これからの天皇制: 令和からその先へ

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新しい時代の天皇制

新天皇が即位した今、これまでの天皇制の歴史を振り返り、これからの時代の天皇制について考えることが必要です。本書では六人の論客が天皇制の核心に迫り、未来の天皇制について論じています。

原 武史 (著), 菅 孝行 (著), 磯前 順一 (著), 島薗 進 (著), 大澤 真幸 (著), 片山 杜秀 (著)
出版社 : 春秋社 (2020/11/25)、出典:出版社HP

目次

はじめに(西山 茂)

第一講 「平成流」とは何だったのか
原武史

第二講 天皇制の「これから」
その呪縛からの自由へ
菅 孝行

第三講 出雲神話論
神話化する現代
磯前順一

第四講 国家神道と神聖天皇崇敬
島薗 進

第五講 天皇制から読み取る日本人の精神のかたち
大澤真幸

第六講 「象徴天皇」と「人間天皇」の矛盾
戦後天皇制をめぐって
片山杜秀

原 武史 (著), 菅 孝行 (著), 磯前 順一 (著), 島薗 進 (著), 大澤 真幸 (著), 片山 杜秀 (著)
出版社 : 春秋社 (2020/11/25)、出典:出版社HP

はじめに

本書は、日蓮仏教の「再歴史化」(時代相応の蘇生)を学是とする法華コモンズ仏教学林の二〇一九年度後期特別講座(全六回、二〇一九年一〇月から二〇二〇年五月まで)の内容をもとにした単行本である。主に日蓮門下を受講対象としたものであったが、この度、春秋社のすすめもあって一般向けの書物として発行されることになった。
象徴天皇制は、種々の問題があるにせよ、共同社会の衰退にともなう「契約社会化」(ブライアン・ウィルソン「西洋における世俗化の諸局面」)の結果としての、日本の共同社会の希少な「残地」である。本書が、日蓮門下に限らず、「これからの天皇制」に興味をもつ多くの一般の読者に読まれるようになることを期待したい。
法華コモンズ仏教学林がなぜ本講座を開いたのかについては後述することにして、本講座の成立までの役割分担について述べれば、発案は基本的に西山茂が、講師の人選と依頼は澁澤光紀が、そして授業当日の受付等は学林スタッフの面々が、それぞれ行った。授業のほとんどは新宿の日蓮宗常円寺の地階ホールを会場として対面形式で行ったが、最終回の授業だけはコロナ禍のために動画配信での授業となった。

以下、法華コモンズ仏教学林がなぜ講座のテーマに「これからの天皇制」を選んだのかについて、述べてみよう。
日蓮は後鳥羽上皇などが鎌倉幕府の北条義時によって遠島となった承久の乱の翌年の貞応元(一二二二)年に生まれているが、この乱がなぜ起こったのかということの解明が、一つであるべき仏教がなぜ乱菊の極みになっているのかということの解明とともに、やがて日蓮の出家向学の重要な動機となる。

日蓮はのちに後者の疑問への回答として法華経中心主義に逢着するが、この「實乗の一番」(日蓮「立正安国論」)に違背する「謗法」(具体的には真言僧等による朝廷側の対幕府調伏祈祷)が前者の原因であったと述べている。日蓮にとっては二度にわたる元寇の原因も同じ「謗法」で、しかも家古王のことを誇国日本の諫め役の「隣国の賢王」(日蓮「報恩鈔」)とまでいっている。蒙古調伏は、日蓮の願うところではなかった。
にもかかわらず、近代になると日蓮仏教は国家主義化して、天皇制との結びつきを強める。田中智学(国柱会創立者、一八六一〜一九三九)や清水梁山(岡本天晴らの「清水梁山師年譜」によれば、一八六四〜一九二八)の日蓮主義的国体論は近代天皇制が学校教育を通して国民のなかに広く深く浸透した日露戦争後に勃興した「二次的国体神話」(拙著『近現代日本の法華運動』春秋社、二〇一六年)である。
これを日蓮仏教の一種の「再歴史化」であるとみてもよいが、反面、それは近代日本の「国体」に足を取られて、いまでは「脱歴史化」とさらなる「再歴史化」を余儀なくされているものであるともいえる。
田中によって「国体」の内実をなすとされた、神武天皇の建国の際の三つの道義的理想(積慶・重暉・養正)と日蓮仏教の三大秘法が契応しているとか、この実行によって世界統一を推し進めることが日本国家の「天業」であるとかいったことを、田中が最初にいったのは明治三七(一九〇四)年のことであったが、彼のまとまった日蓮主義的国体論は大正一一(一九二二)年に出版された『日本国体の研究』(天業民報社)を俟たなければならなかった。ここで彼は、「法華経を形にした国としての日本と、日本を精神化した法華経」といっている。また、彼は、実相が「本国土妙」(久遠本時の婆婆)である日本の天皇がやがて世界を道義的に統一するともいっている。
他方、清水のまとまった日蓮主義的国体論は、彼が明治四四(一九一一)年に上梓した『日本の国体と日蓮聖人——一名、王仏一乗論』(慈龍窟)のなかに示されている。そこで彼は、「仏の本地は転輪聖王にて、すなはち日本国の大君にて坐す」とか、「(妙法曼荼羅の)中央七字の本尊は必我が一神一皇たらざる可からず」とかいって、天皇本尊論を主張している。なお、この本尊論は、昭和一〇年代に高佐賀長(日煌、一八九六〜一九六六)や高橋善中らへと引き継がれた。
だが、日本が戦争に負けた昭和二○(一九四五)年以降になると、「国立戒壇」をいっていた戸田会長時代の創価学会を除けば、日蓮仏教界は日蓮主義的国体論だけでなく根本的な教義である「本門の戒壇」すら、ほとんど説かなくなった。
日蓮正宗との関係変化にともなう戒壇論や本尊論についての創価学会の著しい変貌ぶりについては、別著に譲りたい。

ところで、日本史のなかで天皇親政の時期はごく短く、例外的であった。なかでも、西洋の君主制を真似た近代の天皇制は、異例でさえあった。実際のところ、カイゼル髭と軍刀で身を飾り、皇軍を統帥した明治天皇と、体育館のなかで膝を折って被災者と語り、日本国民の象徴の体現につとめた平成の天皇が、同じ位の天皇であるとはとうてい思えない。
しかし、これ以上の天皇制の議論は、本書の執筆者たちにまかせることにしよう。

二〇二〇年八月

法華コモンズ仏教学林理事長 西山 茂(東洋大学名誉教授)

原 武史 (著), 菅 孝行 (著), 磯前 順一 (著), 島薗 進 (著), 大澤 真幸 (著), 片山 杜秀 (著)
出版社 : 春秋社 (2020/11/25)、出典:出版社HP