背徳の西洋美術史 名画に描かれた背徳と官能の秘密

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「背徳美術」を鑑賞するポイントを知る

本書は、ギリシャ・ローマ神話や聖書、あるいは西洋の政治経済史などの知識を学びながら、人が逃れることのできない性愛の美術を解説しています。西洋美術の歴史を紐解きながら、そこに見られる背徳の美、人間の性へのあくなき探求に触れることができます。

池上 英洋 (著) , 青野 尚子 (著)
出版社 : エムディエヌコーポレーション (2020/10/27) 、出典:出版社HP

はじめに
背徳美術を読む

ここに一枚の絵がある[図1]。描かれているのは一組の男女であり、いかにも仲睦まじい様子で男性が女性の肩に手をまわしている。しかし、よく見ると男性は初老と言ってよいほどの高齢で、好色そうな視線を送りながら右手で女性の胸を触り、しっかりと抱き寄せている。一方、女性はまだ幼さも垣間見えるほどに若い。初老の男性に視線を返すこともなく、何かもの言いたげに私たちのほうを見ている。そして画面下側では、両手でなにやら動作をしている。実は彼女は男性の財布のなかのお金をあさっているのだ。


図1●ルーカス・クラナッハ[父]〈不釣り合いなカップル〉
[1517年、バルセロナ、国立カタロニア美術館] クラナッハは「不釣り合いなカップル」の主題を数多く描いている。本作品には、女性の左ひじの上に画家のサインが入っている。女性の手に指輪がないのでただの愛人である可能性もあるが、男性の嬉しそうな顔と女性の思わせぶりな微笑が良い対比をなしている。

この絵の作者であるルーカス・クラナッハ(父)は、一四七二年に生まれたドイツの画家である。ほぼ同い年の芸術家には、デューラーやミケランジェロらがいる。彼らが生きたルネサンス時代の社会構造には、ひとつ特徴があった。それは当時の人々がギルド(同職人組合)から親方として認められて、初めて経済的に自立できるシステムということだ。そのため男性の初婚年齢が高く、また一生親方になれず結婚できない男性の数も非常に多かった。一方、女性の結婚年齢は十代後半と低かった。しかし高額な持参金を必要とするためで未婚率も高く、また当時の劣悪な衛生環境のせいで出産時の死亡率は恐ろしいほど高かった。
産褥死で妻を失った男性はすぐに次の妻を迎える。これを繰り返していくうちに、年齢の離れた夫婦ができあがる。おわかりだろうか、結婚できない若い男女であふれている街なかを、やたらと若い妻を連れた老人が歩いていく。《不釣り合いなカップル》と呼ばれるこの絵画は、そうしたやるせない社会状況を描いたもので、実際に同主題を描いた作品は数多い。
西洋美術には、性的なニュアンスを含んだ絵画や、危険な香りのする作品が多い。それらを、色彩の鮮やかさや線描の巧みさだけに注目して楽しむのもひとつの正しい鑑賞法だろう。しかしここにとりあげた主題のように、作品が描かれた社会状況や背景にあるストーリーを知ることで、作品の楽しみ方は一層広く深いものになる。とりわけ本書がとりあげる「背徳美術」といった視点で読み解ける作品群は、西洋美術の主要なテーマであり、非常に興味深いものだ。にもかかわらず、一般的な倫理観にもよるのか、内容を詳しく説明されることはあまり多くない。
よって本書では、「背徳美術」という西洋美術における一大ジャンルを構成する九つのテーマをとりあげ、それらの主要な主題のあらましと鑑賞ポイントを見ていこう。そうした背景を知ることで、読者の皆さんの今後の美術鑑賞が、さらに味わい深いものになれば幸いである。

池上 英洋 (著) , 青野 尚子 (著)
出版社 : エムディエヌコーポレーション (2020/10/27) 、出典:出版社HP

目次

はじめに 背徳美術を読む

第1章 凌辱する神たち
獣姦の神話――レダと白鳥
テキストの源泉に見る獣姦の構図
黄金の雨を受けるダナエ
ティツィアーノとミケランジェロのライバル関係
牡牛にさらわれたエウロペ
独特のポーズを追求したティツィアーノ
略奪されて妻となる――プロセルピーナ
季節はなぜあるのか
ストーカーになったアポロン
柔らかい肉と固い木

第2章 聖書で語られる背徳
兄弟殺し――カインとアベル
兄弟殺しの裏にある民族意識
英雄が犯した背徳――バテシバ
背徳の英雄
レイプをたくらむ――スザンナの水浴
裸体の美か、モラル画か
父と寝る娘たち――ロトの一家の物語
聖書の矛店を突く画家たち
ユダの裏切り
悲劇のクライマックスへ

第3章 聖女たちの受難
切断された乳房――聖アガタ
目の敵にされる女性的パーツ
処女を貫く新妻――聖チェチリア
発見された遺体
アレクサンドリアの聖カタリナ
キリストと結婚した聖女
1万1000人の処女と旅した聖ウルスラ
教会のメタファーに乗る聖女
[番外編]自ら死を選ぶ――ルクレティア
共和政のシンボルとして

第4章 不倫と愛人
不倫カップルの代名詞――マルスとヴィーナス
寝取られ男の代名詞となった夫
不義の愛の悲劇――パオロとフランチェスカ
乳首をつままれる女――ガブリエル・デストレ
政治に介入するフランス王朝の寵姫
愛人兼読書家の賢人

第5章 ファム・ファタル
首を斬る女――ユディト
ユディトの絵の裏にあるレイプ裁判
踊るサロメ
画家の自画像としての首
死をもたらす女たち――エヴァとパンドラ
原罪を犯すのは常に女性である
狂気の女たち――メデイアとパッカンテ
八つ裂きにされるオルフェウス
男性の精力を“切る”デリラ
“数世主”を倒した美女

第6章 売春とポルノグラフィー
ひと昔前のポルノグラフィー――ポンペイからカッソーネまで
夫姉のための興奮剤
売春とシンポジウム?――ヘタイラとキュリクス
古代の性愛場面の宝庫
コルティジャーナとティツィアーノ
ヴェネツィア・ルネサンスを彩ったコルティジャーナ
体位の見本市――発禁本『イ・モーディ』
当代一の文筆家の参戦
女性嫌い?なクールベ
歪んだ女性観を描く
フューズリが隠し続けたエロティックなスケッチ
画家のファンタジーを反映した素描

第7章 同性愛
ミケランジェロの苦悩
献げられた絵
カラヴァッジョの少年愛疑惑
女性よりも少年に熱い視線を向ける
聖セバスティアヌスになりたかった三島由紀夫
自決五日前に撮り終えた写真
フランシス・ベーコンの暗黒
愛憎相交わる父への想い

第8章 少年愛
プラトニック・ラヴ――年長者による導きと少年愛
少年を愛でよ、教育せよ
太腿の契り――神の寵童たち
美少年好みの神
可愛い子には酌をさせよ――ガニュメデス
さらわれる美少年たち
戦う美少年――ダヴィデ
包茎か割礼か
官能のクピド
豊富なアレゴリー
ヴィーナスとアドニスの悲恋
エロスと政治のねじれた関係

第9章 少女愛
理想的美少女像――ブグロー
転落と忘却
それは恋愛感情だったか――実在した不思議の国の少女
消えたページ
美少女の冒険――プシュケーの物語
肉体と精神の合一
処女性のアレゴリー
処女喪失の警告
聖なる少女を描き続けたバルテュス
どこにも属していない存在を描く

主要参考文献

池上 英洋 (著) , 青野 尚子 (著)
出版社 : エムディエヌコーポレーション (2020/10/27) 、出典:出版社HP