オールカラーでわかりやすい!戦国史

【最新 – 戦国時代について学ぶためのおすすめ本 – 入門から人物・戦の背景まで】も確認する

戦国史を紐解く110テーマ

戦国時代についての本は無数に出版されており、どの本から手にとって良いのかわからないという人も多いと思います。そんなときにおすすめするのが本書です。戦国時代の重要な出来事が全て網羅されており、戦国の時代に初めて触れる人でも流れを理解できる充実した内容になっています。

菊地 正憲 (著)
出版社、出典:出版社HP

目次

序章 室町幕府の衰退
戦国前夜、幕府は守護統制に四苦八苦
南北朝期に足利尊氏が開いた室町幕府
「日本の王」目指した3代足利将軍
足利義満の死後、再び乱世の兆し
勘合貿易で幕府が莫大な利益
有力守護が相次いで反旗
戦国史コラム倭寇と商人

第1章 戦国時代の幕開け。
応仁の乱を皮切りに戦国時代の前哨戦
足利将軍家に後継争い勃発
戦乱前夜の節目―上御霊社の戦い
応仁の乱が始まり戦国時代幕開け
応仁の乱の主役―細川氏と山名氏
足軽の登場で兵法に変化
下剋上の典型の朝倉孝景
続く庶民の反乱の時代
山城の国一揆で自治獲得
戦国初期の悲運の名将太田道灌
足利義尚が六角氏征伐
加賀の一向一揆で富樫政親が自害
北条早雲が関東へ進出
細川政元がクーデター
瀬戸内海で小早川氏が台頭
革命的宗教家の一休宗純の活躍
山城、環濠で要塞化進めた戦国期
禅宗、明の影響濃い東山文化
戦国史コラム京へのあこがれ

第2章 「戦国大名」の登場
北条氏台頭とともに戦国時代が本格化
北条早雲が激戦地相模を制覇
撰鉄で貨幣経済が混乱
朝倉貞景が永正の一向一揆撃退
足利義植が将軍に返り咲き
倭人を統制しきれず三浦の乱勃発
足利義植方、船岡山合戦で勝利
北条氏しばらく安泰
東北の雄、伊達氏が登場
混乱続く畿内で義晴が将軍就任
大内氏が領国で覇権争い
『今川仮名目録』の今川氏親が台頭
法華宗徒が天文法華の乱
武田信虎が表舞台に登場
斎藤道三が念願の美濃統一
戦国史コラム蝦夷地、琉球、世界

第3章 「武将」たちの興亡
戦国中・後期、主役の大名が出そろう
鉄砲伝来、兵法に多大な影響
織田信秀が美濃に侵入,
武田信玄が信濃に侵入
伊達晴宗が米沢に移転し勢力拡張
上杉謙信が越後国主就任
三好長慶の政権誕生
陶氏が大内氏を破り下剋上
信玄、謙信との決戦間近
信玄、黄信が川中島で合戦1
信玄、謙信が川中島で合戦2
毛利元就が厳島の戦いで勝利
斎藤道三が長良川で敗死
名門今川氏、桶狭間に散る
謙信が関東管領就任
徳川家康が三河一向一揆を制圧
織田信長が俣城築城
ザビエルがキリスト教を布教
戦国史コラム下剋上の代表?松永久秀

第4章 信長の時代
織田信長が足利幕府を滅ぼし勢力拡大
織田信長が美濃を平定
信長が足利義昭と上洛
信長が武田信玄と同盟締結
信長が姉川の戦いで辛勝
11年続いた石山戦争
徳川家康が三方原の戦いで敗北
室町幕府が滅亡
信長が宿敵朝倉、浅井滅ぼす
信長が長篠合戦に勝利
信長が越前一向一揆を平定
信長が要衝に安土城を築城
上杉謙信が能登七尾攻め
信長が毛利水軍と激突
豊臣秀吉が中国攻め開始
荒木村重が謀反、信長動揺
信長が毛利水軍に雪辱
明智光秀が丹波、丹後を平定
秀吉が中国地方での西方攻め加速
柴田勝家が越前、加賀支配
家康が遠江を平定
秀吉、鳥取城も落とす
茶の湯の千利休が登場
戦国のカギ握る経済力
戦国史コラム嫁入り婚が主流に

第5章 秀吉の野望
豊臣秀吉が天下統一、大陸進出も画策
織田信長、本能寺に死す
豊臣秀吉が「中国大返し」
明智光秀むなしく「三日天下」
清洲会議で秀吉が存在感
秀吉が賤ケ岳で柴田氏圧倒
秀吉が検地、刀狩を実施
秀吉と徳川家康が直接対決
秀吉が四国を平定
秀吉が関白に就任
伊達政宗が奥州で勢力伸張
秀吉が家康にらみ体制構築
秀吉が九州を平定
秀吉が北野大茶会主催
キリシタン大名が遣欧使節実施
秀吉が商港博多を再開
秀吉が小田原城を攻略
秀吉が天下統一を完成
秀吉が第一次朝鮮出兵
秀吉が第二次朝鮮出兵
戦国史コラム戦国時代の名城

第6章 秀吉から家康へ
徳川家康が天下統一し、江戸幕府開く
朝鮮出兵の最中に豊臣秀吉死去
秀吉後の主導権争い表面化
前田利家没し、動乱の予兆
徳川家康が上杉討伐を計画
関ヶ原での決戦が目前に
関ヶ原の決戦、東軍に軍配
家康が幕府を開く
家康が江戸城の築城工事
始めは積極外交だった幕府
家康が豊臣秀頼と会見
伊達政宗が支倉常長を欧州派遣
大坂冬の陣が勃発
大坂夏の陣始まる
徳川幕府が武家諸法度
家康が死去、一時代終わる
戦国史コラム裏切り武将のその後

付録1主な武将たちの辞世の句
付録2旧国名地図
さくいん[人名] さくいん[事柄]

菊地 正憲 (著)
出版社、出典:出版社HP
菊地 正憲 (著)
出版社、出典:出版社HP

戦史序章 室町幕府の衰退

戦国前夜、幕府は守護統制に四苦八苦

歴史の流れ

南北朝の対立で極まる混乱

鎌倉幕府が滅亡し、後醍醐天皇が「建武の新政」を行ったものの、公家優先の方針をとったため、地方武士の不満は募ります。
こうした情勢を見て足利尊氏は反乱を起こし、新政は崩壊。尊氏は「北朝」を立てて室町幕府を開きました。しかし、後醍醐天皇の「南朝」と対立する時代がしばらくのあいだ、続くことになります。

農民、土着武士が勢力を伸長

南北朝の内覧期の背景として、旧来の荘園制の内部で中小農民が成長してきたことが挙げられます。農民の解法が進んだため、農村では、それまでの血縁的な同属結合から地縁的結合が見られるようになり、一揆などの武力行使も起こすようになっていたのです。
その後、京都室町の「花の御所」、「金閣」を営んだことで知られる足利3代将軍の義満が登場し、南朝の勢力が強かった九州を平定し、明との勘合貿易を始めるなど、政治、経済の基礎を整えました。とはいえ、幕府の権力はなお脆弱で、土岐氏、山名氏といった守護天名の反乱には手を焼いていました。

関東基盤の武士が幕府に反抗

義満の死後は、有力守護の力が強大化し、しばしば将軍家に圧力をかけるようになりあmす。
相次ぐ飢餓や高利貸しからの借金にあえぐ地方の農民や土着武士たちも、幕府の債権の破棄を求める徳政一揆や土一揆を頻繁に起こしました。
鎌倉時代からの残党を含む強力な武士が多かった関東では、鎌倉に「鎌倉府」が置かれていましたが、ここも多くの戦乱の舞台となりました。鎌倉府の長官である鎌倉公方は、地元勢力を結集して幕府としばしば対立します。第4代鎌倉公方の足利持氏は将軍職を狙いましたが、6代将軍義政によって自殺に追い込まれました(永享の乱)。

菊地 正憲 (著)
出版社、出典:出版社HP