本的な部分でとらえれば、それは、「近代社会」ということになる。それならば、近代あるいは近代社会とは何か。近代というのは、ざっくり言ってしまえば西洋的な社会というものがグローバル・スタンダードになっている状況である。したがって、その西洋とは何かということを考えなければ、現在のわれわれの社会がどういうものかということもわからないし、また現在ぶつかっている基本的な困難が何であるかもわからない。

それならば、近代の根拠になっている西洋とは何か。もちろん、西洋の文明的なアイデンティティを基礎づけるような特徴や歴史的条件はいろいろある。だが、その中核にあるのがキリスト教であることは、誰も否定できまい。一口に「キリスト教」と言ってもいろいろあり、対談でも話題にしているように、大きく分けただけでも、ローマ中心の西側のキリスト教(カトリック)と正教会(オーソドクシー)とも言われる東側のキリスト教がある。西洋の文明的なアイデンティティの直接の根拠になっているのは、西側のキリスト教であり、とりあえずは、これを「キリスト教」と呼んでおこう。西洋とは、結局、キリスト教型の文明である。つまり、西洋は、世俗化してもなおかつどこかキリスト教に根を持っていることが大きく効いているような社会である。

近代化とは、西洋から、キリスト教に由来するさまざまなアイデアや制度や物の考え方が出てきて、それを、西洋の外部にいた者たちが受け入れてきた過程だった。大局的に事態をとらえると、このように言うことができるだろう。

ところで、この事実が、日本人にとっては大きなつまずきの石になっている。以前、橋爪大三郎さんが私との私的な会話で使われていた表現をお借りすると、いまある程度近代化した社会の中で、近代の根っこにあるキリスト教を「わかっていない度合い」というのをもしIQのような指数で調べることができたとしたら、おそらく日本がトップになるだろう。それは日本人が特に頭が悪いということを意味しているわけではない。そうではなくて、日本があまりにもキリスト教とは関係のない文化的伝統の中にあったことがその原因である。

たとえば、比較の対象としてイスラム教を考えてみる。「文明の衝突」などと言うときに、西洋と衝突する文明として主として念頭におかれているのは、イスラム教圏である。つまり、今日しばしば、イスラム教の伝統の下にある文明圏は、西洋と非常に違うものの典型のように言われている。確かに、イスラム教とキリスト教は別の宗教である。しかし、そのイスラム教でさえも、キリスト教と同じ一神教であり、キリスト教と類似の着想の上に成り立っている。イスラム教とキリスト教の距離は、日本の文化的伝統とキリスト教の距離よりは、はるかに小さい。あるいは、東アジアに目を転じて、中国というものを考えてみる。儒教のような中華帝国を成り立たせている観念は、一神教ではなく、キリスト教とは全然別のものではある。しかし中華帝国の中心部にあるその観念は、その秩序の辺境にいた日本の伝統的な生活態度や常識と比べれば、どこか着想の基本部分で、キリスト教と似たものをもっている。

これらと比べたとき、日本は、キリスト教ときわめて異なる文化的伝統の中にある。つまり、日本は、キリスト教についてほとんど理解しないままに、近代化してきた。それでも、近代社会というものが順調に展開していれば、実践的な問題は小さい。しかし、現代、われわれの社会、われわれの地球は、非常に大きな困難にぶつかっており、その困難を乗り越えるために近代というものを全体として相対化しなければならない状況にある。それは、結局は西洋というものを相対化しなければならない事態ということである。

こういう状況の中で、新たに社会を選択したり、新たな制度を構想すべくクリエイティヴに対応するためには、どうしたって近代社会の元の元にあるキリスト教を理解しておかなければならない。そういう趣旨で、橋爪大三郎さんと私大澤真幸が、キリスト教を主題とする、対談をすることになった。

その際、私たちは、この対談に二つの背反する条件を課した。一方では、基礎を何も知らない人にもわかってもらえるものにした。かつ、他方で、キリスト教や近代社会についてすでに多くの知識をもち、いろんなことを考えてきた人にとっても「それは本質的な問題だ」と思ってもらえるものにした。一見背反しているように見える、こうした両面が欲しい。その両面を一挙に獲得するにはポイントがある。キリスト教に限らず、どんな知的主題に関しても言えることだが、ある意味で最も素朴で基本的な質問が一番重要である。そういう質問は、初学者にとっての最初の疑問であると同時に最後まで残る一番しぶとい重要な謎である。

そこで私(大澤)が挑発的な質問者となって、ときに冒濱ともとられかねない問いをあえて発し、橋爪大三郎さんに、それに答えながら、キリスト教というものが何であるか、キリスト教が社会の総体とどのようにかかわってきたかを説明していただいた。このような役割分担にしたのはまず何より、現代の日本で、橋爪大三郎さんが最も信頼できる比較宗教社会学者であり、その立場からの本を著されてきたからである。特定の宗教についての優れた研究者はたくさんいる。しかし、すべての世界宗教・普遍宗教を横断的にとらえながら、その根本的な性格をきちんと理解し、かつ社会学者としても優れた洞察をもっている人としては、橋爪さんの右に出る者はいない。と、同時に、私が質問者になったのは、私がこれまで、宗教、とりわけキリスト教の存在を前提にした論文や著書をたくさん書いてきたからである。

対談は、全部で三回である。まずキリスト教のベーシックな考え方になる、あるいはその背景にあるユダヤ教との関係で、啓示宗教としての一神教の基本的な考え方をはっきりさせて(第1部)、その次にキリスト教のきわめて独創的な側面である「イエス・キリスト」とは何であるかを考え(第2部)、最後にキリスト教がその後の歴史・文明にどのようなインパクトを残してきたかということについて考えていく(第3部)。

自画自賛は、ほんとうは慎むべきかもしれないが、この対談については言わせてもらいたい。この対談は絶対におもしろい。私は、もともと、自分の対談の記録を読み返したり、手直ししたりするのが苦手である。自分の発言を文字として読むのが気恥ずかしいのである。しかし、この対談に関しては、自分で読んでいても楽しくて仕方がなかった。自分で読みながら、何度も笑ってしまった。読者にも、必ずや、楽しみながら知的な興奮を味わってもらえるだろう。

大澤真幸

橋爪 大三郎 (著), 大澤 真幸 (著)
出版社 : 講談社 (2011/5/18)、出典:出版社HP

目次

まえがき

第1部 一神教を理解する――起源としてのユダヤ教
1 ユダヤ教とキリスト教はどこが違うか
2 一神教のGodと多神教の神様
3 ユダヤ教はいかにして成立したか
4 ユダヤ民族の受難
5 なぜ、安全を保障してくれない神を信じ続けるのか
6 律法の果たす役割
7 原罪とは何か
8 神に選ばれるということ
9 全知全能の神がつくった世界に、なぜ悪があるのか
10 ヨブの運命――信仰とは何か
11 なぜ偶像を崇拝してはいけないのか
12 神の姿かたちは人間に似ているか
13 権力との独特の距離感
14 預言者とは何者か
15 奇蹟と科学は矛盾しない
16 意識レベルの信仰と態度レベルの信仰

第2部 イエス・キリストとは何か
1 「ふしぎ」の核心
2 なぜ福音書が複数あるのか
3 奇蹟の真相
4 イエスは神なのか、人なのか
5 「人の子」の意味
6 イエスは何の罪で処刑されたか
7 「神の子」というアイデアはどこから来たか
8 イエスの活動はユダヤ教の革新だった
9 キリスト教の終末論
10 歴史に介入する神
11 愛と律法の関係
12 贖罪の論理
13 イエスは自分が復活することを知っていたか
14 ユダの裏切り
15 不可解なたとえ話① 不正な管理人
16 不可解なたとえ話② ブドウ園の労働者・放蕩息子・九十九匹と一匹
17 不可解なたとえ話③ マリアとマルタ・カインとアベル
18 キリスト教をつくった男・パウロ
19 初期の教会

第3部 いかに「西洋」をつくったか
1 聖霊とは何か
2 教義は公会議で決まる
3 ローマ・カトリックと東方正教
4 世俗の権力と宗教的権威の二元化
5 聖なる言語と布教の関係
6 イスラム教のほうがリードしていた
7 ギリシア哲学とキリスト教神学の融合
8 なぜ神の存在を証明しようとしたか
9 宗教改革――プロテスタントの登場
10 予定説と資本主義の奇妙なつながり
11 利子の解禁
12 自然科学の誕生
13 世俗的な価値の起源
14 芸術への影響
15 近代哲学者カントに漂うキリスト教の匂い
16 無神論者は本当に無神論者か?
17 キリスト教文明のゆくえ

あとがき
文献案内

橋爪 大三郎 (著), 大澤 真幸 (著)
出版社 : 講談社 (2011/5/18)、出典:出版社HP