バリュエーションの教科書―企業価値・M&Aの本質と実務

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企業価値にまつわる知識がわかる

本書は、企業価値、バリュエーションに関する内容を解説しているテキストです。バリュエーションの基本的な内容である公式の紹介から、評価方法の解説、M&Aにおけるバリュエーションの意味、理論の実務への応用の解説など様々な内容が扱われています。

森生 明 (著)
出版社 : 東洋経済新報社 (2016/5/27) 、出典:出版社HP

はじめに

「ROE向上へ、取組み本格化」
「東芝が東証開示基準違反 米原子力子会社の減損損失公表せず」
「安倍政権、今度は企業に『内部留保吐き出せ」と要求」
「シャープ、鴻海提案受け入れ台湾企業の支援で再建めざす」

昨今注目を集めているこれらの話題は、すべて企業価値やファイナンスに絡むものだ。つまり、ファイナンスやバリュエーションの知識なしに、これらがなぜ重要なのかを腹落ちして理解するのは難しい。
それに加え、日銀が金利をマイナスにしたり紙幣をたくさん印刷して、国の借金である国債を買い支えたりすることでこの国の経済が立ち直るのか、グローバル資本主義は人類を幸せにする仕組みなのか、という大上段に構えた議論も、経済学や金融理論の知識なしには、事の本質が理解できない。

価値を生むこととカネ儲けすることはなぜずれるのか?
本書のタイトルのバリュエーション(valuation)とは、資産の価格算定、M&Aなどで会社の企業価値や株価を算定する際に使われる用語だ。「value=価値あること」に状態・結果を表す接尾辞「tion」をつけたもので、要するに「価値」を「価格」にして表現することである。
専門家が行う難しい作業だと思われがちだが、実はマンションの価格算定や中古車の購入判断、果ては資格を取ることの価値や結婚相手の品定めまで、日常的に行われている。
この作業は、自由市場を軸とする資本主義経済体制を健全に機能させる最も重要なもので、「カネでは買えない価値がある」とか、「カネですべて解決しようとするのは間違いだ」などと思考停止していてはならない。

価値を生み出す活動とカネ儲けする人がずれていて、格差が拡大しているのが社会の実情ではないか、という意見には私も同意する。しかし、そういう世の中は各個人が、投資家が、経営者が、価値に見合った値段を付け損なう結果、生み出しているという自覚を持たない限り、いつまで経っても良くはならない。
額に汗して働くこともなく「虚業」のファンドが株の売買でボロ儲けするのはおかしい、というのはごもっともだが、そのファンドがボロ儲けできるのは、同じ株を安く売ってくれる人と高く買ってくれる人が同時にいるから、その間でサヤが抜けるというだけのことだ。
突き止めるべき課題は、むしろ安く売った人と高く買った人が、それぞれどのように株価を評価(バリュエーション)したか、なぜ同じ会社の株式にファンドをボロ儲けさせるほどの評価の差が生じたのか、であろう。
本書は、価値と価格にギャップが生まれるのは「評価基準=バリュエーション」の問題だ、という視座で世の中を捉えようと試みている。

現場実務感覚でシンプルに考える
自由市場経済社会で生きていくにあたり、価格算定や企業価値評価が重要なことを理解しそれを学ぼうとしても、一般にはその敷居は高いと思われがちだ。ファイナンス理論やバリュエーションの専門書の多くは、数式やβ、λ、Σ、といったギリシャ文字がやたらと出てきて、多くの人に拒絶反応を与える。
本書は、そのギャップを埋めることをめざしている。そのためにまずは、会計やファイナンスという学問は、数字という言語を使ってコミュニケーションをとる際の文法書と割り切るスタンスで取り組むことをお薦めする。
ファイナンスは投資と資金調達についての学問だ。そして、誰かが投資するから誰かが資金調達できるということなので、この2つはコインの裏表、どちら側から見るかという違いにすぎない。ファイナンスは資金を出す人と、もらう人の間のコミュニケーション、バリュエーションは両者が折り合う地点を見定める活動、である。
グローバル競争の時代、日本人同士でしか通じないやり方では戦えない。そのためにみな、グローバル共通言語である英語をしっかり学べと言われる。
ところで、ビジネスの世界で最も広く使われている言語は何か?それは数字だ。
その目的はビジネス交渉の相手方を説得し、合意に至ること、それを円滑に進めるために、ファイナンスというツールが便利なので、使っているにすぎない。
英語で交渉するのが苦手な日本人は多く、それは歴史的・文化的なもので仕方ない。言語的なハンディキャップがあるからこそ、英語より中国語よりグローバルな共通言語である数字でコミュニケーションするスキルとして、ファイナンス知識は身につけておくにこしたことはない。
「欧米はいつも自分たちに都合のいいようにルールを作り押しつけ、フェアではない」と言いたくなる場面もあるだろう。しかしどの道、われわれは国際社会においてはアウェーの環境で戦うしかないのだ。
こうして、DCF方式でNPVを求める、IRRで投資判断をする、PERやPBRで適正株価水準を見定める……、とアルファベットの略語オンパレードな世界と対峙することになる。

用語だけでなく文法も身につけなければ、コミュニケーションはできない。しかし、実務で使うファイナンスのツールを体系的に頭に入れるには、やはり手間がかかる。まず財務諸表を読むには会計の知識が必要、次に現在価値という概念を理解して、DCF(ディスカウンテッド・キャッシュフロー)方式という投資判断の基本枠組みを学び、具体的に算定するために資本コストを計算できるようにならなければならない。
これらを演習を交えて1つひとつ習得していくうちに、「木を見て森を見ず」状態に陥ったり、腹落ちしない概念でつまずいて、先に進む気力が萎えてしまったりする。
さらに厄介なことに、ファイナンスを難しい世界にしたがる「財務のプロ」や「専門家」がいて、必要以上にその作業をブラックボックス化する。やたら難解に説明したがり、「難しい世界なのでお任せなさい」と言いがちな「プロ」は疑ってかかったほうがよいのだが、「素人」がそれを見破るのは簡単ではない。

本書の構成
企業価値算定やM&Aは、ファイナンスの上級・応用編、ピラミッドの上部に位置づけられることが多い。そこへ到達するには、1つひとつ石を積み上げなければならず、その土台作りのために、数学や統計学の知識を身につける必要がある。こう言われると、苦難の道のりとなる。
本書は、世の常識的スタイル(≒欧米のビジネススクールで教わる手順)を無視して、ピラミッドの全体像を見てから骨格と枠組みを作り、そこに肉づけをして完成させるというアプローチを取っている。
企業価値算定について30年にわたりさまざまな立場でかかわってきた私は、その間に米国的な手法が進化し複雑化しながら日本市場に浸透していく姿を見てきた。そして経験を積むにつれて、バリュエーションの本質がシンプルな構造をしていて、おなじみの用語だけを使った簡単な公式に美しく収斂すること、それさえ腹に落として理解すれば、企業経営者や実務家として十分だろう、という確信を持つに至った。
日本的な企業観と米国的な株主至上主義の間には、一般に言われるほどの大きな違いはなく、それらを対立的に描く必要もない。企業価値算定は、専門家が複雑な理論やモデルを駆使しなければできないような世界ではなく、企業経営者と投資家が建設的にコミュニケーションを取るための共通言語として、使い勝手の良いものでなければならない。
このようにバリュエーションを身近で手触り感のあるものにすることによって、世間を騒がせる経済ニュースの意味や背景がより鮮明に見えるようになり、グローバル取引の交渉や投資家へのIR活動の場で役立つスキルを手に入れることができる。これが本書の第Ⅰ部・第Ⅱ部で取り上げるトピックだ。

しかし同時に、2000年以降のバリュエーションの世界がより難しさを増していることも、おそらく事実だろう。それは、事業活動を取り巻く「リスク」がますます多様かつ複雑になっているからだ。その結果、ひと昔前の経済成長時代のファイナンス理論だけでは対応しきれなくなったり、リスク管理の手法としてデリバティブ取引なるものが活発化して市場を攪乱したり、という現象が起こっている。
いずれにせよ、先行きの読みにくい社会・経済環境の中で、難しい投資の意思決定を迫られるのが、今日の企業経営の宿命である。
そこで第Ⅲ部では、経営者や投資家やファイナンス理論の専門家が、それぞれの定義とニュアンスで使っている「リスク」なるものを整理し直し、それらが企業価値算定や投資の意思決定にどう反映されるのか、を検討する。
また、不確定要因の多い状況下では、「リスクマネジメント」や「臨機応変の対応」といった意思決定の柔軟性が重要になる。この要素を価値算定に取り込むには、「オプション価値」の議論は避けて通れない。
天変地異から戦争・テロ、製品事故からネット炎上による風評被害まで、現代企業経営は「一寸先は闇」状態だ。「リスク」と「オプション」は、そのような不確実性に満ちた世界での企業価値算定において、外せないキーワードであるものの、これまでは統計学や数学の知識なしでは理解できない「専門家」の領域に委ねられがちだった。
本書の後半では、それを実務家の常識で理解し使いこなせるレベルに引き下げて噛み砕こうと試みたのだが、まだまだ私自身が書きながら、思考を続けている段階だ。

謝辞
本書の執筆にあたって、数え切れない方々にお世話になった。私が15年にわたり経営顧問を務めている西村あさひ法律事務所の諸先生方、特に草野耕一弁護士には米国留学以来ずっと私の議論の相手をしていただき、本書は彼の著書である『金融課税法講義』『会社法の正義』から多くの示唆を得ている。
専任教員を務めているグロービス経営大学院のファカルティメンバー、講師つながりのプルータス・コンサルティングの野口真人社長と明石正道氏からも、さまざまな知見を拝借している。ネットでさまざまな情報が瞬時に手に入る時代、私が思考を深め、検証するうえで、池田信夫、冷泉彰彦、田坂広志、伊東乾、渋沢健、澤上篤人、ニューヨーク大学教授のアスワス・ダモダランなど、先輩諸氏の発信するブログや寄稿記事から、多くの知識と影響を受けている。
そして、これまでさまざまな案件と職場で得た実体験と、グロービス経営大学院のクラスおよび企業研修での受講生との数え切れないやり取りが本書執筆の原動力であり、肥やしとなっている。
私の前著『MBAバリュエーション』(日経BP社、2001年)と『会社の値段』(ちくま新書、2006年)や、監修としてかかわったNHKドラマ・映画「ハゲタカ」を通じて、投資銀行やファンドの最前線で活躍中の若い世代との接点も多く生まれ、彼らとの会話から得た現場感覚は、執筆上大いに役立った。
企業価値算定には、このようなありとあらゆる人々の知見や価値観が「集合知」として反映されるものだ、という意味で、タイトルは「教科書」だが「バリュエーション『2.0』の世界」を私なりに表現したつもりだ。
出版にあたって東洋経済新報社出版局の佐藤敬氏、グロービスの佐々木一寿氏と大島一樹氏には、細かな編集作業を含めて大変お世話になった。この場を借りて改めて感謝申し上げたい。
最後に、私の身勝手な転職人生に付き合い、最高の執筆環境を整え、素朴かつ鋭い問題意識を常に投げかけてくれた家族の存在は、とても言葉では言い尽くせない貢献だったことを申し添えたい。

2016年5月
森生 明

森生 明 (著)
出版社 : 東洋経済新報社 (2016/5/27) 、出典:出版社HP

バリュエーションの教科書――目次

はじめに

第Ⅰ部 企業価値算定(バリュエーション)の基本構造
第1章 企業価値は財務諸表にどう表れるのか
1 バリュエーションの中核にあるシンプル公式
1.1 企業価値の全体構造
1.2 国内海外の主要企業で指標を比較してみる
2 バランスシートで企業価値をイメージする
2.1 日本と米国の「のれん価値」へのアプローチの違い
2.2 バランスシートに「企業価値」はどう表れるのか
3 損益計算書に株主価値はどう表れるのか
【column1】「わが社」と「自己資本」、そして「会社は誰のもの?」

第2章 基本公式から一歩深掘りする
1 借金と余剰キャッシュと企業価値の関係
1.1 実態B/Sと企業価値
1.2 「メタボ」気味な日本企業のB/S
1.3 債務超過会社の場合
【column2】カネは堆肥のようなもの
2 ROEの分解とその応用
2.1 ROEの分解式=デュポン式
2.2 業態に合わせたデュポン式の応用展開
3 答えは市場に聞くしかない

第3章 DCF評価と倍率評価は、実は同じ
1 すべての投資価値算定はDCFから
1.1 割引率と期待利回りと資本コスト
1.2 割引率と倍率はコインの裏表
1.3 PERとDCF方式は同根
2 利益よりキャッシュフロー
2.1 足元の利益は会社の実力を正しく反映しているか
2.2 投資家が気にすべきは、フリーキャッシュフロー
3 M&Aの場合――株式時価総額より企業価値、PERよりEBITDA倍率
3.1 企業価値と株主価値の関係
3.2 のれん価値は、将来キャッシュフローのプラスα
3.3 減損処理と負債の時価
3.4 M&Aによく登場する指標――EBITDA倍率とは
3.5 万能な指標はない
【column3】短期的利益変動に気をとられすぎ?

第Ⅱ部 基本構造から読み解くM&Aの世界と資本主義社会の課題
第4章 日本の株式市場は「サヤ取り天国」なのか
1 ファンドによる買収攻勢の背景――明星食品をめぐるTOB合戦
2 アベノミクス下でのアクティビスト活動――ファナックとFA業界のバリュエーション
3 米国の先進事例――アイカーンとモトローラ

第5章 事業や業界を再編するM&A活動
1 大企業の「恐竜化」とコングロマリット・ディスカウント
1.1 コングロマリットディスカウントとは
1.2 なぜディスカウントが起こるのか
2 事業再編で企業価値は上がるのか――総合電機メーカーの企業価値と業界再編の歴史
3 それでも規模は力なり――敵対的買収は悪なのか

第6章 日本市場に押し寄せる資本の論理とその課題・限界
1 資本市場の役割は変遷する
1.1 第1ステージ――経済成長期
1.2 第2ステージ――経済成熟期
1.3 第3ステージ――21世紀型
2 「資本家」とは誰なのか
3 ファイナンス知識は役に立つのか
3.1 「役に立たない」と言われた時代背景
3.2 知らなければ困る時代の始まり
【column4】欧米流は強欲礼賛、格差拡大なのか
3.3 理論の限界をわきまえることも大切
【column5】正規分布とベキ分布の補足説明

第Ⅲ部 実務応用編理論と実務の橋渡しの試み
第7章 リスクを数字にする方法
1 「リスク」の捉え方の差——経営者視点と投資家視点
1.1 ファイナンス理論上の「リスク」の理解
1.2 リスクと割引率と資本コスト
1.3 資本コストを「正確に」計算するには
1.4 理論値と実務現場感覚の差はなぜ生まれるのか
2 市場の現実からリスク=割引率を読み取る
2.1 実務における対応例
2.2 不確実性と割引率——それはリスクの問題か成長性の問題か
2.3 巡り巡ってr-gの問題に戻る?
【column6】不確実性とリスク――最後は「経験と勘」で決めるしかない?

第8章 経営支配権を売り買いするM&Aの世界
1 M&AはDCF方式で、の理由
1.1 デュー・ディリジェンスの将来計画で買収価格が決まる
1.2 DCF方式を使う際のよくある質問
2 シナジーと支配権プレミアム
2.1 シナジーの再定義
2.2 水平統合のシナジー
2.3 相互補完シナジー
2.4 支配権プレミアムの根拠
3 買収ストラクチャーと買収価格の関係
3.1 買収対価の払い方
3.2 資金調達・回収と買収価格

第9章 リスクマネジメントをオプションで捉える
1 オプション的思考
1.1 オプションの基本構造
1.2 ペイオフの合成
1.3 オプションの価値算定
2 リアルオプションの考え方
2.1 シナリオ分析とディシジョンツリーとリアルオプション評価
2.2 リスクマネジメント力とリアルオプション的思考
3 リアルオプションを使った投資判断事例の研究
3.1 シナリオ策定によるリアルオプションの認識
3.2 伝統的な評価方法を適用した場合
3.3 リアルオプション思考をとり入れた場合
3.4 リアルオプションの理論価格評価とその難点

第10章 株式のオプション価値と事業再生
1 株主有限責任原則と株式のコール・オプション価値
2 事業再生の勘所
2.1 破産か再生か
2.2 継続事業価値の保全
2.3 スポンサーと他のステークホルダーのせめぎあい
3 事業再生のシンプル事例分析
3.1 債権放棄する銀行の採算
3.2 スポンサーの投資採算
3.3 DESという調整手段

おわりに
参考文献

森生 明 (著)
出版社 : 東洋経済新報社 (2016/5/27) 、出典:出版社HP